第15話 透明人間のこれから

「バカだな、お前」


 対面に胡坐をかく浩隆は、カップ麺ができるのを待つ間にそう呟いた。

 視線を向けるが、浩隆の方はカップ麺をジッと見つめている。


「あそこでなんも言えんとは」


 遠慮は無い。俺の心を目掛けて真っ直ぐに放たれた言葉は確実に突き刺さる。

 三分のタイマーが鳴って、蓋を剥がす。

 お互いに箸を持ち、手を合わせながら、今度はしっかりと俺の方を向いた。


「ホントに何も言うことは無かったんかえ?」


 建前も何もない、ただの知識欲から湧き出る問い。それ故に答えを出すまで逃がそうとしない圧力を持っている。

 答えなんてわかりきっている。

 しかしだからこそ、俺は黙っていることを選んだ。


「はー、黙秘ですか。オレがそれ嫌いなこと知っていてやるんですね。わかりました」

「……ああ」


 浩隆は俺の返事を聞くと、できたばかりのカップ麺を無理やり喉に流し込み、唇を真っ赤にしながら立ち上がった。そのままカップを台所のごみ箱に放り込むと、少し俺の方へ顔をめぐらせた。


「まだ信じてっからな」


 靴紐を結び、ドアノブに手を掛ける浩隆に、やはり俺は黙るしかなかった。


「“透明でもできる仕事”とか探してんじゃねえぞ。“先生”」


 バタン、という音と同時に床が揺れたような気がした。

 一人残された部屋で、少し伸びたカップ麺をすする。

 つい先刻、言わなければならない言葉が俺にはあった。

 もっと早く気付くべきだった、いや、気づいていた。

 彼女は俺を知っていて、でも今の俺は彼女の知っている俺では無くて。

 本当は見つからなかったわけじゃない。自分で目隠しをして、見ないようにしただけだ。

 ただ、それを言ってしまえば、俺自身の存在が彼女にとって大きなハンディとなってしまう。この関係はあくまでも協力で、それ以上に昇華させるとデメリットの方が大きくなってしまう。


「……何の計算をしているんだか」


 損得なんて何も考えていない。

 ただ拒まれることを俺が怖がっただけ。

 しょうゆ味の塩分が軽い吐き気を感じさせる。スープを飲むには至らない。

 流し台でスープを流しながら、浩隆の言ったことを思い出す。


「検索履歴を見られたか……」


 何を調べていたか、と確認してみれば、言われたことの他に別段やましい記録があるわけでは無い。しかし、少し下にスクロールすると恥ずかしさが先行してくる。


日暮通ひぐらしとおる

『日暮通 本名』

『日暮通 新刊』

『日暮通 面白い』


 苦笑するしかない。

 さらに、何件も同じ名前で続いている電話の履歴がタスク欄に残っている。

 今画面を見ているこの瞬間にもスマートフォンは震えて、俺は赤いボタンを押す。

 それから通知を切って布団の上に投げ込んだ。

 ここまでされると笑えない。

 だが、これを見た上で浩隆が「信じている」と言ったのなら我ながら納得できてしまう。


「はっ、自分が書いていないのに新刊なんか出るわけが無いだろ」


 やはり俺は俺自身がかわいくて仕方がないらしい。そんな俺を醜いと分析している俺自身のことを、俺は賢いとさえ思うのだ。

 そういう部分を全て抱えて、俺はあの日、本気で透明になりたいと思ったのかもしれない。どうしようもない自分を消したいとさえ願ったのかもしれない。

 そういえば、あのコントでは透明人間でない人間のことを『不透明人間』と言っていた。では、不透明人間を人間としたのなら、透明な俺は『人間未満』とでも言うのだろうか。


「フッ……」


 苦笑いが声になって外に漏れる。

 確かにそこに理屈は無い。今の俺にとって都合がいいだけ。


 だから、こんな人間未満は一人で野垂れ死んでいた方が……。

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