Q.「 」

伊藤ザクロ

Q.「 」

 カツン……カツーン。


 おおよそ実家の廊下からは鳴りそうにない音を響かせながら私はメイドさんの後を付いていく。

 ここは本日の依頼主である資産家、財前ざいぜん 宗太郎そうたろうの持つ別荘だ。


 しかし成程。聞き覚えの無い資産家からの依頼であったが……屋敷の内装を見る限り中々に景気はよろしいようだ。


家達やたち様」

「っ! はい」


今朝の送迎からずっと案内をしてくれたメイドさん……斎藤さいとうさんと言ったか、彼女に声を掛けられた。


「着きました。この先に御頭首様はいらっしゃいます」


 廊下に飾られた芸術品の数々に気を取られている間に本日の依頼主の待つ部屋に到着していたようだ。


「これは……また」


 扉を見る際に『上』を見る機会などそうないだろう。


「お開けしてもよろしいでしょうか」

「……はい。お願いします」


 私はネクタイを締めると斎藤さんにそう告げる。


 ウィーン。


 天辺が遥か頭上にあった扉は見た目の割に電動式で


「遠くからご足労……感謝致します」


部屋の中にいる御頭首様らしき御前は頭をペコリと下げる優しそうな老人であった。




「お招きいただき光栄です。家達事務所の家達です」


 礼儀には礼儀で返すのが礼儀である。トートロジーじみた言葉遊びだが、あながち嘘でもない。

 こちらの挨拶に気を良くした財前氏は自分の向かいの席へ座るように促した。


 彼の勧めた席まで歩く数歩、私は部屋の中を悟られないように見渡す。

 部屋は大きかったが、その分席に着くまでの時間も掛かったため、室内を視線で物色する時間は十分に確保できた。

 これは探偵の職業病といってもいい。やめられないのだ。


 豪華な装飾の施された廊下とは違い、室内は飾り気が無かった。


 部屋に入って右には本棚が3台……その中でも右端の1台は金庫がはめ込まれている。左には大き目のモニターが一台置かれているだけで、一面が大理石の床であるこの部屋は酷く寒いように感じられた。

 そして正面には豪華なテーブルと柔らかそうなソファが1台ずつ置かれている。


 ソファが1台。


 つまり私と依頼主は隣り合って座るのかというと、勿論そういうわけではない。

 依頼主はテーブルを挟んだ部屋の奥で車椅子に腰を掛けながら私を待っていたのだ。


 こうして部屋の観察とソファまで移動する時間は殆ど同時に終わった。


 促されるままにソファに腰を下ろすと最初に口を開いたのは財前氏の方だ。

「初めまして、家達さん。本日は依頼の話に入る前に一つ謝らなければならないことがあります」


 こちらを値踏みするような視線が私に突き刺さる。


「なんでしょう?」


 財前氏がこちらに提示した額は相場の遥か上を行った。多少の条件が付いてくるだろうとは思っていたのだ。

 最初からそのつもりだったので、私もそこに突っかかるつもりはない。


「いやあ、私共としましても今回依頼したい事件はあまりにも難問だ」少し俯いたまま、それでも視線はこちらに向けて彼は続ける。「実力不足の探偵を雇って貴重な時間を無駄にしたくない……わかりますかな?」

「早急な解決が求められる事件なんですか?」

「何事も早いに越したことはないですな。つまり……事件に取り掛かる前に簡単な『テスト』をさせて欲しいということです」

「……テスト」


 ……如何にも頭の悪そうなオウム返しをしてしまった。


「なるほど、引き受けました。それではそのテストの内容を教えていただけますか?」

「ありません」

「え?」

「正確には、お教えできません。貴方にはこの部屋で自分が有能な探偵である事を証明してほしいのです」





 貴方にはこの部屋で自分が有能な探偵である事を証明してほしいのです――


 その言葉を言い終えるのを待っていたかのように自動ドアが開き、斎藤さんが珈琲を持ってくる。

 探偵であることを証明しろと言われた矢先の事だ。当然、注意深く観察してしまう……が、気になる点は見当たらない。


「なに。軽い会話でもしながら閃いてくれればいいのです」

「そうですか。では単刀直入にお聞きしたいのですが、財前様のお仕事は一体どういったものなのでしょうか?」


 失礼を承知の質問。

 依頼が来たのが昨日の話。今日の朝には事務所の前に迎えの高級車が止まっていた。こちらにリサーチする時間を用意させなかったのは意図的な行為なのだろう。


「この歳になると若い者に任せっきりでしてなあ、老人は停滞した会議の最後なんかに気の利いた鶴の一声を掛けるくらいしかありませんよ」

「鶴の一声……ですか」

「いや、これはヒントではありませんよ? ガッハッハ!」


 先ほどの調子からは想像もつかない程の変わり様で財前氏は破顔した。


「豪快な方だ」

「はっはっは……リラックスして下さい。集中は大事だが、柔軟な思考にはソレが邪魔になることもある」

「ごもっともです」


 気持ちを落ち着かせるため、斎藤さんの淹れてくれたまだ湯気の立つ珈琲に口をつける。あまりの熱さに味は殆ど感じられない。しかし、いい香りだ。

 白が基調とされたこの部屋の中で珈琲はインテリアとしてのアクセントの役割も果たしているように思えた。


「美味しいでしょう? 私も気に入っているのですよ」


 そう言うと香りも楽しまずにがぶがぶと珈琲を流し込む。

 カップが空になるとすぐさま斎藤さんが部屋に入ってきて代わりのカップを用意した。


「わざわざここまで歓迎していただき、ありがとうございます」

「いえいえ……我々は貴方を試している身。これくらいは当然でしょう」


 こうは言っているものの、やはり気負ってしまう。ここまで立派な豪邸を立てているような人にスーツまで着せて時間を取らせているのだ。

 上下関係から縁遠そうな探偵という仕事だが、やはり自然と出来上がってしまうポジションの違いからは逃れられない。


「……なんだかここ、少し冷えますね」


 珈琲を飲んで身体が温まったからか、部屋の雰囲気だけでなく、この部屋は少し空調が効きすぎているように感じた。


「私は少し暑がりでしてな、こればかりは我慢してくだされ」


 手うちわで自分を仰ぎながら財前氏は珈琲に口をつける。こんなに熱い珈琲を大量に飲んでいるから空調を強めたくなるのでは、と思ったが口には出さない。


「お茶だけでは話も進まないでしょう。……そうですね、本でも持ってきましょうか」


 再び注がれた珈琲を空にすると、言うが早いか財前氏は車椅子を動かして本棚へと向かった。その姿に疲れた様子はない。ないのだが、老体に鞭を打たせたような気がして思わず手伝いを申し出る。


「私が押しましょう」

「なに、本は膝に置けば車椅子だって動かせるんだがね……ありがとう」


 車椅子を押して再び部屋の中央のテーブルへ向かう。その際に車椅子に何か細工でも施されてないか軽く調べたが、特に何の変哲もない普通の車椅子だった。

 気になったことと言えば車椅子を計算に入れても、想像より幾分か彼の体重は重かったことくらいだろうか。しかしそれもまあ、常識の範囲内の重さである。


 テーブルまで移動を終えると本を広げてつらつらと話が進んだ。

 転機が訪れたのはカップを取り換えに斎藤さんが再び部屋に訪れた時だった。


 僅かな疑念が積み重なって生まれた仮説だったのだが――


「財前様」

「なんでしょうか」

「先ほどから出入りしているメイドさんのお名前を伺いたいのですが」


どうも当たりを引いたらしい。



 財前氏から出た名前は彼女の名前とは別のものだった。





 互いに口を噤んだ時間が十数秒経過した。


 笑顔を浮かべたままこちらを見つめてくる財前氏は、既にこちらが答えにたどり着いた事に気づいているようだ。


「……疑問を感じたところで言うと」


 私はソファから立ち上がりながら語り始める。


「足が悪いにもかかわらず、こんなにも広い部屋を使っているという点が不可解だった。しかも今時、電動の車椅子もあるのに貴方が使っているものにそのような機能は見られない」


 そう。彼が使っているのは『何の変哲もない普通の車椅子』だった。


「車椅子を押しているときに感じました。ああ、この人は見た目以上に重いのだな、と。筋肉は脂肪よりも重い。その筋肉を隠すためにわざと空調を強め、この場に適したスーツを着用した」


「極めつけは部屋に出入り出来る程のメイドさんの名前を知らない事、そしてコロコロと表情を変える貴方の素振りから推察するに……」


「貴方は財前氏のフリをする為に雇われた偽物だ」


しばしの間、時が止まったかのような静寂が生まれる。


「……」


 財前氏の名を騙った彼は無言のまま車椅子から立ち上がった。


「素晴らしい」


 そう言いながら拍手をする彼の姿は老人のそれでは無かった。





「一体いつから気付いておられましたか?」


 財前氏に変装していた彼は財前氏の孫にあたる人のようだ。特殊メイクで親族に化けていた、ということらしい。

 家の跡を継がずに演劇の道に進むことを許してもらう代わりに、たまにこうして演者が必要な場面で駆り出されるそうな。


「それです。その珈琲です」

「え? これですか?」

「足が悪いのにそんなに珈琲を飲んでトイレは大丈夫なのかな……って心配がキッカケでした」


 ははは、と二人の笑い声が部屋にこだまする。無機質なこの部屋にはよく響いているように思えた。

 再び空になったカップを下げに斎藤さんが部屋に入ってくる。


「斎藤さん、酷いじゃないですか」

「……はて? 私が何か?」

「この部屋に御頭首様がいるとかなんとか」


 あれを鵜呑みにしていたら少し危なかったかも知れない。もしかしたら斎藤さんはテストの部外者なのではないか、という事前提の推理だった。


「……ふふっ。私は嘘などついていませんよ」


「私は『この先に御頭首様はいらっしゃる』と申しました」

「え? でも変装していた財前さんは跡を継がないんですよね?」

「今にわかります。……坊ちゃん、これを」


 カップを乗せていたトレイには1枚のカードキーが置いてあった。それを財前さんに渡すと彼は軽い足取りで本棚に向かい、本棚に埋め込まれた金庫にキーをスキャンする。

 金庫が開くのかと思いきや埋め込まれた本棚は横にスライドし、その奥から隠し扉が姿を見せた。


「この先に御頭首様はいらっしゃいます」

「なるほど……隠し扉」


「家達様は見事テストに合格しました。どうぞ先にお進みください」


 財前さんと斎藤さんが先へ進むように手で示す。


 勧められるがままに私はドアノブに手を掛けたが

「……あれ? 開かない」

押しても引いても隠し扉は全くびくともしなかった。


 それを見た二人がくすくすと笑い出す。


「……ああ」


 引き戸か。


 まったく、先が思いやられる。



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Q.「 」 伊藤ザクロ @itoh8

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