第6章 海浜都市レオーネ編 第1話(3)

 光を受けて輝く石葺きの道を小走りに急ぎ、鐘の音のする方へ足を進めていくと、クランツ達は町の中心にそびえる白い塔に辿り着いた。そして、すぐに鐘の音の意味を理解した。

 陽の光を浴びて水晶のように光を映す白石の塔の下、入口へと続く階段に、栄光の花道のような金色の刺繍の施された真紅の長いカーペットが敷かれている。そしてその花道の両脇にひしめくように、白い正装に身を包んだ人々が喜びを全身で表しながら、高くにそびえる塔の上方を見上げていた。

 塔の上部には四方に開かれたテラスがあり、そこから純白のタキシードとウェディングドレスに身を包んだ青年と女性が、喜びに満ちた笑顔で階下の祝福に来てくれた人々に手を振っている。彼らが手を振り合い喜びを交わす間にも、鐘の音は絶え間なく打ち鳴らされ、レオーネの町に鳴り響き続けている。

 クランツ達が見上げる最中、階上にいた二人の後ろから、薄いヴェールドレスを身に纏った女性が姿を現し、二人を振り向かせる。階下の人々が見守る中、二人はその女性から何かの言葉を受けると、見つめ合って力強く頷き、次の瞬間、手を繋いで階上から一気に飛び降りた。

「あ、っ⁉」

 動転するクランツに、隣に立っていたクラウディアが落ち着いた言葉をかける。

「大丈夫だ、クランツ。よく見ていなさい」

 クラウディアが言う中、彼らと共にその後ろに控えていた女性も同時に飛び降りたのを、クランツは見た。その女性の周囲に鮮やかな煌めきを纏った風が集まり出し、階下に落ち行く女性と二人を包み込んで行く。その風圧は見る見るうちに大きくなり、人々が集まる地上に辿り着く頃には、まるで空気でできたゴンドラに抱えられるようにゆっくりと地上に降り立った。クランツが呆気に取られる中、聖女の加護で地上に降りた二人はもう一度強く見つめ合い、次の瞬間、熱く抱き合ってキスを交わした。

 その光景に、祝福に訪れた人々が爆発するような歓喜の声を上げ、その場は圧倒的な幸福の高揚感に包まれた。二人を祝福するように、鐘の音は高らかに鳴り響き続け、清風の欠片のような光が風に舞い踊っていた。

 結ばれた二人が聖女に背中を押され、カーペットの上を歩いて人々の輪の中に囲まれるように入っていく。その様子を圧巻の思いで眺めていたクランツに、クラウディアが言った。

「さっきのは、このレオーネの聖塔での結婚式の恒例のイベントなんだ。命を共にする誓いを立てる二人が、その心を試すべく決死の覚悟を決めてあの高さから飛び降りる。無論、聖女の風の加護のおかげで事故になることはないのだがね。極限状態の中で心を一つにできるということで、レオーネの名物のひとつになっているらしい」

「死の待つ崖を目の前にして、永遠の愛を誓い合う……はぁ~ん、ロマンチックですねぇ。エメリアちゃんにもいつか、素敵な王子様と一緒にあそこに立ちたいですぅ」

 エメリアが蕩けたような声を出す隣で、クランツもまたその状況に想いを馳せていた。

 もしも、あの場所に、彼女と共に立つことができたら。

 そして、大切な人達の祝福を受けながら、彼女とあの場所で誓い合うことができたら。

 心臓が激しく脈を打つ。まだ妄想に過ぎないのに、体が熱くなるのが自分でもわかる。

 クランツは思わず、隣に立つ、自分より背の高いクラウディアを盗み見た。

 クラウディアの瞳は、確かに目の前に広がる祝福に満ちた光景を目に収めていたが、その瞳に映る色はどこか影を帯びていたのを、クランツは見た。そして、この幸せな光景に心の影を感じるということを悲しく思い、彼女の心をそんな風に陰らせているものに自分がまだ触れられていないことを、悔しく思った。

 今はまだ、触れられていない――けれどいつか、その心を晴らしたい。

 そしていつか、あの場所で見つめ合い、その時には笑っていてほしい。

 クランツがひとり決意を新たにした一方で、クラウディアの視線は一点に注がれていた。祝福の人混みが賑わうその奥に佇む、水色の流れるような髪を風に流す聖女に。その聖女がこちらの視線に気付き、ふと思わせぶりな笑みを浮かべたのを、クラウディアは見た。

 彼女に何かの思惑があると感じ取った時、エメリアが悪戯っぽく言った。

「お嬢様。せっかくですからここの皆さんにも後でご挨拶していきましょう。ここまで来たんですし、色を添えるのは何も減るものじゃありませんし。ね?」

「……そうだな。ここまで来たんだ、礼儀というものだろうな」

 エメリアの言葉に、クラウディアは思いの他あっさりと折れ、ふっと笑った。その笑みがどこか寂しそうに聞こえたのを、クランツはなぜか忘れることができなかった。


 新婚の二人を取り囲む人々の祝言の雨あられで賑わう一団を回る形で、クラウディア達は尖塔前の広場を迂回し、尖塔の麓でその光景を穏やかに眺めていた女性の前まで来る。

 足元までを覆う、夏の日差しを照り返す眩しいまでの純白のロングスカートのサマードレスを纏い、透き通った色の長い髪を背に靡かせる、柳のようにすらりとした長身の女性。夏の光に穏やかに眇められた白葡萄色の瞳は、翠玉の原石のような、見るものを魅了するような煌めきを宿している。華やかながら悠然としたその自然な佇まいに、クランツはふと、これまでに会ってきた魔女――フレーネやエレネールの印象が重なるのを感じた。

 緊張した面持ちで目の前に来たクラウディアを前に、段上に立っていた風色の彼女は、小さな笑みを浮かべながらゆっくりと三段を降り、クラウディアの目の前まで来ると、

「待っていたわ。すっかりそっくりになっちゃって。――大きくなったのね、セレニアの子」

 懐かしむような聖女・シャーリィの言葉に、クラウディアは小さく頭を下げ、名乗った。

「クラウディア・ローナライトです。ご無沙汰しています、シャーリィ様」

「ローナライト、ね。今はイグニシアではないのね?」

 シャーリィの言葉に、顔を上げたクラウディアはばつが悪そうな顔になりながら答えた。

「色々、ありまして」

「ふぅん、そうなの……まあ、それはいいわ。意図があってのことでしょうし、あなたがセレニアの娘であることに変わりはないものね。ようこそ、クラウディア。魂の踊り眠る蒼海の都レオーネへ。六星を司る神の僕として、そして朋友の娘として、あなたを歓迎するわ」

 笑みを浮かべたシャーリィに、クラウディアは複雑な表情で笑みを返す。

(イグニシア……?)

 その後ろで、クランツの中には小さな疑問が浮かんでいた。それを読み取ったように、隣からエメリアが小声でクランツの耳元に囁く。

「(クラウディアお嬢様の旧姓ですよ)」

「(旧姓……って、クラウディア、名前が変わるようなことが?)」

「(そこらへんはお嬢様が仰った通り色々ありまして。ここじゃ何ですから、お時間があれば今夜にでもお話しいたします。一晩じっくりみっちりしっぽり使ってね♡)」

「(いや……話は聞きたいけど、そこは……)」

 などと言葉を交わしていたクランツとエメリアに、ふいに声がかけられた。

「ところでクラウディア、その後ろの子供達は、お供の子か何か?」

「ッ……」

 お供の子。その言葉は、今さらながらクランツの自尊心をわずかに傷つけた。

 シャーリィに悪気はない。実際、見たままの印象で言うとすれば、その表現は実に間違いないものなのだが、自分は未だに外から見ると「お供の子」にしか見えないということが、クランツには悔しかった。だがその一瞬の間に、エメリアはするりとクランツの隣を離れ、従者の礼儀としてシャーリィのそばに挨拶に行っていた。

「お初にお目にかかりますぅ。クラウディアお嬢様の側近にしてお世話役を務めております御覧の通りのスーパー美少女メイド、エメリア・クラリスと申しますぅ。エメリアちゃんって呼んで頂けるとエメリアちゃんはとても嬉しいですぅ。よろしくお願いいたしますねぇ、シャーリィ様♡」

「ふふ、可愛い子ね。よろしくね、エメリアちゃん」

 シャーリィに頭を撫でられ、エメリアが「きゃーん♡」と上機嫌に間を作っている間に、クランツも慌ててそこに追いつき、遅れがちながら挨拶の言葉を出した。

「あ、あの!」

 シャーリィの目が向いたのを見て、クランツは後れを取り戻そうと口を開いた。

「クランツ・シュミットって言います。王都自警団の実働班員で、今は――――」

 今は――そこでクランツは言い淀んだ。自分のことを、どんな風に紹介すればよいのか。

 本音を言えば、クラウディアの恋人と言えればよかった。だが、現在事実上自分はまだクラウディアとそこまでの関係を作れてはいない。だから、そう言うことはできないし、下手にそういう言い方をすればクラウディアを困惑させてしまうかもしれない。

「――――クラウディアの、護衛役として同行してます」

 そういう葛藤の末に、クランツはせめてもの強がりとしてそう言った。それが自分を強く主張できない自覚だということへの情けなさを、ひしひしと身に感じながら。

 クランツの挨拶に、シャーリィは「ふぅん……」とクランツを値踏みするように見ると、

「護衛役ねぇ……エメリアちゃんは文句なしだけれど、そっちの子はちょっとまだまだって感じかな。この子を守りたいなら、もう少し頑張らないとね」

「なッ……?」

 思わぬシャーリィの指摘に、クランツは弾かれたように顔を上げた。

 シャーリィの表情には、微塵の侮蔑も害意も浮かんでいない。まるで客観的な観察の末の当然の帰結を口にしたまで――そんな、文句のつけようもない自然すぎる印象に、クランツは何も言うことができなかった。

 クランツがショックを受けたのを察したのか、クラウディアが言葉を発する。

「シャーリィ様。彼は見かけほど小さな男ではありません。私はここまで何度も彼に助けられました。彼を同行させているのも、私自身の意志によるものです」

「わかっているわ。だからこそ、よ」

 クラウディアのその言葉にも、シャーリィはさらりと答えた。意味を取れないクラウディアとクランツに、シャーリィは言った。

「気分を害してしまったのならごめんなさいね。けれど、いずれ向き合うべきことになるのなら、自覚しておくのは良いことよ。いざという時にもう遅い、ってならないようにね」

 そして、首を後ろに向けて背にそびえる白い尖塔を見上げながら、

「立ち話も何だから、よかったら上のテラスまで一緒にいらっしゃい。とても景色がいいし、椅子もあるから。長旅でしょうし、少しでも足を休めたらどうかしら」

「よろしいのですか? 私達はまだこの町に来たばかりなのですが……」

「もちろんよ。天央の女神様は庇護と祝福に来客を選んだりしないわ。それにせっかく来てくれたんだもの。話したいことも色々あるしね」

 遠慮するクラウディアにそう言うと、クランツ達に向き直り、改めて名乗った。

「私はシャーリィ・ミュネルネ。このレオーネの地と、王国の六星の守護を司っているわ。ようこそ、クラウディア、それにクランツ君にエメリアちゃん。レオーネの守護を司る者として、あなた達を歓迎するわ。よければシャルって呼んでちょうだい。よろしくね」

『六星の巫女』の一人――『翠遊の風星』シャーリィ・ミュネルネは、そう言って、夏空のように爽やかな笑みを浮かべた。眇められながら視線を注がれるその瞳は穏やかながら、まるで何でも見透かされてしまうようで、クランツはやりにくさを感じた。

《この子を守りたいなら、もう少し頑張らないとね》

 そんなことは自分でもわかり切っていることながら、彼女の言葉には、そのさらに奥、自分がまだ自覚していない課題までも見通されたような響きがあった。

(綺麗な人だけど……何か、やりづらいな)

 クランツはもやもやとした思いを抱えながら、シャーリィの誘いを受けて聖塔の中に向かうクラウディアの後を追った。

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