ウミガメの甘いスープ

長田桂陣

第1話

「この吹奏楽部には顧問に秘密の伝統がある。暑い日や雨が降りそうな日になると、顧問の先生に言われる前にランニングの準備をして体育館裏に集まるんだ。それはなぜでしょう?」


 放課後の体育館裏で、私たちは日差しを避けるため壁際の狭い日陰で休んでいた。

 セミの鳴き声がうるさい。

 抱えて座っている足を伸ばせば、真夏の日光が肌を焼いてくる。

 体育館の中ではセミの鳴き声に負けるものかと、運動部のボールがダムダムとシューズがキュキュと音色を奏でている。


 いやいや。

 屋内で音色を奏でるなら、それは私たち吹奏楽部の役目でしょ。

 それなのに私たち吹奏楽部は炎天下の校庭裏で顧問の先生を待っていた。

 ここは、音楽室での練習を終えてランニングをするためにのスタート地点だ。

 私たちは、体育館裏で顧問の先生を待っているところだった。


 そんな感じでいつも暇を持て余すこの時間、先輩たちが何か遊びを始めたのだ。


「部長、もう一回問題を言って」


 小さく咳払いをひとつすると我らが吹奏楽部の部長さんは、さきほどと同じになるように言葉を選びながら問題を繰り返した。


「この吹奏楽部には顧問の先生に秘密の伝統がある。暑い日や雨が降りそうな日になると、顧問の先生に言われる前にランニングの準備をしてここに集まるんだ。それはなぜでしょう?」


 先輩たちが始めたのは『ウミガメのスープ』というクイズゲームだ。

 私はそれをぼんやりと聞きながらも、今日はランニングが無ければいいのにと考える。


「それって、作り話?」

「いいえ。本当のことだよ」


「部長は体力作りが大好きだから?」

「いいえ」


 その答えに、部長がそんな事を言ってよいのかと笑い声と野次がとんだ。

 吹奏楽の演奏は体力を使う。

 文化部と言いながらも、その活動である演奏はけっこう体力をつかう。

 だから演奏が上手くなるためには体力づくりも必要となり、こうやって部活のしめにランニングを行うのだ。


 そんな顧問の先生を待つ僅かな待ち時間に、三年の先輩が始めたのがこのクイズゲーム『ウミガメのスープ』である。


「暑い日は部長でも走りたくないんですか?」

「はい」


 こうやって「はい」か「いいえ」だけの答えから、正解を探すのが『ウミガメのスープ』のルールだ。


「うーん、俺たちがそのまま音楽室に居たらどうなるかな?」

「音楽室で先生が俺たちにランニングをしてこいって言うだけ」

「何処に居てもなにも変わらない。意味がないよね?」

「違いはなんだろう?」


 先輩たちは相談をして、思いついた事を部長さんに問いかける。


「部長、それは先生を外に出すためですか?」


 部長さんがニヤリと笑う。


「……はい」


 初めて出た「はい」に歓声があがった。

 その頃には聞いていただけの私も、答えが気になっている。

 私だけではない、他のみんなも頭の中では答えを考えているだろう。


 私は頭の中で何度も問題をくりかえす。

 本当は走りたくないのに、校庭で先生を待つ。

 先生を外に出すために外で待つ。


 まず最初に先生は音楽室に行って、私たちが居ないのを確認するだろう。

 それから職員用玄関を通って、この体育館裏を目指して歩くことになる。

 今日も太陽は元気いっぱいだ。

 先生は手で日差しを遮ったり、ハンカチで汗を拭ったりするだろう。


 あ、わかったかも。


「ギブアップか? だったら答えを言うぞ」

 

 私は思いついた答えが正解なのか気になってワクワクしている。


「悔しいなぁ」


 回答をしていた先輩たちのグループがお手上げなのに満足そうな部長さん。

 そうしたら部長さんが私たち後輩にも声をかけてきた。


「誰かわかったか?」


 聞き耳をたてて楽しんでいたのがバレていたのだ。

 でも、私は手を挙げたりはしない。

 私はそんな目立ちたいタイプではないからだ。


「はい! はい!」


 そうしたら手を上げた部員が居た。

 私の他にも答えがわかった生徒が居たのだと、少しだけ残念に思う。


「先生にその日の天気を実感させるためですよね?」

「はい」


 予想とおりに「はい」を引き出せた部員は、自分の予想があたってると自身に満ちた笑顔になる。

 それは私も同じだった。


「答えはこうです。暑い日や雨が降りそうな日に、顧問の先生に外を歩かせてランニングをやらないほうが良い天気と分からせるためです」


 おぉ。

 先輩からなるほどと声が漏れた。

 この答えは私とまったく同じだ。

 これは当たりでしょう?


「正解だ」


 部長の発表に、またしても部員たちが声をあげた。


「これは我が吹奏楽部の伝統なんだ。次期部長へ俺からの大事な引き継ぎだぞ。わかったか、佐藤」


 私の隣に座っていた男子が大きな声ではっきりと「はい」と応えた。


 佐藤くんは私と同じ学年だ。

 ちょっと口数は少ないけれど、とても真面目で顧問の先生や先輩からも信頼されている。


「では佐藤。次はお前が問題を出せ」


 佐藤君はそういうのが苦手だ。

 答えや目標のあるものにはとても強いけれど、逆にみんなを楽しませるなんて事は出来ない。


 どうして知っているかって?

 じつは私と佐藤くんは小さいときに同じ習い事をしていた事があるのだ。

 自由気ままに演奏する私の隣で、への字口で楽譜通りに鍵盤を叩いていたのを覚えている。

 ご指名を受けた佐藤くんは困った顔をしながらも立ち上がった。


「本当の事で、皆が知らない事をクイズにしたら良いんですか?」


 上級生を前にして敬語を使う佐藤くんは、普段よりも落ち着いて見える。

 なんだか大人みたいだ。


「まぁ、そうだな。そのうえで皆が驚いて楽しめるものが良い」

「そうですね」


 佐藤君は少しだけ考えてから、なんでも無いことの様に問題を言った。

 いや、問題というのはクイズではなく問題発言だったのだ。


「僕の好きな人は誰でしょう?」



 静まり返ってしまった。

 騒いでいた男子部員はもちろん、聞き耳を立てていた私たちを含めた全員が一瞬で静まりかえった。

 セミの鳴き声まで止まった気がする。


 そして次の瞬間には、セミにも負けない大騒ぎになってしまった。


「佐藤、おまえそれは!?」

「流石は吹奏楽部の不思議ちゃんだ!」

「それはウミガメのスープとしてどうなんだ?」


 ピーチクパーチクと鳥のように言いたい放題だ。

 私だって言いたいよ。

 そうやって騒いでいると、部長さんからの鶴の一声が出た。


「面白いから良いじゃないか」


 これで、次の問題が決まった。

 部活で部長といえば神様よりも偉いのだ。

 これから始まるのは、佐藤くんの好きな人を当てるクイズである。


「そうですね。制限時間を決めましょう」


 佐藤君が腕時計のアラームをセットした。


「こんな時でも真面目だな」


 部長が苦笑いをしながら言う。

 こんなとき、最初に質問をする人は限られると思う。

 誇らしげに的確な質問をする人か、ウケ狙いの質問をする人だ。


「はい、はい! 質問! 佐藤君が好きなのは女子ですか!?」


 男子はウケ狙いの質問だと笑い、女子は息を飲んだ。

 佐藤くんは最初に飛び出したのが奇妙な質問だと思ったのだろう、不思議そうに首をかしげる。


「はい?」


 質問した女子は残念そうだけど、そこは勇者を称えたい。

 この的はずれな問いかけが、質問のハードルをぐっと下げてくれた。

 その後は矢継ぎ早に質問が浴びせかけられる。


「この学校?」

「はい」


「同学年ですか?」

「はい」


「吹奏楽部ですか?」

「はい」


 おぉぉ。

 同じ吹奏楽部となれば、ここにいる部員が答えとなる。

 これにより、ますます質問に熱が入った。


「楽器はトランペットですか?」


 きた。

 楽器潰しなら数名まで絞り込める。


「……なんとも言えない」


 あちゃ。

 そう、ウミガメのスープにはこれがある。

 「関係ない」とか「なんとも言えない」という回答もあるのだ。


「まぁ楽器は、コンテストによって変わることもあるしね」


 そう、うちの部は人数が少ないので、編成によって楽器が変わることもあるのだ。


「ロングヘアですか?」

「ロングってどこからです?」


 女子生徒の絞り込みは、予期せずに佐藤くんの女子に関する知識磨きになっていた。


「普通は胸のしたくらいまでかな」

「そうですか」


 佐藤くんが周りを見渡した。

 一人をジッと見つめたりはしない。

 好きな子だけを見るとバレてしまうと考えての行動だろう。

 まぁ、真横で座っている私は視界に入っていないけどね。


「いまなら女子の胸を見ても大丈夫だな」

「はい」


 大真面目に答える佐藤くん。

 しかし、この質問の回答を私は察していた。

 佐藤くん「どちらとも言えない」か「わからない」と答えることになる。

 だって、私みたいにロングでも縛っている女子がいるからね。


「はい。ロングヘアです」


 あれ? 予想がはずれた。

 意外と普段から相手を見ているらしい。

 モテる男になれるぞ。


「ピアノが弾けますか?」

「……はい」

「おぉ、これは決まりじゃ無いか?」


 そうだ。

 これまでの条件に当てはまってピアノも弾けるとなれば森さんに違いない。

 皆、そう思っているだろう。


 でも。

 条件に当てはまってピアノが弾ける女子がもう一人だけ居る。

 その女子はもう、ピアノを人前では轢いては居ないけれども確かに弾けるのだ。

 佐藤君はその女子がピアノを弾ける事を覚えているだろうか?


 答えは決まったと皆はお互いの顔を見て確認する。

 代表してひとりの生徒が答えを言った。


「はーい。正解は森さんです」


 でもその回答だけど、部員はあまり盛り上がっていない。

 なぜなら。


「あら、私? ごめんね佐藤君、私は部長一筋なのよ」


 そう。森さんは部長さんと付き合っているって皆が知っているから。

 森さんの返しに、またも部員が大笑いした。


「佐藤が振られたぞ」

「佐藤、俺が慰めてやるぞ」


 人気者の森さんならば「憧れていました」なんて感じで、冗談で済ますことが出来る。

 上手い人選でオチを付けたクイズだったという空気が皆に流れた。

 私は隣に座り直した佐藤くんを褒め称えた。


「なんだ佐藤くんも冗談が言えるじゃん」 


 部長さんの無茶振りを乗り切って、場を盛り上げたのは大したものだと思う。


「森さんに憧れてたなんて知らなかったよぉ」


 折角の機会なので、からかい倒してやろう。

 ところが、佐藤くんの返事はなんだか変なものだった。


「いいえ」

 

 そのとき、顧問の先生がやってきた。

 滝のように流れる汗をハンカチで拭っている。


「今日は暑いな。こんな日でもランニングの準備とはやる気があって良いぞ」


 部長さんがもちろんですと応える。

 さぁ、吹奏楽部の伝統はどうなってしまうのだろうか?


「校内スマホ禁止とか不便すぎるだろ。せめて部長には連絡用で持たせるべきだよ。危機管理としても大事だと先生は思う」


 よし! いい感じの前振りですよ先生!


「こんな所まで来なくても済みますからね」


 部長さんも自然に会話に乗った。


「まったくそうだ。さて、そのやる気は素晴らしいがランニングは無しだ、こんな日に走らせて倒れでもしたら大変だからな」


 私たちはあふれそうになる笑みを必死にかくした。

 おそらく全員がとてもとてもランニングが出来なくて残念そうな表情を浮かべているだろう。

 あぁ、素晴らしき吹奏楽部の伝統。

 みごと、炎天下のランニング地獄から私たちを救ってくれたのだ。


「では、これで解散だ。おつかれさま」

「「おつかれさまでした」」



 私と佐藤君は家の方角が同じだ。

 カバンだけを持ってそのまま運動着で一緒に帰る。


「部の伝統。あのランニング封じの技って凄いね」


 私はセミの鳴き声に負けないよう少し大きめの声で話しかけた。


「はい」


 ん?

 佐藤くんはいま「はい」と言った?

 私はセミの鳴き声よりも、佐藤くんの声を聴くために少し近づいた。


「佐藤君のクイズも上手だったよ。我らがマドンナ、森さんなら冗談で済むからね。佐藤君があんなに冗談が上手いとは知らなかった」

「いいえ」


 ほあ?


 私はここで気づいた。

 あのウミガメのスープで「答えは森さん」と言われて佐藤くんは皆と一緒に笑っていた。

 けれども、佐藤君はあのとき「はい」とも「いいえ」とも言っていなかった。


「もしかして、ウミガメのスープ続いている?」

「はい」


「あはは、なんで! 制限時間残ってた?」

「はい」


 そうなると、佐藤君は答えが森さんではないと言っている事になる。


「森さんが答えじゃないの?」

「はい」


「好きな女子がいるなんて冗談だったんでしょ?」

「いいえ」


 あのとき候補に残っていた女子は私が知る限り森さんともう一人だけ。

 私は佐藤くんの声を聞く為に近づいた距離を半歩だけ離れた。


「同じ音楽教室に通っていた頃を覚えてる?」


 すると、佐藤くんが半歩詰めてきた。


「はい」


 じゃ、私がピアノを弾けることも覚えているって事だ。


「ロングヘアでピアノが弾ける女子?」


 条件の再確認をする。

 すぐ真横にいる佐藤くんから「はい」が返ってきた。

 私は佐藤くんの顔が見れず、地面を見ながら彼の横を歩く。


「答え、わかったかも」

「言ってみて」


 セミの鳴き声が聞こえない。

 私の心臓の音のほうがもっとうるさいから。

 なんかこれおかしくない?

 佐藤くんの秘密を聞くウミガメのスープじゃなかったの?

 私のほうが恥ずかしいんだけど!


 そう思うと言葉が出なかった。

 私はうつむいて大きく深呼吸をする。


「それは。佐藤君が好きな女子は……」

「残念。制限時間終了」


 佐藤くんの言葉に驚いて顔をあげると、佐藤君は腕時計を見ていた。


「え?」

「時間切れ」


 佐藤くんが私に腕時計を見せる。

 でも私は時間切れがいつかなんて聞いてないよ。


「答え! ねぇ答えは!?」


 佐藤くんてば、なんて意地悪なの。


「もう一回、同じ問題を出してよ」

「じゃあ、今度はそっちが問題を出してよ。僕が当てられなかったら同じ問題を出してもいいよ」

「いいよ。受けて立ってやろうじゃない」


 私はすぐに最高の問題を考えついた。

 意地悪な佐藤くんを反省させる問題だ。


「問題です。私に意地悪をする嫌いな男子は誰でしょう?」


 意地悪な佐藤くんが何を聞いても「いいえ」と言ってやるんだから。 

 佐藤くんが質問を考えている。

 無駄ですよ。

 何を質問しても私の答えは「いいえ」と決めているんだから。


「本当にその男子が嫌いですか?」


 私は問題の意味を考えるまもなく、サッと決めていた返事をしてやった。


「いいえ」


 その返事に、ようやく佐藤くんの驚いた顔が見れた。

 どうだ、まいったか!?


おしまい

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ウミガメの甘いスープ 長田桂陣 @keijin-osada

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