第6章 海浜都市レオーネ編 第5話(3)

 赤と青――月夜の下に重なる、光を帯びた二つの剣撃の激突。

 火花を散らし苛烈にぶつかり合うクラウディアとミラの剣は、そのどちらもが鬼気迫る勢いを見せていながら、しかし徐々にその気勢の差を現し始めていた。一分の隙も見せることなく冷徹に振るわれるミラの鋭い剣閃は、徐々にクラウディアを圧倒し始めていた。

「どうしましたの、全然届きませんわよ。あなたの意志はそんなものですの?」

「ッ……!」

 青い残光を残して嵐のように振るわれるミラの剣閃に、重量のある剣を振るうクラウディアの息が上がり、動きが鈍くなる。その形勢を見たミラが、挑発するように言った。

「あなたがもたついた分、地上の人々は私の水人形に喰らわれますのよ。これ以上の被害を出さないと嘯くおつもりなら、急いだほうがよろしいのではなくて?」

「させない、ッ……!」

 その言葉に、後には退けないとばかりにクラウディアは突撃する。強く握り込む手から伝わる発意に剣が震え、意志の熱を帯びた剣の一振りが鉄槌のようにミラに振り下ろされる。

 だがそれを完全に読み切っていたミラは、振り下ろされた大剣を手にした細剣で難なく受け止めると、嘲笑うような笑みを浮かべながら、発気と共にクラウディアを弾き飛ばした。クラウディアの赤熱した剣が弾かれ、衝撃を放った青い波光が夜空を震わせる。

「が、っ……⁉」

 衝撃に円陣の上を転がされ倒れたクラウディアに、ミラが冷ややかに言う。

「ぬるいですわね。こんなものでは評価に値しませんわ。これがあなたの仰る覚悟を乗せた今の全力だと仰るなら……失望するしかありませんわね」

「っ、ミラ……あなた……!」

 立ち上がることも困難な衝撃に足が揺れるクラウディアを前に、ミラは冷然と告げた。

「立ちなさい、クララ。私すら止められないようでは、私達の計画を阻止するなど以ての外、あなたが言うように大切な人達を守ることなんてできませんわよ」

 試すように言うミラに、身を起こしながらクラウディアは訊いていた。

「ミラ……私に、とどめを刺さないの?」

 クラウディアのその言葉に、地上に目を向けていたミラは微かに眉を顰めながら返した。

「今はまだ、あなたに死なれると困りますのよ。こちらの都合もありますのでね。それより、そんなことを気にしている余裕があるのなら、体勢を整えた方が良いのではなくて?」

 ミラの言葉に、クラウディアは違和感を覚えながらも、ミラの追撃に備え体勢を整え直す。交戦が止まったその間に、ミラはクラウディアの身の上を嘆くように言っていた。

「それにしても、あなたも本当に丸くなったものですわね。剣の鈍りはおろか、あなたから全てを奪った敵を、自分から庇うようになるなんて。会わない間に何があったのかは推して知るべしですけれど、私にはほとほと理解不能ですし、理解したいとも思えませんわ」

「そう……だとしたら、私はとても、残念ね」

「……何ですって?」

「私が、今でも全ての人間を憎むしかできないと思われているのなら、残念だと思う、って言ったのよ……あなたにも、母様の血を継ぐ私がそんなふうに思われていることもね」

 訊き返したミラに、劣勢と知りながらクラウディアは問いを投げていた。

「ねえ、ミラ……あなた、本当に全ての『人間』に対して、それと同じことが言える? たとえば、あなたを助けてくれたゼクスや、私を助けてくれたアルにも?」

「っ……それは……」

 その答えに言い淀んだミラに、クラウディアは穏やかな笑みを浮かべて告げる。

「断言できないのね……だとしたら、あなたもまだ、断ち切れてはいないということよ」

「断ち切る……何をですの?」

 訝しげに問いかけたミラに、クラウディアは真っ向から答えた。

「人を信じる、愛する気持ちよ。私はそれを信じたい。だから今ここであなたと戦っている」

「っ……世迷言を……!」

 言葉を失くすミラを前に、クラウディアは剣を杖に立ち上がり、真っすぐにミラを見た。

「ねえ、ミラ。あなたもゼノヴィア様も、人間を一括りにして見過ぎているのよ。全ての人間が、私達を辱めた悪と同じ存在じゃない……私はそれを断言できる。だからこそ、あなた達のその凝り固まった遺恨の感情を、私はどうにかしたい」

「綺麗事を口にするのはおやめなさい。反吐が出ますわ」

「いいえ、私は諦めないわ。あなた達を信じ続けたいから」

 そして、醒めたような瞳を向けて、ミラに訊き直した。

「全ての人間を愛せなんて言わない。けれど、大切な人を想う気持ちは、あなたにだってあるでしょう? 私はその想いを守りたいの。誰もがその想いを踏み躙られない世界を、私は願いたい。そのための剣に――愛する人を守る剣になりたいの」

「クララ……よくもそんな恥知らずな口を叩けますわね。やはり、今のあなたを許しておくわけにはいかないかもしれませんわ。我らの母様の大義のために」

 目を怒らせるミラを前に、クラウディアは体勢を立て直すと、ミラに問いかけた。

「ミラ、ごめんなさい。さっきは訊き方を間違えたわ。あなた達の目的は何?」

「目の色が変わりましたわね。やはり、それくらい猛々しい方があなたらしいですわ」

 クラウディアのその変化を喜ぶように目を細め、ミラは語った。

「私達の目的は、お母様の――ゼノヴィア様の元、《魔戒》を完成させ、その使用権を握ること。そしてその力の元に、私達を貶めた人間達に、私達の存在を知らしめることですわ。それが、人間達に蔑ろにされた魔女の――私達のささやかな復讐になりますの」

「そのためにどれだけの犠牲が払われるか、あなた達は理解しているの?」

 クラウディアの言葉に、ミラは些事とばかりに言い捨てた。

「人間のことを犠牲と呼ぶのなら、それは私達の復讐に必要な代償と呼ぶべきですわ。彼らが私達に喪わせた犠牲の方が、はるかに大きいでしょう?」

 平然と言ってのけるミラに、クラウディアは怯むことなく抗議する。

「だからと言って、それが何の罪もない人々を傷付けていい理由にはならないわ。どんな理由にしたってそう。誰だって……私達だって、そんなことに手を染めてはいけない」

「あなたがそれを言いますの? 誰よりも、彼らに傷を受けてきたはずのあなたが?」

 眉を顰め、訝しむように言うミラに、クラウディアは決然とした目で答えた。

「私はもう、過去に受けた傷を理由に、人を憎みたくない。人を信じる気持ちを、私は失いたくないし、誰にもその温かい心を失わせたくない」

 真っすぐに口にするクラウディアの向けてくる眼差しに、ミラの目に動揺が走った。

「なぜそんなことを言えますの? なぜ……そこまで人間を信じようと思えますの? 誰よりもあなたは、人を憎んでもいい立場にいたはずでしょう? なのに……なぜ?」

 不審の目を向けてくるミラに、クラウディアはゆっくりと顔を上げ、穏やかな笑みを見せた。

「きっと……人が好きになれたから」

「何……ですって?」

 その言葉に瞠目するミラを前に、クラウディアは胸の内に生まれていた思いを語った。

「初めは、何もわからなかった。父様達の戦いの意味も、母様の死の意味も何もわからないまま、私はゼノヴィア様に拾われて、あの村であなた達と出逢い、アルとゼクスと出逢った。そこで同じ日々を過ごす中で、私は仲間の大切さを、共に生きる喜びを学んだ。そして、私達の村を焼かれたあの日……私は、ただひたすらに泣いた。何もかもを失ったような気持ちだった。あの日のことも、そこからのことも、何一つ忘れたことはない」

「……そこまで追いつめられてなお、人が好きなどと口走れますの?」

「それでも、私は人を呪わずに済んだ。アルとサリューが、傍にいてくれたから」

 クラウディアの懐古の呟きは、傷付いた心に染み入るような喜びに満ちていた。

「全てを失ったと思っていても、私には傍に仲間が――支えてくれる人がいてくれた。大切な人に守られていること、それを嬉しいと思う気持ちは、あの頃から今に至るまで、変わったことはない。そして、私を守ってくれた人達を、私の手で守りたいと、今は思っている。人を愛しこそすれ、人を憎む気持ちで行動するなんて、私はしたくない」

 そう言って顔を上げたクラウディアの瞳には、確かな意志の炎が燃え始めていた。

「私の母様も、きっと同じ気持ちだったのかもしれない。きっと、魔女と人間が憎しみあう世界のことを嘆いていた。けれど、父様と出逢って、私を産んで、仲間と共に戦って……愛する人達の生きる世界のために、最期まで諦めずに戦い続けた」

 言葉の裏に、自分を支えてくれた仲間達の顔を思い浮かべながら、クラウディアは語った。

「人が信じあうことの力を、きっと母様は信じていた。だから最後まで、私達全てのために戦えたのだと思うの。憎しみを断ち切って信じあえる、全ての人のために」

 そして、言葉にする中で確かになり始めた決意と共に、ミラを見返した。

「私は、母様のその遺志を継ぎたい。だから、母様の無念を果たすというのなら、私はそのためにあなた達を止める。私の信じるあなた達を守るために、母様の遺志を継ぐために……あなた達をもうこれ以上、憎しみの連鎖に囚われさせはしない!」

 気合一声、クラウディアの足に力が込められ、爆発的な踏み込みでミラに肉薄する。剣の一撃を受け止めたミラは、その力からクラウディアの意志が塗り替わったのを悟った。

「人が好き、ねえ……大層ご立派なお志ですこと!」

 返す太刀に一層の力を込めて、ミラはその踏み込みを弾き返す。反動を堪えたクラウディアはミラの振るい始めた鋭閃を受け、再び苛烈な火花を散らす鎬の削り合いに入る。

 今度は先程までとは真逆の様相を呈していた。互角にぶつかり合うように見える激しい剣撃戦はしかし、迷いを力に変え前へと突き進む意志を見せ始めたクラウディアが徐々に押す様子を見せていた。一寸の油断も隙も見せず激しい太刀を合わせる中、ミラが叫んだ。

「この私の前で、よくもそんな綺麗事が抜かせますわねッ! 村を焼かれて、家族を失って、逃亡者の濡れ衣を着せられて汚辱の眼を向けられ続けた私達に、そんな綺麗事で納得しろとでも仰るつもりなら、そんなもの、到底無理な相談ですわ! あなたのそんな小綺麗な正義に同調しろとでも抜かすおつもりですの⁉」

「いいえ。あなたの感じる思いを否定するつもりはない。あなたにはあなたなりの生き方も戦い方もあるはず。私も、自分のそれを選んだというだけのこと」

 刃を押し合い合わせ、鎬を削り合いながら、クラウディアはミラの青く燃える目を見た。

「私はもう迷わない。大切な人達を守るために戦うと決めたから」

「私達、かつての仲間を――家族を、敵に回してでもですの?」

「だからこそよ。私はあなた達をこれ以上そんな哀しい思いに囚われさせたくない。だからこそ、私はあなた達を止める。あなた達を……人を愛する心を、信じていたいから」

 ガン、と鉄の刃を打ち鳴らし、刃を離したクラウディアは改めてミラに相対する。

「あなた達も、今の仲間も……大切な人達をこの手で守るために。私は……この身の剣は、そのためにある。だから私はもう諦めない……愛する人を守るために、私は負けられない!」

 宣言し、剣を構えたクラウディアの瞳に、もはや迷いは無くなっていた。

 説得が通用しないと悟ったミラの目に、諦念にも似た冷たい光が宿った。

「あなたはやはり……私達とは道を違えましたのよ。理解し合うなど無理な相談ですわ」

「それでも……私はあなた達を信じたい。私達はまた同じ場所で笑い合えると信じたい!」

 視線をぶつけ合っていた二人の目が、ほぼ同時に戦気の揺らめきを宿した。

「……もう結構ですわ。今のあなたにかける言葉などありません。かくなる上は――」

「……そうね。私も、言葉だけでわかってもらえるあなただとは思わない。だから――」

 言葉と共に、ミラは腰元に刀を構える抜刀の構え、クラウディアは肩口に剣を引き寄せる突撃の構え――互いの決戦の一撃の構えを取り、斬熱を宿した視線を交わした。その身から闘気の高まりと共に溢れ出す赤と青の光が風となり、二人の周囲を渦巻いていく。

「「決着を、つけましょう」」

 互いに応え、二人は大きく踏み込み、魂を乗せた無数の斬撃を重ね合った。

 そこはまさしく闘気の渦だった。魔力を纏った剣風と化したクラウディアは、同じく鋭利な刃風となったミラと混じり合うように、白い光の中で無数の斬撃を交わした。戦熱の高揚が無数の刃閃の内に無我の境地を生じさせていくような感覚さえあった。

 意識が光の中に融けていく中、クラウディアはその激しい光風の中に、ミラの声を聞いた。

『ねえ、クララ。もしも私達がまだわかりあえるとしたら――――』

 それは、互いの戦う思いの溢れた刃風の中に滲み出たミラの心の声のようだった。それは、荒れ狂うような斬撃の中にありながら、何も知らなかった頃のように穏やかな心だった。

 それを聞いたクラウディアの心もまた、声となって光の渦の中に響いていた。

『そう思ってくれているだけで、きっとわかりあえるはずよ。たとえ今は難しくても、どれだけ時間がかかっても……いつか、きっと。私は、そう信じてる。そう信じたい』

 呼びかけたクラウディアは、激しく渦巻く光の中に、ミラの呆れたように笑う声を聞いた。

『相変わらず……敵いませんわね、貴女には』

 光の中に聞こえたその残響を聞きながら、クラウディアの放った風を纏った大剣の一閃が、光風の渦を切り裂いた。

 

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