6話

 綺堂美夜はご不満である。

 せっかく義兄の衛士と二人で水族館に来たのに、衛士はずっと誰か別の人を見ている気がしてならない。

 入口で胸の大きな双子にであったから、もしかしてその双子を探しているのかもと疑っていた。そしたら、双子が大水槽で魚たちにご飯をあげているところに再会してしまった。


 双子たちは身体つきがあからさまな水着姿をしていて、衛士も見とれているようだ。

 負けてなるかと美夜は魅了の力を使って、食欲のない魚たちがご飯に魅了されるようにしてあげた。ヴァンパイアには何かを好きにさせる力があるのだ。


 これで魚たちはご飯を食べるようになって、双子から美夜は感謝された。つまり美夜の方が双子よりも偉いのだ。双子じゃなくて三つ子とか言ってたけど、それはどうでもいい。とにかくこれで衛士は美夜に感心して、もう他の女に気を取られなくなるはず……


 あれれ?と美夜は思った。

 衛士は双子にあんまり注目していない。美夜にもだ。双子が去っていったらすぐにまたどこか別のところを見ている。遠い目をして、なんだか思い出でも追っかけているみたいだ。


 見るなら自分を見なさいと、美夜は魅了の力を衛士に向けてみる。しかしいつもどおりに衛士はまるで反応なしだ。

 衛士は気が付いていないようだが、美夜は何度も魅了の力を衛士に使ってみている。もしかして自分にそんな力はないのかもと美夜は疑心暗鬼になりかけていたけど、魚たちには確かに効いた。やっぱり衛士は耐性が強いのだろう。


 美夜はむかつきながらも次の水槽に向かう。衛士は美夜の斜め前にすっと動いて先導する。自分を守ってくれてるんだろうけど、それよりも並んで歩きたいのにと美夜は口をへの字にする。


 美夜が進んでいくと、大水槽ほどではないが大きめの水槽があった。その暗い底には灰色のホホジロザメが巨体を横たえている。

 人食い鮫とも呼ばれるホホジロザメはぎょろりと凶悪そうな目つきだ。口の隙間からは鋭い歯並びが覗く。


 水槽の前で美夜は鮫を眺める。

 衛士は一歩後ろに立つ。美夜と一緒のものを見てくれてはいるんだけど距離感がある。それが前の時も不安だったんだと美夜は思いかけて、前の時っていつだったかといぶかしむ。美夜にはヴァンパイアになる前の記憶がなくて、今の美夜が水族館に来たのは初めてだ。


「お兄ちゃん、あたしを見てよ」

 美夜が文句を言うと衛士は戸惑った声で、

「見てるだろ?」

「ほんとお兄ちゃんわかってないし」


 いらついてきた気持ちを美夜は鮫にぶつける。人食い鮫なんて呼ばれて偉そうにしてるけど、お前たちなんかあたしが食べちゃうぞ。


 鮫は急に激しく動き出して、水槽の奥へと泳いでいく。その動きからは恐怖が感じられる。鮫よりも強い捕食者と遭遇してしまったのだ。


「わかった? お兄ちゃん。あたしは鮫よりも強いんだから」

 衛士は困った表情で、

「おいおい、また美夜がやってるのか? 鮫が怖いからってそういうのは止めておけよ。迷惑だろ」


「だからそういうんじゃないんだってば!」

 美夜はかっとなり、地団太を踏もうとして、しかしバランスを崩す。足に力が入らなくて、ふらりとする。


「危ない!」

 衛士がすぐに両手で美夜を支えた。ふらつく美夜を衛士は抱きかかえて近くの椅子にまで連れていく。


 美夜はぐったりと座り込む。

 側に立つ衛士は心配顔で美夜を見下ろしてきて、

「大丈夫か? 気分が悪くなったのか?」


 美夜は力の入らない声で、

「お兄ちゃん…… もうだめ……」

「お、おい! しっかりしろ!」


 あせる衛士を美夜は焦点の合わない目で見ながらつぶやいた。

「お腹減った」


 衛士はちょっと呆れた顔になる。

「……弁当をあんなにたくさん食べたよな?」

「仕方ないじゃん…… 魅了は疲れるんだから……」


 衛士は周囲を見回し、

「ここで美夜が食べられそうなものは」


「お兄ちゃんの血」

 美夜が食い気味に言う。


「だからそれはダメだって言ってるだろ」

「このままだと、あたし死んじゃう……」


「アンデッドってもう死んでるんじゃないのか?」

 衛士の無神経な物言いに美夜はむっとして、

「お兄ちゃんは、あたしが灰になっちゃってもいいの!?」


「い、いや、でも、意外と元気だな」

「……あ、魔力がもうない…… 消える…… 灰になる……」

 美夜は力なくうなだれてみせる。目にも光がない。力を使いすぎてお腹が減って、動く力がないのは本当なのだ。鮫を脅かしたら力が尽きた。やりすぎだったけど、お兄ちゃんが悪いんだからしょうがない。


「カフェテリアのハンバーガーとか、カレーとか買ってくるか?」

 衛士の言葉に美夜は目を泳がせて、

「……血が入ってないからいらない」


 途方に暮れている衛士に美夜は弱弱しく手を伸ばし、

「血を吸わせてくれないなら、それがいい……」

「どれだ?」


 美夜は衛士のパーカーの袖を握った。

「これ」


 衛士はきょとんとして、

「これって、パーカーのことか?」

 美夜はこっくりとうなづいてみせる。


 衛士は心底困惑した顔になり、

「こんなの食べ物じゃないだろ。汚いし、消化できないぞ」


「お兄ちゃんがまめに洗濯してるの知ってるし。消化じゃなくて魔力に変えちゃうんだし」

「どうしてパーカーが魔力に変わるんだよ」

 衛士は怪訝そうだが、それが美夜の能力のひとつだ。衛士の使っているものなら、そこに残っているオーラが少しは血の代わりになって魔力を補充できる。


 しぶしぶといった様子で衛士はパーカーを脱ぎ、美夜に差し出す。


「いただきます」

 美夜はパーカーにかぶりつくや、あっという間に平らげてしまった。おいしい。それだけじゃなくて、オーラに残留している衛士の記憶イメージも伝わってくる。


 記憶イメージは、暗い室内、青い水、きらめく魚の群れ。そして少女。

 今ではない、もっと前のイメージ。

 イメージはずっとこの少女を映し出している。

 美夜は理解した。衛士は水族館でずっとこの少女の面影を追っていたのだ。

 悔しい。嫌だ。あたしのお兄ちゃんなのに。

 少女は弱弱しくて、おとなしくて、衛士に怯えている。

 衛士はずっとその子を見つめている。

 美夜は喘ぐ。ああ、この子はあたしだ。まだ生きていた頃の。

 美夜は気付く。この過去に呼ばれて自分は水族館に来たのだ。


「おい、美夜、しっかりしろ!」

 肩を揺らされて、美夜は現実に帰ってくる。


 衛士が泣きそうな顔で美夜の肩を掴んでいた。

「やっぱり、あんなものを食べたから……」


 だが、美夜は力強く立ち上がる。

「ううん、大丈夫だよお兄ちゃん。あんな女に負けてられないし」


 元気を回復した美夜に衛士はほっとした様子だが、

「あんな女? 何を言ってるんだ?」


「お兄ちゃんがずっと見てる女だよ」

「は? 俺はずっと美夜を見てるだろ」


 美夜は思う。衛士の言っていることは正しいけど正しくないのだ。

「ほんっとーにお兄ちゃんわかってないよね」

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