第6章 海浜都市レオーネ編 第1話(4)

 レオーネの町の中央に天を衝くようにそびえ立つ白い聖塔は、王国の歴史を支えてきた七星教の、王都を中心とする六つのシンボル『六星』の位置する一つであり、レオーネにおける七聖教会の役割を兼ねている。その管理と町の監守を務めるのが、七星教と王国の歴史の起源に連なる『六星の巫女』の一人であるシャーリィだった。

 聖塔を訪れる人々は、敬虔な天央の女神信者や冠婚葬祭の依頼に来る人々もいるが、単純に町の中でも頭抜けて高く見晴らしの良い聖塔上部の展望テラスを目当てに来る人も多い。輝くイリアス湾を高所から一望できる聖塔のテラスは、その光景を目当てに来る外国からの観光客も多く、王国の観光産業の一柱と言ってもよいほどの絶好のスポットだった。

 その絶好のスポットに、クラウディア達は案内されていた。

「うわぁ……!」

 階段を登り案内された、四本の柱で支えられた青く陰った空間に入るなり、眼下に広がっていた光景を目にしたエメリアが、テラスの先に走り寄りながら感嘆の声を漏らした。クランツはと言えば、その光景に言葉も出せないほどの大きな感動を受けていた。

 聖塔上部のテラスは、最上階にある鐘楼の少し下の階層に設えられており、四本の柱で支えられているだけの空間は、当然四方を見渡すことができる造りになっている。周囲にテラスに並ぶ高さの建物はなく(王国全体で見てもなかなかない)、空と海と大地の境界線の彼方まで見渡せるどこまでも広い視界が邪魔されることはないに等しかった。

 レオーネは王国の南端のアルネス半島の突端に位置する町であるため、自然と周囲には波に揺れ光を踊らせる無辺の青い海と広大な空が満ちている。今は夏の昼の海の姿を見ているが、時間や天候、それに季節によって、この光景は幾つにも色を変えるのだろう。

 こんなに雄大でかつ穏やかな海という光景を自分は見たことがない。

 世界中から観光客が来るのも頷ける、と、クランツはひとり納得していた。

「気に入ってもらえたかしら?」

 かけられた声に背後を振り向くと、シャーリィがどこからか用意した透明な茶器でお茶の用意をしているところだった。エメリアが嬉々としてそれに応じる。

「とっても綺麗ですぅ……こんな綺麗な海を眺めながら空を飛べたらきっと気持ちいいんでしょうねぇ。エメリアちゃん、今にもここから飛び出したくなっちゃいそうですぅ」

「あはは、面白い子ね、エメリアちゃんったら。でも、ここに来る人達は皆、もしかしたらそんなふうに思ってくれているのかもしれないわね。そう考えたら私も嬉しいわ」

 嬉しそうに言いながら、シャーリィは白い陶器に水を注いでいる。また何か魔力の込められた液体を飲むのかと身構えかけたクランツは、そこでふいにある機転が浮かび、シャーリィに近寄ると、経験から来る苦手意識を抑えつつおずおずと話しかけた。

「あの……シャーリィさん、これなんですけど」

「あら、何かしら?」

 やんわりと答えるシャーリィに、クランツはポーチの中にあった麻の袋を取り出して、シャーリィに見せた。

 それは、農村都市ローエンツを出る際に、現地の六星の巫女エレネールから貰った、霊樹の茶葉だった。霊験あらたかな貴重な品ではあるのだが、六星の巫女がお茶を淹れてくれるというこの時、何となく、使うならこのタイミングが最適であるようにクランツには思えた。

「以前、ローエンツの町に寄った時に、そこの人から貰った茶葉なんですけど……その、もし、お茶を淹れてもらえるんだったら、使ってもらっても――――」

 クランツの控えめな言葉に、しかしシャーリィは興味津々とばかりに食いついた。

「あら! ローエンツってことは、もしかしてネールの?」

「あ、はい……餞別にってもらったんですけど、もしよかったら」

「まあ、いいの⁉ ありがとうクランツ君! じゃあ、こんないいものを頂いちゃった以上、腕によりをかけて淹れさせてもらうわね!」

 シャーリィは嬉々としてクランツの差し出した麻袋を受け取り、袋の口を少し緩めて、中に入っていた茶葉の香りを楽しむように嗅いで、「あぁ、いい香り……!」と陶然とした表情をした。それが霊樹の茶葉に含まれていた魔力の作用なのか、彼女が香りを嗜好する性癖があるのかは定かではなかったが、今まで出会ってきた六星の巫女の中で、一番感情がわかりやすい女性だな、とクランツは彼女の快活な振る舞いとこれまでの経験から思っていた。

「クランツさぁ~ん! 見てくださいよぉ~!」

 シャーリィの様子に目を奪われていたクランツが声のした方に目を向けると、テラスにいるエメリアがクランツの方を振り向いて手招きをしていた。クランツはシャーリィに気を引かれる所がありつつも、素直にエメリアの招きに従い、テラスの方へ向かった。

「ほら、どうですか? もっと身を乗り出して。風が気持ちいいですよぉ」

 上機嫌でクランツを迎えたエメリアの言葉に、クランツは言われた通りにテラスの桟に手をかけ、上体をテラスの外まで乗り出してみる。

 澄んだ匂いを含んだ潮風が吹きつけ、クランツの頬を撫でた。眼下にはレオーネの白い街並みとイリアス湾の青く煌めく海面が視界の限りに広がっている。奇しくもエメリアが言っていた通り、このままこのテラスを飛び出して空を飛びたくなるような気分になった。

 そうして、どこまでも広がる空と海の境をずっと眺めていると、だんだん普段のような猥雑な思考が大自然の中に包み込まれていくような感覚を覚えてくる。自分達が今、王国の将来を背負う密命のために動いている――そんな大事なはずのことすら、漠然となってくる。

 だが、そう感じるようになっているのは、自分がそれだけそうした使命感に普段知らない内に緊張していたからかもしれなかった。なら、たまにはこんな時くらい、心の緊張を緩めてもいいのかもしれない……クランツはそんなことを漠然と思いながら、しばし涼風の踊る聖塔のテラスから眺められる雄大な天地の景色に心を浮かばせていた。

 そんな純粋な気持ちになれた時、彼の心に思い浮かぶのは、いつもたった一つのこと。

 この町に入った時の彼女の、どこか思い詰めたような表情。

(僕の知らない所で、何か……あったのかな)

 クランツがそう思って隣を見ると、そこには当のクラウディアがいた。テラスに身を預けることなく凛と立ち、空に目を向けている。遠く彼方を眺めるようなその瞳には、クランツがまだ見据えることのできない何かが映っているようだった。

(……クラウディア)

 もう、何度目だろうか。

 まだ彼女の奥にあるその何かに触れることができない自分の立場に、悔しさが募る。

《今、お嬢様に一番親身になってあげられるのは、クランツさんなのに》

 エメリアの冗談めかした、それでいて心底の期待を込められていたような言葉が甦る。

 彼女の言う通り、このままでは自分はいつまで経っても、彼女の心に近付けない気がする。

 何か、彼女の憂いを晴らせるために、自分にできることはないか――。

 そんなことを考えていたクランツの耳に、カチャリ、と、磁器が小さく鳴るような音が聞こえてきた。三人が気を取られてふと後ろを振り向くと、シャーリィが展望台の中央に据えられているテーブルに青磁の茶器を置いた所だった。

「立ち話も何でしょうし、お掛けなさいな。積もる話もあることだし、ね」

 シャーリィはクラウディアの瞳を見ながらそう言って、どこか思わせぶりに微笑んだ。

 何かが始まる――その時、クランツはそう感じた。

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