第3話 お馴染みの謝罪

「・・・あ・・・もしもし、キミ?」


駅に向かう人ごみにまぎれながら、携帯に向かって話しかける。


薬を飲んだのが良かったようで、多少のダルさはあるけど、頭痛も吐き気も全くなし。


元気に出勤できている事を電話の向こうに報告する。


「おー起きれたのか」


「ばっちり。ごめんねーまたもや相当絡んだって?」


見た目から”強そう”と言われるけど、実はそんなにお酒に強くないことに気付いたのは5年前の成人式。


ビール3杯で泥酔状態になった睦希を、背負って家まで送ってくれたのはやっぱり藤だった。


(アレ以来、酔った睦希の面倒は藤が見るものと決まっている)


「俺はいいけど、芽依ちゃんにお礼言っとけよ?」


「もー言った。色々とご迷惑をおかけしましたぁ。今度コーヒー奢る」


「会員制の本店の特上のスペシャルブレンドな」


「うげっ」


一見さんお断りの完全会員制老舗純喫茶は、藤の母親がよく行く喫茶店だ。


特上スペシャルブレンドは、一杯1300円程する。


「なんか問題でも?」


「・・・・ございませーん・・」


「まあ、焼酎飲ませた俺も悪いけど」


「そーよ。連帯責任あると思うけど?」


連れて帰って貰ったことは棚に上げて言い返す。


睦希たちの間柄に遠慮とか気遣いとかいう言葉は存在しない。


だから、睦希は友英会のメンバーの前だといつも以上に羽目を外して好き勝手飲めるのだ。


彼らの前でだけは”しっかり者じゃない相沢睦希”になれる。


泣きごと言って、愚痴こぼして、駄々捏ねて”ちっとも面倒見の良くない相沢睦希”になれるのだ。


睦希が絶対無くしたくない場所だ。


高校の時から変わらない、大事な居心地の良い空間。


振り向かなくったって、いつだって藤やみんなは側にいてくれる。


睦希の憎まれ口をいつものように笑って流して藤はこう言った。


「・・・酔いたいんだろうと思ってさ」


・・・いつになくするどい突っ込み。


心の中で溜息を吐いて、睦希は憎らしい位綺麗に晴れた空を見上げる。


同じ空の下で、違う朝を過ごす人のことを思う。


”好き”って気持ちは持続するもんだと思ってた。


変わることなく永遠に。


「・・・あの人・・・彼女いるかもしれない」


吐き出す息に乗せた告白は、思いの外胸に響いた。



★★★★★★



きっかけは、芽依の一言だった。


「ピアノをね、もーちょっと本格的にやろっかなって思うの」


幼児教育科を取っていたから、彼女がある程度ピアノを弾けるのは知っていた。


学園祭の時も、ゴスペル部に頼まれて伴奏してた位だし。


「あれだけ弾けるのに?」


保育所で必要な技術なんて、お遊戯会のときの伴奏位しか思いつかない。


それほど技術が必要だとは思えなかった。


「やっぱりね、好きだから。趣味としても続けて行けたらなーって・・思うんだ」


「うん。いーんじゃない?あたし、芽依のピアノ好きよ。柔らかくって、優しくって」


華奢な指から繰り出される、鮮やかなメロディは、芽依そのものみたいに、あったかくって、穏やか。


働く=戦う、とだって考えてしまう睦希とは、対照的な考え方。


いつか、こんな風になれたらなと思う。


いつだって、みんなが手を差し伸べたくなる位、愛らしい彼女のお願いを却下なんて出来るわけがない。。


「でね・・・駅前のお教室を見つけたんだけど・・一緒に見に行ってくれない?」


人見知りする彼女らしい台詞に、睦希は任せなさいと胸を叩いた。


保育士になってから関わり合う人数が増えて、ずいぶん治ったと思ったけれど、まだ根強く人見知りが残っていたらしい。


中学から短大までエスカレーターで育ってきた芽依は、社会人になるまでほぼ家族以外の異性と関わったことが無かった。


その為、知り合ったばかりの頃はカフェに入るのも、洋服屋を覗くのも、誰かと一緒でなくては出来なかったのだ。


「うん。一緒に行こう。あたしもピアノ興味あるし・・・この際始めてみよっかなあ・・芽依のキーボードあることだし」


「うん!!!あたしも、教えてあげられるし。最近は、大人になってから始める人も多いみたいだよ?」


「日記3日坊主のあたしに、続けられるかなぁ?」


「大丈夫!週に3日も弾いてれば、運指法はすぐ頭に入るよ。仕事とおんなじ。繰り返して、体で覚えていくの」


「・・・・・あたし、初めて芽依のこと、頼もしいと思ったわ」


「あ!ひっどい!!」


「ごめんごめん。でも、本気で習いたくなったら、そのときは宜しくね」


自慢じゃないけれど、睦希のピアノの腕前はチューリップ止まりだ。


古い社宅にピアノが入るわけない!!と睦希の希望は却下され、習わせて貰えたお稽古は、王道の書道のみ。


実はひそかに憧れていたのだ。


ピアノが弾ける大人の女性に・・・


そして、出かけたピアノ教室で、睦希は息の仕方も忘れてしまうような一目惚れをしたのだ。




☆★☆★



滑らかな長い指、静かな物腰。


落ち着いた雰囲気と、少し掠れ気味の深みのある低い声。


睦希が、いままで出会ったことのないタイプの男の人。


「ピアノ、初めてなんですよね?」


「えっ・・・・・あ・・・・ハイ・・」


質問の答えすら、しどろもどろになる位パニック状態。


初対面の男の人を前に、こんなに焦ったことってない。


ホントに、軽い気持ちだったのだ。


気分転換にピアノもいいかなって、それ位のつもりだったのに。


仕事も慣れてきて、平凡な毎日の繰り返しに飽きていた。


ヨガは、家でDVD見ながら芽依とふたりでやればいいし、お料理は本を見ながらマイペースに作るのが一番。


ジムに行くほど、運動が好きでもない。


ゆっくり、1対1で教えて貰えるピアノなら集中して取り組めるかなって・・・それ位の気持ち。


なのに。



彼、西門菫哉に会った途端。


睦希の心に灯った熱は・・・”純粋な恋心”だった。



「僕は基本は調律が仕事なんで、そっちのスケジュールが詰まってるときは、代理を和田先生に頼んでおきますんで。和田先生って分かります?えーっと・・・・あ、お友達の風間さんの担当の先生です。最近ご結婚されて、望月から、和田になったんですよ。彼女も凄く教えるの上手なんで、安心して下さい」


「・・・あ・・・はい・・」


言葉の意味を理解するまでに、うんと時間を要するくらい、彼の声に、表情に見入っている自分がいた。



★★★★★★



「本人に確かめたのか?」


呆れ口調で藤が言う。


それが出来たら困らないっつーの!!!!


思わず大声出しそうになるけど、そこは朝だし大人なので、グッと我慢した。


自分でも不思議だけれど、睦希は会社仕様の格好をすると一気に思考が冷静になるのだ。


今駅に向かって歩いてるのは”大人バージョン相沢睦希”である。


だから、往来で大声出すなんてはしたないこと致しません。


「・・・確かめてないけど・・」


「はぁ?ひとりでそう思い込んでるだけ?」


「・・・だって!!・・・なんか・・・こう、雰囲気で・・・分かるのよ」


女だけがキャッチできる思念みたいなもの?


ずーっと心の奥に、大事に守ってる人がいるような気がする。


・・・西門先生の、愛情を一身に受ける人・・・


「怖がる前に訊けよ。訊いてから泣け。んで、落ち込め。慰めてやっから」


「・・・他人事だと思って・・・」


「いつも強気の睦希はどこ行った?」


「どっか忘れてきた!」


ぶすっと言い返すと、遠慮なく藤が笑う。


「お前は子供か」


「・・・後2分で大人になりますー」


電車の到着時間までは子供でいられる。


「ま、悩めばいいけど。つか俺ももう駅着いた。切るぞ」


「あ、うん。とりあえず、昨日はごめんね。ありがと」


「おう。しょうがないから、凹む前に言って来なさい。弱気なむっちゃんの為に、飲み会開いてやろう」


「・・・・どーもね」


「じゃーな」


「うん。バイバイ」



閉じた携帯をカバンにしまい込みながら、大きく息を吸う。


弱気な片思いも。


不安な答えも。


会いたい気持ちも寂しさも。


みーんな胸の奥にしまい込む。


戦う場所に“弱音”はいらない。

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