Day 4 滴る

 階段を降り終えたトキワは、おもむろに見上げた。隙間からのぞく月灯りは消え、照明はこと切れている。先に進むには明かりが必要だ。

 暗闇に何かが潜んでいる可能性もある。視界を優先して、明かりで自らの居場所を示すのは得策ではない。非常電源が作動しているっとはいえ、電線はほぼ壊滅状態だろう。感電の可能性も含め、先に進むことを諦めた。下見だけのつもりが深層部にたどり着けたことに驚いているぐらいだ。

 滴る音は目と鼻の先にあるはずだが、致し方ない。

 相変わらず、通信機器は信号を送り続けていたがトキワはロクでもない上司か、ただの定期連絡だ無視した。任務実行中は己の勘を信じる質だ。引き換えそうとした矢先、壁に出来た隙間の奥に興味を引かれる。

 月明かりをスポットライトのように浴びる机は、どうやって崩壊から逃れたのだろうか。傷が一つもない状態だ。安っぽい木で出来ていた板と支柱だけの簡素な造りの上には割れた小瓶と一冊の手帳。

 滴る音はここから響いていたようだ。

 歪な天井から滴る水滴は、小瓶に落ちる。辛うじて形を保つ鋭利に砕けた陶器からは水があふれ、自身を中心として小さな水たまりを作っていた。わずかに白く濁った水が手帳に届くまでもう僅かだ。

 トキワが水没の脅威から救ってやると、案外にそれは軽かった。すりきれた皮ばりの表紙をめくり、目を通す。ただの日記のようではあるが、誰の名前も記されていない。

 書き手の身元がわかるのを防ぎたかったのか。答えを探るために飛ばしながら要点だけを目で捕える。

 想いを心のままにぶつけるものではなく、ぽつりぽつりと言葉が記された独白だ。ある女性への想いが多く綴られていることに嫌気がさしつつ、紙をめくる手は止めない。

 終わりは唐突に訪れる。息を引き取るように最後の日は一行だけだ。数滴の血は生への執念のようにこびれついている。

 書き手の死体は見当たらなかった。ユーイェンが言ったように、回収された後なのだろうか。

 君が悪い程に、ここに辿り着くまでにも亡骸は一つもなかった。始めから存在しなかったように、血の痕さえ残さない異常さに体の熱が下がる。無法地帯の悪質は裏側の世界ばかり見てきたトキワの心さえもざわつかせた。合理的、必然的とも言えるが、虚しさが渡来する。


「呆気ないもんだな」


 返事をするように水滴が落ちた。響く音は何処までも透き通っている。

 部屋をゆっくりと見渡したトキワは、名前のない書記をゆっくりと閉じた。



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