第6話 外出

 その夜、私はリュックサックを両腕に抱え、おじいさん――……父のもとを、訪れた。満面の笑みを浮かべ迎えてくれた父に、リュックの中にあるお母さんの遺灰を見せる。

 「あの……これ、母の……遺灰、なんです」

 目を剥いたアップルグリーンの瞳が潤む。差し出された震える両手に遺灰入りの箱を渡すと、大事そうに抱きしめた。

 呻き声と鼻のすする音が室内に響く。やがて、正面から「ありがとう……」と聞こえ、瞼を伏せる。

 「そ、その……お、お父、さまの……好きになさってください……私、こちらのことは何も分からないので……」

 一瞬ぴたりと震えが止まった父は片手で顔を覆うと、喉から絞り出すように言葉を紡ぐ。

 「あぁ……ああ……! あり、がとう……!」

 「それでは……失礼します。おやすみなさい、お父、さま」

 嗚咽を漏らす父にお辞儀をし、リュックを抱いたまま退室すと、真っ先にナッツの部屋へ向かう。

 ドアをノックしてから入ると、窓の外を眺めるナッツの背中が見えた。お腹に腕を回して抱きつくと、私の手にナッツのそれが重なって、その温もりに安堵する。

 「……明花、ありがとう」

 その言葉に答えるように、腹に回した腕に力を入れた。

 

 その夜も、私たちは今までと同じように一つのベッドに並んで眠った。

 

 



 翌朝、私たちは父の声によって目覚めた。眉間に皴を寄せて何か言いたげだったが「よく眠れたかい?」と当たり障りのないことを訊かれた。

 今までずっと一緒に寝てきたのだ。このまま現状維持できればいいなと思う。

 特に、ナッツの様子がおかしい今は。

 

 用意された服に着替えた私たちは、朝食のあと父に呼ばれてナッツと共に執務室へと通された。

 中で父と会話していた男性がこちらを向き、目を丸くする。私は内心、首を傾げた。

 「本当に……そっくりなのだな! わたしは息子のドリド・モルドー。宜しく! まぁ養子なんだけどな!」

 一歩距離を詰めた男性がにこやかに手の平を差し出した。そっと重ねた指先は、軽く握られて離れていく。その手が、薄茶色の髪を掻き上げる。

 「それにしても、少し……不思議な色合いの髪色だねぇ? ……ううん、これは……」

 身を乗り出し、細めた藍色の瞳でジッと観察する。

 「何かで染めてるのかな?」

 「あ、はい。髪染めというものがありまして……、幼い頃から母と一緒に使っていました」

 「ふぅーん、なるほどなぁ。そういえば、メイカ様はいまいくつかな? ちなみにわたしは四十だが……うん。どう見てもわたしの方が年上だろうし、お兄様と呼んでくれて構わないぞ!」

 「こら、女性に年齢を訊くものではないよ」

 「いやぁ。こういうことはちゃんと確認しておかないとだな!」

 「あ、あのですね!」

 語尾を強くしたことで父とドリドが同時に振り向き、心臓が跳ねた。たじたじになる。

 「あ、いえ、あの……歳は、十八です。あと……様は、不要です……お、お兄、さま」

 「もう呼んでくれるのか! ありがとう! ところで、騎士のように側にいる獣人の君は?」

 ピクリと耳が動き、半歩前に出たナッツが口を開く。

 「私はグレイアス・ジョナー・アガムストと申します。歳は二十五です」

 緑と藍の瞳が胡乱気にナッツを見据える。反射的に前に出た私は、背中でナッツを庇った。鏡を見なくても分かる。今、私は怖い顔をしているに違いない。

 「す、すまないメイカ。聞いたことがない国の名前だったから」

 父の言葉に眉尻を吊り上げる。

 「どんな理由があったとしても、ナッツを疑わないでください! 地球で私が十歳だった時から、ナッツと一緒に過ごしてきたんです。母が亡くなったあとも、孤独だった私をずっと支えてくれました。ナッツがいなかったら、私は……私は……どうなっていたか、わかりません……!」

 「すまない。事情を知らないとはいえ、礼儀を欠いた行動だった。ナッツ君、申し訳ない」

 「……いいえ、お気持ちは理解できます」

 ドリドの謝罪を聞いても元気がない耳と尻尾を見た明花は、ナッツの指先に自分の左指を絡め、ぎゅっと握った。

 気付いた金の瞳が明花に優しい眼差しを送り、ナッツの右手が愛おし気に頭を撫でる。私は、空いている右手をナッツの右手に重ね、にっこりした。

 ナッツの揺れている尻尾を目線で追いかけながら、ドリドが笑う。

 「本当に君たちは仲がいいのだな!」

 「そうだね。……ところでメイカ。チキュウというのは……?」

 父の疑問に私は目を瞬いた。

 「……知らない、のですか?」

 「僕は知らないな。ドリドは知ってるかい?」

 「いいえ、父上。わたしも初耳ですね! ふむ……『転移』で行くのかな?」

 「おそらく、指輪が鍵なのだと……」

 ナッツが右手の中指に嵌めている指輪を見せる。

 「これは……! 虹魔石じゃないか! どうしてこんなものを!」

 「これは、わたしが受け継いだものです」

 声を上げたドリドに対し、静かに説明するナッツにぴっとりとくっついた私は、右手を出した。

 「私の指輪はお母さんから譲り受けました」

 「……うん、これもそうだね」

 母の指輪を眺めてしみじみと漏らす父に、私は首肯する。

 「その指輪は、侯爵家の僕たちも手にすることが出来ないほど希少なものなのだが……なぜ、セイラは……」

 「それは、私には分かりません。ナッツは知ってる?」

 「いいや、聞いていないよ」

 「誰かから貰ったのか……しかし、誰から……」

 ブツブツ呟きながら、ドリドは遠くを見つめた。

 「そうだ、メイカ。こちらのことも勉強してはと思うのだが、どうだろう? やる気はあるかい?」

 「勉強、ですか?」

 「ああ。ナッツ君と暮らすにしても、これから先の事を思えば礼儀作法や歴史など色々学んでおいた方が生きやすいだろう?」

 「……そう、ですね……」

 父の言葉にナッツを見上げると、微笑んで首を縦に振っている。視線を戻した私は頷いた。

 「やってみようかなと思います」

 「うん、それがいいよ。探しておこう」

 「はい、宜しくお願いします」

 お辞儀をすると、父は穏やかな表情で笑う。次いで指輪について熟考したままのドリドを一瞥し「これは暫く戻ってこないかな~」と囁いたものだから、私は軽く吹き出してしまった。

 「そうだメイカ。明日の午後に王都を見物にでもしに行かないかい? 服とか必要なものも見繕わなければならないだろう?」

 「いいですね。行こうよ、明花」

 「うん!」

 地球では、ナッツと手を繋いで歩くことは不可能に近かったが、この国ではそれが出来るのなら喜んで行く! 

 明日のことを考えて私の心は浮きだった。


 

 「あぁ~お風呂気持ちよかった!」

 ごろりとベッドに仰向けで転がると、意識がとろんとしてくる。

 「眠そうだね、明花」

 ぎしりとスプリングが軋んだ音を立てる。私を見下ろすナッツの表情は昨晩と違って和やかだ。悩み事が早く解決したらいいなと心から思う。

 無言で耳をジッと見つめているとナッツが小首を傾げた。

 「どうしたの?」

 「ん~」

 ベッドに一人分のスペースを空け、たしたしと叩く。

 「寝る?」

 「うん、ねむたい」

 「分かった」

 おかしそうに笑ったナッツが空けたスペースに転がって、私と顔を見合わせる。額にナッツの熱い唇が触れて、幸せを感じた私が表情を崩すと、黄金の瞳が甘い眼差しに変わった。

 そっと手を伸ばし、ツンと立っている耳の先に触れるとびっくりされたけど「触っていい?」って訊いたら、無言で頷いてくれた。親指の腹で毛の感触を味わっていたらナッツの顔が赤くなっている気がして、暑くなったかなと思い、ずっとモフりたかった尻尾に移行する。

 一瞬、ナッツの体がびくっと震えたので「痛い?」と訊いたが、俯いたままふるふると否定したので、それならばと揉んだり梳いたりと堪能してから、ぎゅーと胸に抱きしめてみた。あぁ、いい匂い。柔らかい。素晴らしい。

 ナッツの温もりと匂いに包まれているうちに眠ったらしく、翌朝、気分爽快で目覚めた。が、ナッツは心なしか疲労が溜まっているように窺えて、私はなんでだろう、と首を傾げた。

 

 

 お昼過ぎ、約束通り父がコンコンと扉を叩いた。

 父を先頭に三人で外に出ると、二頭立ての馬車が止まっており、側に御者と従者が立っている。私、ナッツ、父の順で乗り込むと、少ししてからゆっくりと動き始めたのだった。

 カーテンの隙間から窓の外に流れる景色を堪能しつつ、隣のナッツの様子を窺う。表情が少し硬い気がするなぁと思い観察していると、たまに彼の耳がピクピクしていておかしかった。きっと、私には拾えない音を聞いているんだろうなぁと妄想する。たまになら良さそうだけれど、ずっとっていうのはちょっと嫌かもしれない。

 小一時間は経った頃、王都の中の一角で馬車が停まった。

 こちらでお待ちしております、と慇懃に腰を折る従者に一言添えた父は「さぁ、行こうか」と私の背中をそっと押す。隣にはナッツが居てくれるので不安はない。ただ、あんな立派な馬車に二人しか残らないなんて、とつい振り返ってしまう。

 「明花、大丈夫だよ。遠くから護衛がついて来てるから」

 「えっ! そ、そうなの?」

 「うん。安心して?」

 「うんっ」

 胸を撫で下ろして微笑んだ私の頭を、ナッツの手が優しく撫でる。思わずその手を捕まえて平に頬ずりしたくなるけれど、今は我慢しなくては。邸に帰ったらたっぷり甘えよう。

 父親の案内で足を踏み入れたお店は、とてもお洒落で高そうなドレスが並んでいたが、慣れていない私は肩が凝ってしまいそうで、躊躇してしまう。

 それでも何枚か試着し、ワンピースのような感じの当たり障りのないものを買ってもらって、事なきを得る。ちょっと疲れたけど、ナッツに蕩けるような笑顔で「可愛いよ」と言ってもらえたので、良かったと思う。そのうちナッツの着せ替えもしてみたい。

 お店を出て精神的にふらふらしていると「少し休憩しようか」と、父がカフェへ連れていってくれた。

 二階建ての白基調なカフェで、店内には所々にお花が飾ってあり、とても綺麗だ。

 窓際の四人掛けテーブルに案内され、私たちと父が対面して座る。

 店員さんに、オススメはフルーツタルトと聞いたので頼んでみたら、カットされたフルーツで花を模したものが出てきて驚愕した。食べるのがもったいない。ここにカメラがあったら迷わず写真撮ってたのになぁ。本当、勿体ない。

 ナッツは苺のショートケーキで、父は珈琲だけで済ませたようだ。甘い容姿なのに甘党ではないらしい。

 食べたらお腹いっぱいになってしまって睡魔が襲ってきた。

 ウトウトしながら馬車に乗り込むと、馬車に合わせて体が揺れ出す。

 同時に私の意識は途切れてしまったようで、目覚めたら邸の前だった。あと小一時間もしたら今度はお夕食なんだけど、果たして食べれるでしょうか。

 数時間後には寝る準備が完了し、ベッドに転がっていた。精神的にも肉体的にも少し疲れた。

 隣に並んだナッツは眠くないのか、目が閉じそうな私を眺めて優しく微笑んでいる。

 「ナッツ……、今日、隣を歩けて、嬉しかったし、楽しかった……。おやすみなさぃ……」

 

 


 どうやら、そこで私は寝てしまったらしい。

 外出で余程疲れたのか今までの疲労が溜まっていたのか、起床した時はお昼前でちょっと落ち込んだ。隣にナッツも居なかったし。

 慌てて着替えて父の所へ挨拶をしに行くと、硬い表情で早めの昼食に誘われた。

 ナッツがいないからと断ったのだが何故か言いくるめられて、今、私は馬車に揺られている。

 「……お父様、そんなに美味しいお店があるのですか? でしたら私、ナッツとも一緒に行ってみたかったです……」

 「うん……」

 小難しい顔で両腕を組んでいる父を見て、なんだか胸騒ぎがしてきた。

 訊きたくない。けれど、口にせずにはいられない。お願いだから、ナッツに何かあったとか言わないで、お父さま。

 「……何か、あったんですか? ずっと様子が変ですよ、お父さま。……ナッツは……」

 伏せていた目が開き、アップルグリーンが私を見据える。その表情は……厳しい。嫌になる。嫌な予感だけいつも当たるんだ。

 「ナッツは……ナッツは、大丈夫なんですかっ!?」

 恐怖に胸が締め付けられて声が震える。心配で心配で気が狂ってしまいそう。

 「……今朝早く、ナッツ君は用事があるから馬車を貸してほしいと言って来てね、王都へ向かったんだ。王宮の近くで彼を降ろしたところ、真っ直ぐ王宮へ向かって行ったらしい。そして、御者の話によると口論して……」

 父は、言いにくそうに顔を顰める。

 「……捕まって、連れていかれたそうだ」



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