第5章 工業都市エヴァンザ編 第3話(2)

 ルチアの支度を待って、セリナは彼女と一緒にコーバッツ家を出、エヴァンザの街の中を通って、ルチアが通うエヴァンザ工業学院への道を歩いて行った。

 穏やかな朝の空気の中を歩きながら、セリナは改めてエヴァンザの街の風景を見る。

 時刻は朝の8時過ぎ、敷石で舗装された大通りには商業都市ハーメスの人通りの多さこそないものの、朝の支度を始める人々の会話や表情には工業都市らしい叩き上げの活気が見える。昨日町に入った時からどこからともなく聞こえていた金属を叩くような音は今日も変わることはなく、その音に乗るように工業製品を取り扱う商店や業者の人々などが行き交う様子は、この町が鉱業や工業で発展してきたという事実を感じるのに十分だった。

 それらを一通り見回したセリナは、隣を歩くルチアに訊いていた。

「ねえ、ルチアちゃん。この町の運営って、どうなってんの?」

 セリナのその質問に、二人の前を歩いていたルチアがきつい目をしながら振り返った。

「不躾な言い方ですわね。この町の運営に不備があるように見えるとでも?」

「ううん、逆よ。政争が絶えないって話の割には、平和すぎる気がして」

 単純に疑問、とばかりに眉を顰めるだけのセリナに、ルチアが驚いたような顔になる。

「何よ、呆けた顔して?」

「いえ、少し意外に思いまして。思っていたより聡いようですわね」

 意外そうな反応を示したルチアに、セリナはかえって奇妙な反感を覚えた。

「何よ。あたし、そんなに変なこと言ったかな?」

 セリナのその言葉に、ルチアが今度は白んだような目を見せる。

「どうやらご自分の疑問が何を示しているのかよくわかってらっしゃらないようですわね。私が深読みをしすぎただけでしょうか」

「何よ、どういうこと?」

 焦れるセリナに、ルベールは詫びるように言った。

「思わぬ角度から指摘が来ると思いまして。貴女様の思う疑問は、この町のこの上辺の穏やかさに惑わされずに考えれば気付いてもおかしくないものですわ。その深奥まで見抜かれていたのかと驚いたのですが……」

 そう言うと、ルチアは横目でセリナを見て、小さく落胆したような溜め息を吐いた。

「その様子ですとどうやらただの野性の勘だったようですわね。買い被りすぎましたわ」

「悪かったわね。あんた、そのひねくれた性格少し直した方がいいんじゃない?」

「ご忠告ありがたく頂戴いたしますわ。後学の参考になればよいのですが」

 ルチアはそう言うと、ふん、と鼻を鳴らして前に向き直った。セリナはその態度に憮然となりながらも、ルチアの返した言葉から、自分の疑問を整理した。

「ってことは、やっぱりこの町もそうそう穏やかじゃないってこと?」

「表向きは見ての通り、市民生活には問題はありません。むしろ、どの業者も問題がないような街に見せようと努力しております。ただ、それこそ深奥の部分……水面下での政争の密度に関しては、王国内でも並ぶものがないくらいかもしれませんわね」

「政争の、密度?」

 理解の及ばない言葉に首を傾げたセリナに、ルチアは顔を上げ、町の奥向こうに聳えるように見える山脈の霞む姿に目を遣りながら、故郷の歴史を紐解くように話した。

「このエヴァンザは元々、あの山脈の麓の鉱山地帯に集まった鉱業業者達が寄り集まって形成された都市です。その発祥の歴史もあって、この町の運営は基本的にこの町に籍を置く業者達の合議で決めようということになっているのです。それがお父様の仰っていた『市議』ですわね」

 遠く聳える山の霞みに目を向けたまま、ルチアは回顧するように続けた。

「ですが当然、この町で商業を営んで生計を立てる業者達からすれば、少しでも利権を稼ぎたいのは当たり前でしょうし、いくら代表者が公平を謳っていても、そういう立場を利用して有利な不正や不公平な分配を行わないかもわからないのです。そういう意味で、この町の中で強い立場を持っていて利権を多く持ち得る業者、例えばこの町の発祥から長くリーダーを務めてきた我がコーバッツ公社などは、目の敵にされやすいということですわ。長いこと椅子を開けられないことへの鬱憤は、当事者の気持ちからすれば当然のものでしょうね」

「それって……」

 皮肉るようなルチアの言葉に、セリナはかえって胸に重いものが落ちるのを感じる。

 その政争の影響でルベールやルチアは母親を亡くしたのだ。そう考えると、とても笑える話ではない。

 セリナのその配慮を見取ったルチアは、不機嫌そうに眉を顰める。

「あなたに暗い顔をされるためにした話ではありませんわ。そんな顔をしないでくださいませ。要らない心配をされても不愉快です」

「はいはい、悪かったわね。それで、結局その政争の密度って何なの?」

 ぶっきらぼうに返して問いを続けたセリナに、ルチアは話を続けた。

「要は、合議で決めるこの町の運営においては、その合議の中で一定の立場を得ることの重さが大きいんですの。椅子の重さ、信用の重さと言ってもいいかもしれませんわね。市議の中で一定の信用を得られるようになると、その分市議の代表者達や市民からの信頼も厚くなって、提案を通しやすくなったり、よほどのことでもない限り糾弾されにくくなったりしますの。その分、我が社のように規模も信用も大きくなりすぎると、かえって警戒されやすくなったりしたりするのですけれど」

「ふーん……そういうもんなんだ。あたしそういうのよく知らなくってさ」

「組合の歴史が長いエヴァンザゆえの形態ですわ。王城の庇護の元に運営されている王都の方には実感が湧きにくいのも当然でしょう。ご自身の無知を恥じることはありませんわよ、セリナ様」

「なーんかあんたの言い方って棘があるのよねぇ……」

「そうでしょうか? 事実を述べただけだと思いますけれど」

「あーそ。じゃあもうツッコまないわよ。ったく、可愛くないんだから」

「人を見る目がありませんわね。こんなに可愛らしい妹、世の中を探してもそうはいませんわよ?」

「はいはい。そういうのは愛しのお兄様の前でだけ言ってなさい」

「…………」

「…………」

 無言の空気が擦れ合う中、些末な言い合いにも疲れたのか、二人はどちらからともなく態度を硬化させ、ただ足を前に進める。

 そのまま、金鎚の音が朝の空気の中に軽快に響く街道を無言で進むことしばらくして。

 ふいに、ルチアが口を開いた。

「ところでセリナ様。一つだけお聴きしてもよろしくて?」

「前置きが多いのよあんた達は。何?」

 急かすセリナに、ルチアはわずかにためらう様子を見せながら、口を開いた。

「以前、弟のような方がいる、と仰ってましたわね」

「え?」

 咄嗟に何の話か思い出せず記憶を辿ったセリナは、昨日、公社長室を飛び出したルチアを迎えに行った時に話したことだと思い出す。

 弟のような方、とは当然クランツのことだ。あまりにも自然に話していたことだったので気にも留まらなかったと思いだしつつ、セリナはルチアに問い返す。

「ああ、そういや言ってたわね。それで、その話がどうかしたの?」

「セリナ様は、その方をどのように思っておられますの?」

「へ?」

 思わぬ問いに妙な声を上げたセリナは、一拍遅れてルチアの意図を察し、

(ったく……このマセガキは)

 彼女の底知れない恋愛野次馬根性に、頭が下がる思いになった。

「そんなの聞いてどうしようってのよ。他人事でしょ」

「単純な興味ですわ。姉弟愛には、自分のことも含めて関心がありますの」

「あんたの場合、マジな奴だからアウトでしょうが……」

 呆れんばかりの溜め息を吐きつつ、セリナはとりあえず思考を巡らせる。

(クランツのことを、あたしがどう思っているのか……ねぇ)

 セリナの中では答えならもう既に、それこそずっと前から出ていた。だが、ルベールにすら話したことのないそれを、このマセた偏愛少女に話すのは、正直言って気が引けた。

(絶対、変に拡大解釈されるだろうし……どうしよ)

 セリナの溜め息を、ルチアは見逃さなかった。

「何ですの、その溜め息は。何か後ろ暗い事情でもおありですの?」

「あたしを悩ませてる当のあんたがそれ言う?」

 うなだれそうになりつつ、セリナはルチアに手を引いてもらえるような言葉を選んだ。

「別に。女の事情に土足で踏み込まれたくないだけよ。あんただってそうでしょ?」

 セリナの言葉の含みに、ルチアは驚いたように目を見開き、口を手で覆った。

「まあ……意外ですわ。セリナ様にも乙女の恥じらいがおありでしたなんて」

「あたし、あんたに何だと思われてるわけ?」

 ルチアの無遠慮な物言いに悪態を吐きつつ、セリナはその場を躱すべく言葉を続けた。

「ま、そういうことだと思っといて。意外なら意外でいいからさ」

「かしこまりましたわ。ですが……このことをお兄様が知ったら何と思われるか……」

「早速ばらしに行こうとしてんじゃないわよ。それに、別にルベールに話したって……」

 そこから先を口にしようとしたセリナは、胸の内にモヤモヤした思いが満ちるのを感じる。この手の話をする時に決まって浮かぶ思いが、この時は一段と強かった。

(ったく……こんな話で調子狂わされるような柄じゃないでしょ、あたし)

 全く自分らしくない、と、妄念を振り払おうとするように首を振るセリナ。それを横から見ていたルチアが、ふいに反省するように言った。

「そうですわね……秘めた恋心は乙女の最重要機密。私が些か無神経でしたわ。お許しくださいませ、セリナ様」

 ルチアの陳謝の言葉に、悶々としかけていたセリナは胸の内の靄が微かに薄れたように感じながら、言葉を返した。

「へぇ、意外ね。あんたが素直に謝ってくれるなんて」

「あなた様個人にというよりも、あなた様の秘めたる乙女心に対しての敬意ですわ。それに、私の推測が正しければ、あなた様がお兄様との恋敵になる危険性が、少しばかり減りますから」

「はいはい、そりゃよかったわね」

 得意げに答えるルチアに呆れたように返しつつ、セリナはどうにかルチアの詮索を躱せたことに安堵していた。

 などと会話を交わしながら穏やかな空の元に足を進めている内に、二人は町の一端に敷地を持つ市立エヴァンザ工業学園の校門の前まで辿り着いていた。業者の卵たる生徒達が朝の始業に急いでいく中、ルチアが向き直り、セリナに言う。

「ご足労ありがとうございました、セリナ様。これにてお役御免ですわ。もしお暇でしたら、夕刻4時の終業時間に迎えに来ていただけますよう、お兄様にお伝えくださいませ」

「はいはい。授業なんでしょ。さっさと行ってらっしゃいよ」

「言われるまでもありませんわ。それでは、失礼いたします」

 一礼して振り返り校舎へと駆けていくルチアの背中を見送りながら、

(ったく……生意気でも可愛い妹ね。ま、ああいうお転婆も嫌いじゃないけど)

「さて……授業が終わるまで、どうしよっかな」

 セリナは呟くと、穏やかに晴れた空を見上げ、今は遠い場所にいる弟分のことを思い出しながら、持て余した時間の使い道を考えるようにして、時間を潰していた。

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