第5章 工業都市エヴァンザ編 第3話(3)

 一方、ルチアとセリナを送り出したルベールは、サリュー共々公社長室に移っていた。仕事着であるスーツに身を包んだルグルセンが、金緑色の縞模様のネクタイを整えながら背にいるルベールに声をかけた。

「それで、話というのは何だ、ルベール。わかっていると思うが、私はこれから市議に向かわなければならない。今取れる時間は少ないぞ」

「ああ、わかってる。回答は帰って来てからでいいよ。今は考えてくれていればいい」

 ルグルセンとそう前置きを交わし、ルベールは大事を告白するように言った。

「僕が公社の跡を継ぐべきかどうか、父さんの意見を聞きたいんだ」

 それを聞いたルグルセンは、スーツの上着に腕を通しながら、些末とばかりに言った。

「今取り合える話ではないな。お前の方こそ、私が帰ってくるまでに答えを考えておけ」

「父さん……!」

 言い縋ろうとするルベールに、ルグルセンは目を合わせ、簡潔に答えた。

「私の答えなら決まっている。『お前次第』だ。それ以上は何もない。その答えを他人に求めることが解決にならないことも、お前ならわかっているのだろう?」

「っ……」

 図星を突かれ言葉も出ないルベールに、ルグルセンはその若い背を押すように言った。

「まあ、だからこそ悩むのだろうが……悩むこと、それ自体はむしろ現状を打開するのに必要な過程だ。だからこそ、お前が自身でその答えを出す必要がある。私はそう考える。そうやって悩み考え抜いた末に出して選んだ答えこそが、現状を突破する力になるのだ」

 そう言って、ルグルセンは背の高くなった息子の肩を、励ますように叩く。

「私は市議に行く故、今はお前の悩みに付き合っていられないが、その悩みと答えは私にとっても望ましいものだ。お前が自分なりの答えを出すことを待っているぞ」

「父さん……」

 顔を上げたルベールに、ルグルセンは続けて当然の思い付きのように言った。

「何なら、私以外の人間にも話を聞いてみたらどうだ。今のお前には、共に行動する仲間が周りにいてくれているだろう。彼女らにも話を聞いてみたらどうだ?」

「え……」

 虚を突かれたルベールを尻目に、ルグルセンは時計を見た。

「おっと、時間が迫っているな。では私は行く。夕刻までには戻れるよう、努力するよ」

 そして、スーツの襟を整えると、息子を支える聡明な女性・サリューに声をかけた。

「サリュー殿、愚息をよろしく頼む。何分思い詰めやすい質なものでな」

「もう結構な付き合いですから存じております。お任せくださいな」

 サリューの返答に小さく頼もしそうな笑みを漏らすと、ルグルセンは公社長室を出た。後に残されたサリューが腕を組み、感心したように呟く。

「さすがはルベールのお父様ね。私への対応の仕方まで、あなたにそっくり」

「あまり喜べない評価ですね。僕としても、父としても」

 心無く答え、俯きかけるルベールの行動を促すように、サリューが軽く声をかけた。

「さて、どうしよっかルベール。あなたのこと、お父様に頼まれちゃったけど?」

 誘いをかけるようなサリューの調子に、ルベールは深刻そうな調子の声で言った。

「サリューさん、少し、話の続きに付き合ってくれませんか。空いてる部屋があるので」

「あら、大胆。二人っきりの話で女を部屋に連れ込むなんて」

「すみません、真面目な話なんです。話、聞いてもらえませんか」

 深刻な様子で言うルベールに、サリューは凛として緩やかな笑顔を見せた。

「いいわよ。可愛いルベールのためだもの。お酒、振る舞ってくれる?」

「その直後に言う言葉じゃないと思うんですが。お茶で我慢してください」

「残念。それじゃあ貸しにしておくわ。この件が片付いてからの祝杯ってことで、ね」

 ルベールの懊悩を拭い去るように、サリューはあっけらかんと爽やかに笑ってみせる。

 その清流のような涼やかな笑顔に、出逢った頃から変わらない眩しさを覚えながら、ルベールは参ったように小さく笑むと、サリューを背に導き、公社長室を出た。


 そういうわけで、ルベールは連れ出したサリューと共に公社の談話室にいた。

 まだ明るい朝の光が開けた外に面した広い窓から差し込む中、サリューはルベールの淹れて持ってきた温かい香りの湯気を立てる上等な紅茶の入ったティーカップを前にテーブルに肘をついて顎を支え、緩やかな表情でルベールに向かい合う。

「それで、何かしらルベール、私に話って。プロポーズ?」

 ルベールは危うく、彼女の対面に座ろうとしていた椅子から滑り落ちそうになった。

 だから、あなたみたいな女性がそういう冗談を言うと、シャレにならないんです。

「まだ早いですよ。それに、真面目な話だって言ったじゃないですか」

「あら、残念。真面目な話のつもりだったんだけど。まあいいわ、それで?」

 絡み合うような大人の言葉のやり取りを経て、からかうようなサリューの眼が冷ややかに据えられた色へと変わったのを見たルベールは、気勢を整えるとサリューに相対し、意を決したように口を開いた。

「僕が公社の跡を継ぐべきか、サリューさんの意見も聴きたいんです」

 ルベールの言葉に、サリューは穏やかながら冷ややかな目を向けた。

「それは、お父様に訊くべきことじゃないの?」

「父とは別な立場の人からも意見を聞きたいんです。それこそ、今僕が所属している自警団の、事実上の責任者の一人であるサリューさんのような立場の人からの意見が」

 ルベールの要求に、サリューは冷たく冴えた、大人びた眼を見せた。

「そう。それじゃ、私はあくまで王都自警団の準責任者、という立場からコメントすればいいのね?」

 ルベールが頷くと、サリューはうーんと小首を傾げてほんの少し悩む様子を見せてから、澄んだ水色の眼をルベールの碧い瞳に据えて、話し始めた。

「じゃあリクエストにお答えするけど、まず最初に、あなたは非常に優秀な人材だと思うわ。覚えも速いし、仕事は適確、有事の判断も利いて、人柄も良い。個人的な印象を抜きにしても、手放したくないほどの逸材だと思っているわ。自警団の準責任者としてもね」

 そうルベールをまず評価したサリューは、続けた話に鋭く目を細めた。

「けれど、話をあなたの社会的な立ち位置に視点を切り替えた場合、答えは変わってくる。コーバッツ公社の跡目を継ぐということは、エヴァンザの運営に携わるというのと同じ。そしてそれは同時に、この国の運営の一端を担う立場に就くというのと同じ。とても軽はずみには決められないこと。あなたのその判断は間違っていないと思うわ」

「サリューさん……」

 緊張した面持ちで評価の言葉を待つルベールに、サリューは自らが求められた立場として答えるべき言葉を選び、迷いなく口にしていく。

「その上で言わせてもらうけれど、あなたにはその位置に就ける能力と、就くべき理由があると、私から見ても思う。基礎能力と成長の姿勢はもはや言うに及ばず。そして何より、あなた自身がその位置に就くことに既に意味を見出しているように私には見える。あなたにそこに就こうとする意志さえ備わるのなら、反対する理由は傍から見ても無いわ」

 そう言って、サリューは求められた答えとしての、自分なりの結論を口にする。

「あなたがなるかどうかにせよ、エヴァンザのトップの立場にはいずれ誰かが新しく入るべきだと私は考える。そしてあなたにはその能力は十分に備わっている、あるいはこれから備えられるだけの素質が十分にあると、私は思うわ。これまでのあなたの自警団での働きを、総合的な人間力を見せてもらった、その上でね」

 そしてそこまで言うと、緊張を解くようにふっと視線の力を緩めて、言った。

「でも、あなたならわかっていると思うけれど、私個人としての見解なら、究極的にはお父様と同じよ。そしてそれはたぶん、あなた以外の誰に同じ質問をされてもそう」

 サリューのいつになく真剣な言葉の意味を、ルベールは即座に理解した。

「僕次第……ということですね」

「そうよ。当たり前でしょう? あなた自身の身の振り方についてのことなんだから、どんな形であれ、最終的にはあなたが答えを出さなきゃ。自分で考えた、自分のための答えをね」

 その思考の停滞を解きほぐそうとするように、サリューが穏やかな声をかけた。

「ねえ、ルベール。何があなたを迷わせているのか、訊いてもいいかしら?」

 サリューは氷をゆっくりと融かそうとする水のように、優しくも深さを湛えた眼でルベールを見ていた。その視線に胸が擦られるのを感じながら、ルベールは自分の中にある悩みを、彼女の問いに対する答えを、言葉にした。

「立場上、僕が父の跡を継ぐことが、周りにとって最も迷惑をかけない方法だということはわかっているつもりなんです。父もいつまでも公社長を続けられるわけでもないし、僕の代わりにルチアや公社の人達を苦労させたくはない。僕が公社の跡を継げば、全てが丸く収まる……わかっては、いるつもりなんです」

「そう。じゃあなぜ悩む必要があるの?」

 サリューの問い返しに、ルベールは返せる言葉を失ったように視線を下げた。

 迷いの色を見せるルベールに、サリューは笑みながら小さく息を吐くと、言った。

「あなたは頭が良いから、自分が何をすべきなのかはもうわかっているつもりでいる。ただ、それを決断する自信がない……そんなふうな言い方ね」

 言葉に答えられず俯きかけるルベールを見つめ、サリューは慨嘆するように言った。

「ルベール。あなたってとても優秀だけど、意外な所で脆いのね。少し、クランツやセリナを見習ったらどうかしら」

「え……」

 虚を突かれたルベールに、サリューは微かな憂いを帯びた眼で、諭すように続ける。

「やってみる前から、やり始めた後のことを見通せる人間なんて、それこそ伝説の時見の魔女ですらできないはずのことよ。まだ始めてもいないことを悩むのは、無駄なことよ」

「杞憂、ってことですか」

「そ。あなたがそれに陥りやすい性質なのもわかってはいるんだけれどね。だからこそ、私はあなたみたいな優秀な人間に、そんなつまらない所で立ち止まっていてほしくないの。自警団の人間としても、あなたのことをずっと見守って来た一人の女性としてもね」

 その言葉に思わず息を呑んだルベールに、サリューは背中を押すように言った。

「誰かや何かの後押しを待っているようじゃ、いつまで経っても先には進めないわよ。自分で一歩を踏み出すと決めて、実際に一歩を踏み出してみせて、背負うべきものを背負う……それが、『大人になる』ってことじゃないかしら?」

 そして、そう諭すように言うと、サリューは光の差す窓の方にふと遠い目を投げた。

「お父様もまだまだ頑張られるおつもりでしょうけど、あなたの決断の時は、もうすぐそこまで来ているってこと。あなたはそのことを自覚していて、だからこそ動き出せない自分に苛立っているのだと思うの。だから、私から言えるのはこれくらいかしら」

 そしてサリューは、ルベールの迷いに揺れる目を真っすぐに見据え、言った。

「今のあなたが一番大事にしたい想いに正直な答えを選ぶといいわ。それは、あなた自身を選び取る選択。あなた自身に嘘を吐かない行為。そうやって出した答えは、その意志に基づいて行う行動は、この先何があっても、絶対にあなたを裏切らない」

 サリューの言葉に、ルベールは思わず、問いを口にしていた。

「何故、そこまで強く言い切れるのか……訊いてもいいですか」

「私がそうだったからね」

 即答し、サリューは驚いた顔になったルベールに向けて、懐かしい目で話をした。

「あなたは知ってるかわからないけど……私、『業火の日』にクララが家族を亡くして孤児になったって話を聞いた途端、クララのことが心配で、いても経ってもいられなくなっちゃってね。まだ十にもなってないくらいだったのに、一人で里を出てクララの引き取られた村まで会いに行っちゃったの。止めようとした母親と喧嘩別れする形でね」

 語りながらサリューは、遠い昔を懐かしむような目を、窓の外、光る空に向けた。

「それ以来、母親とは会うこともなくなっちゃったけど、今はあの日からずっと、クララを傍で支え続けられている。あの時、私が願った通りにね」

 そして、迷いのない澄み切った水玉ヴァコール色の瞳を見せて、ルベールに向き直った。

「私は、あの日の選択を後悔していない。たとえ故郷や母親との縁を失うことになったとしても、私はクララの傍にいたいと思った。それが、私にとって何より大事なことだったから、ね。だから私は、あなたに確信を持ってそのことを薦められるわけ」

 この上なく力強い話をまとめるサリューに、ルベールは屁理屈のように言っていた。

「それは、結果的にサリューさんも団長も無事で済んだからじゃないんですか」

「あら、冷たいわね。大事なものを守れなかった後にそのことを悔やむよりマシだと思うけど?」

 その言葉に再度表情を暗くするルベールを見て、サリューは毎度ながら参ったように溜め息を吐き、頭を抱えてみせる。

「あなたって嫌に頭が良い分、悩みも空回りしやすいのよねぇ。いい所なんだけど、そこも悩みどころっていうか……そうだ!」

 サリューは話しながらふと思いついたように手を打つと、怪訝そうな目を向けたルベールを手招きした。

「ルベール、あなたに魔法をかけてあげる。今のあなたに結構効きそうな魔法をね」

「…………?」

 サリューの意図が読めないまま、ルベールは無警戒にサリューの口元に耳を貸す。

 そうして寄せられたルベールの耳に、サリューは甘い吐息を混ぜて囁きかけた。

「(あ・ま・え・る・な♡)」

「…………っ!」

 自分の人生、自分で選べ――おそらく今まで誰もが言えて、誰も言ってこなかったことを凝縮した、短く厳しく優しい言葉。

 それは、ルベールの泥のような迷いに雷撃を打ち込むような言葉だった。雷に打たれたような思いに胸を揺さぶられたルベールが顔を上げると、サリューがこれ以上ない最高の悪戯が決まった時のようにご満悦そうな顔でルベールを見ていた。

「私からの助言は今はここまで。あとはお酒でも振る舞ってくれなきゃサービス過多ね」

「サリューさん……」

 戸惑いを見せるルベールに、サリューは不服とばかりに口を尖らせてみせた。

「そんな顔することないじゃない。私だって可愛いルベールのためだもの、けっこう真面目に回答したと思うわよ?」

 それに、とサリューは細い指を一本立て、教えるように言って見せた。

「話を聞けそうな人、まだ他にもいるじゃない。それも、あなたに一番近しそうな人が」

 サリューのその言葉が誰を指しているのかも、ルベールにはすぐにわかった。それを見取っていたサリューが、見送るように小さくひらひらと手を振っていた。

「行ってらっしゃい、王子様。いい『答え』がもらえるといいわね」

「意地悪ですね、サリューさんは。留守をお願いします」

 本音交じりの悪態を残してルベールはサリューに背を向け、談話室を出た。

 あれだけ聡い人だ、こちらの気持ちに勘付いていないわけがないだろう。にもかかわらず、あの試すような態度だ。気付いてないにせよ、気付いているなら尚更、あれは罪だ。

 本当に意地悪だ、と、ルベールはサリューの妖しい笑みに後ろ髪を引かれながら、一人公社を出、セリナとルチアの向かったエヴァンザ工業学園へと足を急がせだ。

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