第6章 海浜都市レオーネ編 第5話(4)

 月夜の光と夜空の暗闇が、再び視界に戻ってくる。

 何が起きたのか探っていたクラウディアは、背後にすれ違っていたミラの声を聞いた。その声は、手負いの一撃を受けたように、重い響きを持っていた。

「流石、ですわね。この私ですらねじ伏せてしまうなんて……炎の子は健在という所かしら」

「ミラ……」

 言葉に迷うクラウディアに、ミラはまるで評価するような言葉を告げた。

「お見事ですわ、クララ。私も手を抜いたつもりはありませんでしたけれど……あなたの心を崩すことは叶いませんでしたわね。これなら、十分に目的に適えるでしょう」

「目的……? ミラ、何を――――」

 クラウディアが言いかけた途端、強烈な重圧がクラウディアの体を屈させた。まるで重力の束縛から逃れていた身がいきなり地上に引き寄せられ始めたような、強烈な重力の感覚。

 動揺するクラウディアの目の前で、ミラは諦めたような笑みを浮かべながら言った。

「これで私の役目は全て終わりですわ。名残惜しいですけれど、そろそろお別れですわね、クララ。最期にあなたと本気で手合わせできて、なかなか楽しかったですわよ」

「ミラ……まさか!」

 彼女の意図を察したクラウディアに、ミラは全てを悟ったような涼しい顔で語る。

「私のことはお気になさらないでくださいな。計画はゼノヴィア様と残りの使徒達が継いでくれますし、あなた達もいることですしね。何の心残りもなく、逝けますわ」

「待って、ミラ……!」

 言い縋ろうとするクラウディアに、ミラは穏やかな、死に臨む人のような微笑みを見せた。

「ねえ、クララ。最後に少しだけ、話したいことがありますの」

 狼狽するクラウディアを前に、ミラは静かに、まるで最期の言葉を残すように語った。

「私は、今でもあなたのように人間が好きなどという気持ちにはなれそうにありません。二度に渡って大切なものを奪われたその傷を、私は決して忘れることはできないと思います」

 でも、とミラは微笑みながら、穏やかな瞳でクラウディアを見つめた。

「私が人を信じられなくても、あなたのような人が人間を信じて戦おうとするのなら……いつか、あなたのお母様が願ったように、何かが変わるのかもしれませんわね。私は人間を信じられないけれど、あなたのことならきっと信じられます。あなたに託しますわ、クララ。私の――私達の囚われたどうしようもない深淵を、あなたが解き放ってくれるのを」

 語るうちに、二人を乗せた光の円陣が罅割れていく。

「ミラ……だめ、逝ってはだめ! 死なないで!」

「私のことよりご自分の心配をなさいな。もし再び見えることがあれば、その時は――」

 言いかけて、ふっと微笑み、ミラは最期の言葉を告げた。

「私の完敗ですわ。ご機嫌よう、クララ。あなたの道に女神の加護がありますように」

 その言葉と共に、クラウディアとミラを乗せていた光の円陣と加護が消えた。中空に放り出されたクラウディアは、自らの身も案じず、墜ちてゆくミラに向かって手を伸ばす。

「ミラ――――――!」

 クラウディアの叫びも空しく、ミラは超高度からイリアス湾の海面に向けて落ちていく。クラウディアも同じだが、お互い力を使い果たしている分、まともに落ちればただでは済まないだろう。だが、足場のない空中では何の為す術もない。

「ミラ……死なないで、ミラ―――――‼」

 クラウディアの叫びが夜空に響く中――眼下から、一筋の光が空を駆けるように走ってくるのをクラウディアは見た。高速で空中を疾駆するそれは、見る間にクラウディアの方へ接近してきた。

 それは、人を乗せられるほどの大きさの、一羽の巨大な細首の鳥だった。その背に乗った小さな人影が、落下していたクラウディアをすれ違いざまに抱き留め、回収していく。

 クラウディアは、自分を抱き留めたその少年の顔を見て、仰天せざるを得なかった。

「クラウディア、無事ですか?」

「クランツ……!」

 喜びと驚きも束の間、クラウディアは落下していくミラの方に目を向ける。その視線を追ったクランツは、クラウディアの思いを無言で汲むように、騎乗している鳥に向けて言った。

「頼む、レファーリア!」

 クランツの言葉に含まれていた意思を読み取ったかのように、レファーリアと呼ばれた鳥は大きく翼を羽ばたかせて加速、落下していくミラに高速で迫る。

 そして――すれ違いざまにクラウディアの腕が、海面すれすれでミラの華奢な体を受け止めた。腕の中でミラは気を失い、ぐったりとしていた。

「ミラ……!」

 いくつもの思いが混じった呟きをクラウディアが零す。そこに一件落着の響きを感じ取ったクランツは、安堵の思いを抱きながら、レファーリアに陸に戻るよう指示を出した。


 クランツとミラを抱えたクラウディアを乗せたレファーリアは、光を残して悠然と羽ばたきながら、聖塔の門前広場に着地した。気絶したミラを抱えて鳥の背中を降りたクラウディアは、続いて降りたクランツを見て、呆れたように言った。

「まさか、こんな場所でまで君に助けられるとはな……その鳥は?」

「シャーリィさんの使い魔で、このレオーネの町に住んでる神鳥らしいです。名前はレファーリア。シャーリィさんが町の防衛に使っていいって、乗らせてくれたんです」

 クランツがそう言って細い首を撫でると、レファーリアは嬉しそうに目をすがめ、クランツに細い面を摺り寄せてきた。その平和な光景に、クラウディアも毒気を抜かれてしまう。

「随分と懐かれているみたいだな」

「はは……これのおかげみたいです」

 クランツはそう言って、腰元のポーチから天意盤を取り出して見せた。

「これの中にあるシャーリィさんの魔力が、レファーリアと繋がってるらしくて。僕の言うことを素直に聞いてくれるのも、きっとそのおかげだと思うんですけど、っと」

 答えるクランツに親しげに長い首を摺り寄せるレファーリアに、それだけではなさそうな様子を眺めつつ、クラウディアは話を切り替えた。

「町は……人々は、無事だったのか」

「はい。レファーリアがいてくれたから、何とか」

 そう言って、クランツは腕の中でぐったりとしているミラに眼を向けた。

「あなたがこの人と空に登ったすぐ後に、海岸から海水でできた化け物みたいなものが陸に上がろうとしているのが見えて、それと同時にレファーリアが僕の所に飛んできたんです。最初は小鳥の姿だったんですけど、シャーリィさんに言われた通り、僕が天意盤をかざしたら、この姿になって。それで背中に乗せてもらって、海辺の化け物達を退治していたら、二人が落ちていくのが見えたから、急いで飛んでもらったんです。間に合ってよかったです」

「ふむ……?」

 クランツから聞いた話に、クラウディアはいくつか引っ掛かりを覚える。

 天意盤の存在を――クランツが天意盤を持っていることを、シャーリィはいつ、どこで知ったのか、それだけではない。レファーリアの使役方法を教えられたというクランツの話を聞く限り、シャーリィは天意盤の使い方を、実物を見る前から知っていたかのような印象すら受ける。まるで、それと同じ類の物の存在を、すでに知っていたかのような。

 クラウディアの疑問を読み取ったように、クランツが言った。

「シャーリィさんは、天意盤のことを『蓄魔の器』って言ってました。昔に存在した魔道具の一種だって。それを再現するなんて人間は侮れない、とか言ってましたけど」

「そうか……オルガノ博士に報告する事項が、一つ増えたな」

 言葉を交わしていたクランツとクラウディアは、ふいに腕の中から呻き声を聞いた。

「――う……」

 意識を取り戻したミラは、霞んだ視界に映ったクラウディアに、弱い声で呆然と呟いた。

「クララ……私を、助けたんですの?」

「ミラ……無事でよかった……」

 安堵の息を漏らすクラウディアに、ミラは疲れたように言った。

「あなたも、人が悪いですわね……この私に、生き恥を晒せと仰るのですか?」

「あなたに死なれるより遥かにマシよ。あなたを失ったら、私は……」

 言葉に詰まるクラウディアに、ミラは疲れた眼で呆れたように弱く笑った。

「甘いですわね、貴女は……敵に対してそんなことで、本当に誰もを守れると思いますの?いつか、その甘さが取り返しのつかない犠牲を生むことになるかもしれませんわよ」

「そんなことにはさせないわ。私はもう、私の無力のせいで誰も失わせないと誓ったの。だから、あなたも、十二使徒の皆も、ゼクスも、ゼノヴィア様も、絶対に失わせない。あなた達は皆、私の大切な家族――仲間だから」

 決然と言い切るクラウディアに、ミラは辟易したような目を向ける。

「クララ……あなたは自分が何を仰っているかわかってますの? それは人間と魔女に二股をかけると言っているのと同じことですわよ?」

「人間と魔女を両方愛して何が悪いの。私はあなた達も、今の仲間達も、皆愛すると決めた。だから私は諦めない。いつか必ず、あなたのその憎しみも救える日まで、私は諦めないから」

 それは、ミラとの戦いと、これまでの体験を経た中で生まれた、彼女の決意だった。

 不退転の意志を映したクラウディアの眼に、ミラは降参したようにふっと笑った。

「ご立派な志ですこと。まったく……本当に、敵いませんわね、貴女には」

 憑き物が落ちたようなミラのその表情を見て、クランツはこの町での戦いが終わったことを、泣きそうな顔で嬉しそうに笑っていたクラウディアの横で、安堵と共に感じていた。

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