第4話 決意と転移

 ぐっと両肩を掴んでくるナッツに満面の笑みを返し、抱きついて広い胸に顔を埋める。はぁ、いい匂い。大好き。

 「だいすき」

 「ほんと!?」

 べりっと勢いよく離され不満を感じたが、嬉しさにきらきらと輝く金目と、ナッツの尻尾が勢いよくぶんぶんと振られているのを見て、愛しさが込み上げる。

 「本当だよ~、大好きだよ!」

 ぴょんっと抱きつけばナッツも力強く返してくれ、そのままお姫様だっこでベッドまで運ばれた。私を下ろすと背後から抱きついてきて、尻尾をぱたぱたさせながら喜々として首筋をスンスン嗅いでくる。くすくすと笑いながら、やっぱり犬だなぁと思った。

 暫くひっついたまま過ごした私がナッツを見上げると、金の瞳が愛し気に細まる。

 「ん?」

 額から頬へ、優しく滑るその手の甲に、自分の平を重ねた。

 「返事してなかったと思うんだけど、私、ナッツが帰りたいなら一緒に行く。離れたくない」

 「うん! ありがとう明花! 嬉しいよ!」

 「ふふふ! 苦しいよ、ナッツ!」

 私の楽しそうな声に、ナッツが頬同士をくっつけにきて増々表情がゆるむ。

 「なんか持って行きたい物ある? 指輪は絶対に必要だけど。というか、明花が受け継いだ指輪を使うつもりだから……」

 「んー……お母さんの、遺灰持って行きたい。荷物になるかもしれないけど……リュックにでも入れて」

 「他には……なさそう、かな?」

 「うん。写真も、一枚も撮らなかったよね、お母さん。なんでだろう……」

 「何も、残したくないって言ってたよ」

 「えっ?」

 ぱっと顔を上げると、想いを馳せるように遠くに視線を投げるナッツの顔があった。

 「いつか自分たちが地球から居なくなったとき、ここに住んでる人たちに迷惑がかかっちゃいけないから、って。何かあっても自分たちの知るところじゃなくなるからって。寂しそうに、笑ってた」

 「そ……う、なんだ……。それにしても、私の知らない所で色々話を聞いてたのね」

 口を尖らせると「うん、ごめんね」と言って、彼の耳と尻尾が少し倒れる。可愛いけど、あんまりイジメるのは止めよう。

 「うそうそ!」

 そう言って、にこにこしながらナッツの頭を撫でたら、すぐに耳が戻った。うん、可愛い。

 「ねぇ、ナッツ」

 「うん、なに?」

 柔らかい眼差しを向けられて、私は微笑んだ。

 「本当は、ナッツの名前、聞きたかったの。今度は教えてくれる?」

 「あー……うん、いいよ。俺の名前はグレイアス」

 「グレイアス……カッコいい名前だね!」

 「そうかな?」

 「うん!」

 ブンブン振る尻尾も可愛すぎるけど、と緩んだ顔で思う。

 「そろそろ夕食にする?」

 「うん!」

 「ちょっと待っててね!」

 ふさふさの尻尾がぱたぱたと揺れ、思わず捕まえたくなった。自制してキッチンへ向かうも、あとをついて来て楽しそうに覗くナッツにまた笑いが止まらない。今日は凄く幸せな日だ、と胸が熱くなった。

 鶏肉の南蛮にサラダを添えたものと、パン、スープを並べ、椅子に座ろうとしたときナッツから止められる。

 「どうしたの? ナッツ。食べたくない?」

 「違うよ! 明花はこっち」

 そう言って連れていかれたのはナッツの脚の上だった。

 「えっ! な、なに!? ここで食べるの!?」

 「もちろんそうだよ?」

 わたわたする私の口元に有無を言わさず差し出されるサラダ。金色の瞳の奥にある力強さに抵抗を諦め、ゆっくりと口を開ける。ぱくりと食べ咀嚼する私の姿を、幸せそうに蕩けそうな瞳で眺めてくるナッツに、こんな表情が見られるならいいか、と絆されることにした。その代わり私も食べさせよう。一人だけ恥ずかしい思いをするのは負けた気になる!

 そうやってお互いに食べさせ合いっこをして片づけ、入浴を済ませるとベッドに潜り込む。

 「ねぇナッツ?」

 「うん?」

 「ナッツの名前……グレイアスって長いから、グレイって呼んでもいい?」

 「いいけど、俺はナッツでもいいよ。だって、唯一のつがいである明花がつけてくれた、俺だけの呼び名だから」

 聞き覚えのない言葉に私は首を傾げる。番ってなんだろう?

 「鳥の……つがいとかの、つがい?」

 「うん、そうだよ。俺たち獣人にもあるんだ。だから俺は一生、明花しかいらない」

 蕩けるような甘い笑顔で、私の手の甲にそっと口づけを落とすナッツに、心臓がきゅんとして苦しくなる。ナッツの頬に指先を添えた私は、確かめるように訊いた。

 「本当に、私でいいの? ……後悔しない?」

 「するわけがない。明花だけだよ、俺の心に住めるのは……お前だけだ」

 優しく頭の後ろを押され、耳がナッツの胸にあたる。心音がすこぶる速い。

 ――あぁ……ナッツは、本当に私のことを好きでいてくれてるんだ……。

 もっと聞きたくて顔をすり寄せると、優しい手が頭を撫でていく。あまりの心地よさに、私の意識はいつの間にか途切れていた。

 

 

 翌朝、朝食を済ませて片づけをし、リュックサックに母親の遺灰を詰めると、譲られた指輪を握ってナッツの元へ行った。ぐるりと視線を巡らせても、特に持って行きたいものはない。

 不安があるとすれば、ナッツがいう世界に行った時、どこ・・に……落ちるんだろうってことだけど……。

 「ねぇナッツ?」

 「うん」

 「転移、とかいうのをしたら……私たち、どこに……」

 言わんとしたことが分かったのか、ナッツは唸って頭を掻く。

 「正直、よくわからないんだよね。俺も地球に来た時……あのお菓子屋さんのそばに倒れてて」

 「そうなんだ……。変なところじゃなかったらいいなぁ……」

 「こうしていこう」

 ぎゅっと抱きしめられ、思わず口が綻ぶ。

 「じゃあ、指輪を指に嵌めて、俺の体をしっかり掴んで、目を閉じて『帰りたい』って願って」

 「う、うん……わかった……」

 ごくりと唾を飲み下し、指輪を右手の中指に通してみる。虹色に光っているだけで、確かに変化はない。

 今度は思いっきりナッツの腰に手を回して力一杯抱き締めた。

 そして、目を伏せる。

 「行くよ、ナッツ?」

 「うん」

 私の体に回ったナッツの腕にぐっと力がこもった。それは、苦しいくらいで何としても離れるもんか、という気持ちを感じ、嬉しくなる。

 私は、深く息を吸い――……願う。

 『帰りたい』

 

 

 刹那、足元に描かれた何かの紋章が出現する。そして虹色の光に包まれた二人は掻き消えたのだった。



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