第7話 グレイアス・ジョナー・アガムスト

 俺の父は、アガムスト王国を統べる獣王だ。

 長く美しい黄金の髪を靡かせ、同色の獰猛な瞳孔を眇め相手を暴圧し一瞬で屠る。

 王と正妃の間には二人の息子がいた。

 第一王子のルーセルト・ジョナー・アガムスト。そして第二王子のグレイアス・ジョナー・アガムスト。俺だ。

俺たち兄弟は、仲が良かった。勉強も、武術訓練も、何でも競い合いお互いを高めて過ごした。

 そんなある日、俺たちは父に呼ばれて継承の間へ足を運んだ。

 父に見せられたのは、一つのリング。そう、虹魔石が嵌っている指輪だ。

 父は言った。

 

 

 「この指輪は代々継承されてきた、溜めた魔力を自由に使うことのできる唯一の指輪。しかし、これまでこの指輪を嵌められたものは居ない。歴史に残された一人の者を除いて」



 王の中の王と慕われる厳格な父でさえ、このリングは嵌められなかったという。

 早速兄弟で試し、選ばれたのは俺だった。

 そのとき、父は金目を一瞬細め、俺の頭を叩き一言「よくやった」と褒めてくださった。

 俺は父に認めてもらえた気がして有頂天になっていた。

 

 

 だから、兄上がどんな表情をし、どのような感情を抱えていたかなど、考えてもいなかった。



 継承の間を飛び出した俺は母上の元へ急いだ。「よかったね」その一言を期待して。

 母上は言った。

 


 「なぜお前なの」



 憎悪に満ちた一言に現実を受け入れられず、俺は逃げた。

 


 今思えば、それは悪手だったのかもしれない。

 

 いや、例え母上と真向に対峙しても、結局は変わらなかったのかもしれないが。


 

 数日後。

 俺の元へ暗殺者が送られてきたのは、悪天の真夜中だった。窓から飛び出して豪雨の中、命からがらに逃げ切った俺は、気づけばどこかの崖に立ち、息を整えていた。

 直後、僅かに聞こえる足音。

 近づいて来る兄上の姿に喜色を浮かべたのは、一瞬。

 俺の金目は、滂沱しながら憎悪に歪む兄上の顔と、振り上げられた剣先を映し。


 

 「また……お前に負けた……。私の前に、いつもお前が立ち塞がる!」

 

 

 兄上の慟哭。

 全てを理解し、思考を放棄して死を待った。 

 

 

 ……筈だったのに。



 何故か俺の小さい体は宙を舞って。



 下方からの風に煽られながら垣間見たのは、崖下に手を伸ばしている兄上の泣き顔だった。



 ――いいんだ、兄上。泣かないで。苦しめて、ごめんね。

 


 体が激しく打ち付けられ息が詰まった瞬間。



 ――誰か、助けて……。



 意識がプツンと切れる寸前に思ったのは、そんなこと。







 


 



 次に目が覚めたら、俺は雨の中、狭くて暗い、硬い地面の上に転がっていた。



 刹那、思考が溶けるような甘い香りに惹かれ、起き上がる。と同時に、子狼の姿であることと、指輪は小さくなった指と一緒に縮んでいることに気付き、安堵した。

 痛む体で、光の差すほうへ出る。男が一人立っていたが、甘い匂いの元ではない。

 通り過ぎようとして激痛によたつき、男に当たったら蹴られて死ぬかと思ったその直後。

 「おいで……」

 甘く響く声色に振り返る。

 目に映る、傘を差した少女が差し出す小さな手に、俺は縋った。

 

 

 少女の母親を一目見た瞬間“同じ”だと感じた。相手も驚愕していたし、間違いない。流れるように体を洗われた時、彼女は俺の指輪に気付き、暫く見下ろしていたと思う。

 「……あなたも、大変なことがあったのね……」

 上からぽそりと落ちてきた言葉を、確かに聞いた。

 綺麗にしてもらって少女の元へ駆けると“ナッツ”と名付けられ、俺はここから第二の人生が始まるんだと思った。

 


 母親は、セイラと言った。

 彼女は、まるで俺がどこから来たのか知っているかのように、ぽつりぽつりと言葉を零す。

 

 

 「わたしがね、ここに来た時、もう娘を身ごもっていたの」

 「もう死ぬかなって思ってた時、わたしを優しいご老人夫婦が拾って住まわせてくださったの」

 「実の娘のように想ってくださって、涙がでたわ」

 「老衰で亡くなられたのだけど、恩を返せたか今でも分からないのよ」

 「娘はね、学校っていう所で、お勉強しているの。教材を持って帰るから、あなたも一緒に眺めるといいわ」

 「時々ね、向こうのことを考えるの。……いつか、会えるのかしら」

 「この世界にはね、紙に映像を残せる道具があるのよ。でも、残したくないの」

 「本当は、残してみたかったけど、誰にも迷惑かけたくないし、かけても分からなくなるから使えないの。……内緒ね?」

 「あなたの石は、乳白色からオパールのようになったわね。わたしのほうは、あまり変化がないの……力が、少ないからかしら。でも、あなたなら……いつか、きっと」

 「娘が大きくなったら、向こうのことを話そうかと思っているの」

 「ねぇ、お願いがあるの。もしわたしに何かあったら……指輪と、娘をお願いできないかしら? もちろんすぐ死ぬなんて思っていないわ。だって、娘の結婚式も見ていないもの!」

 

 

 それから暫くして彼女は、十三歳の娘を残し、交通事故で帰らぬ人となった。

 


 俺は四六時中、娘の明花のあとをつけまわるようになった。拾ってもらった命が尽きるまで、必ず守ってみせる。そう誓ったから。

 けれど時が経つにつれ、膨らむ他人への嫉妬に俺は耐えきれなくなっていった。

 そして学校が夏休みに入った日の夜、眠っている明花の上に跨り、叩き起こしたのだ。

 彼女は、毎日辛そうだったから、指輪の話をして、留まる国を選択してもらおうと思った。もちろん明花が地球を選ぶなら、俺もこのまま過ごすつもりで。

 しかし彼女は、俺が望むところにすると答え、俺は故郷を選択し、明花の指輪で転移した。



 着いた直後、なんの運命のいたずらか。

 明花の実父だという男に出会った。これで明花はもう心配ない、そう思った。

 あとは、自分のことだ。

 俺は、故郷に戻ったら家族に会おう、と考えているわけではなかった。むしろ、居ないほうがいいだろうと思っていた。

 

 

 しかし流石に、自分がいた時代よりも過去に転移してしまったと知った時は、やるせなかった。

 信じたくない。だから、己の目で確かめにいこう。そう考えていた矢先、閣下が明花を王都に誘った。

 俺も同行することで明花との思い出づくりだけでなく、治安や路地の作り、店の並びなどの情報を得ることが出来たのだ。

 翌朝、俺は閣下から許可を頂いて馬車を借り、王都にある王宮へと向かった。

 果たして王宮は、俺が住んでいた時と変わってはいなかった。

 あえていえば、門番をしている虎獣人の衛兵は見覚えない顔で、建物は僅かに綺麗だったことだろうか。

 虎獣人の虫の居所が悪かったのか、眺めただけで不審者扱いされた。

 それだけならばよかったのだが、俺が嵌めているリングを見た途端顔色を変え、盗人として牢に繋がれてしまったのだ。

 指輪を外しておかなかったことが、悔やまれる。

 一度軽い暴行を受けはしたが、こちらも獣人の血を引いているので体は丈夫だ。

 それが、唯一の救いだろう。

 天井と床から伸びている枷に繋がれて、どのくらい経っただろうか。

 じくじく痛む体と己の愚かさから生じた結末に天を仰ぎ、溜め息を漏らす。

 「明花……ごめんよ……」

 この言葉が、彼女に届くことはないだろう。

 もしかしたら、一生。




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