マリッジブルー、貴方は上書きしてくれますか?

華乃国ノ有栖

マリッジブルー、貴方は上書きしてくれますか?

 白を基調とした室内、高い天井、採光だけを考えられたのであろう窓、釣られた大きなシャンデリア、その中でひときわ大きな存在感を放つレッドカーペット。

 私のグレーな気持ちは置いてけぼり、粛々と式の用意が進められていく。バタバタと行き交う召使たち。何をそんなに必死になっているの、と此方が問いただしたくなるほどに熱心な働きぶりである。


「マリアお嬢様、こちら御覧になってください。大変お美しいですよ。」

 これから一生続くであろう陰鬱とした日々に思いを馳せていると、髪の毛を結っていた侍女、ミーシャが私に鏡を差し出した。

 そこに映っていたのは、髪の毛を派手に編み、頭の上にティアラを身に着けて原型が分からなくなりそうなほど濃いメイクを施された私。最早私とは関係のない、『肖像画の中のマリア様』だ。


「わたくし、幼いときからこうして身の回りのお世話をさせて頂いたマリア様がご結婚なんて嬉しくて堪らないんですよ。だから、今日は一番綺麗な貴女様でいて欲しいんです。」

「嬉しい?それはどうして?」

 もう完成したのかと思った頭は未だに手を加えられ続けている。人の良さそうな笑顔をしているんだろうな、と思いながら若干やさぐれたような返事をすれば、思った通りの答えを寄越した。


「そりゃもちろん、あの国の王子様とご結婚だなんて嬉しくない訳がないじゃないですか。ミーシャの方が鼻が高いです。王子様ってだけでも素敵なのに、性格もとっても良いだなんて言うことないですしね、マリア様には勿体ないくらいじゃないですか。」

 櫛を手近なサイドテーブルに置き、うっとりとしたような声音でそう呟くようすはは、まだ若いこともあり恋する乙女さながら。こんな地位、譲れるものなら譲ってやりたいくらいだというのに。


「ねぇミーシャ、今の私、幸せかな。」

「ええ、それはもう、世界で一番に。」

 少しだけ望みをかけてそんな問いを投げてみるけれど、返ってきたのは思っていた通りの言葉。王家の使用人として雇われているのであれば少しくらい意味を察することを期待したのに、結果は驚くほどに的外れ。


「そっか。…私、ちょっとだけ外の空気吸ってくるね。式までには戻るから。」

 今日話した使用人たち全員から同じことを言われていた。もう沢山だと、ミーシャの遠くからの反対も聞かずに部屋を飛び出した。出来るだけ人が少なそうな回廊を選んで、ヒールの音を大きく響かせて。



「……よっと。」

 幸いにしてまだ式用のドレスを着ている訳ではないから、ある程度の無茶は許される。そんな判断を勝手にして、庭の木の中で一番太くて立派な木によじ登った。

 長いスカートの裾が捲れることも、ヒールに良くない力のかかり方をしているのも、式の直前にこんなことしちゃいけないのも、全部分かっていた。

 分かっているけれど、こうでもして周りから距離を置かないと今にも私は壊れてしまいそうだったのだ。


 雲一つない真っ青な空、澄み切った空気、木の上からでしか見ることのできないこの眺め。城の窓を覗き込めば、走り回っている使用人たちの顔たちが見える。皆どこか幸せそうだ。でもそれは、財政難に喘いでいた国の王女が豊かな国の王子と結婚できて国が良くなるだろう、という意味合いが強い。当人を差し置いたものに他ならない。


 探しに来たはずの彼の姿は見つからず、かと言ってこんな気持ちで式用の重いドレスに身を包めるわけも無く、少し悩んだ末にここに留まることを選んだ。枝の上を少しだけ移動して、膝を抱えて座り直す。



「マリア、ここに居たのですね。」

 本来ならば身分の高い者は滅多に立ち入ることのない、庭の隅の隅の草木が生い茂っているあたり。そんな場所で、本来聞こえるはずのない高貴そうな声が響いた。


「……カストール様、なぜここにいらっしゃるのですか?」

「何故って、式の直前に花嫁の姿が無いのですから、夫としては探すのは当然のことでしょう?」

「夫と言いましても、わたくしたちまだ婚姻を結んだわけではありません。」

 常にニコニコと笑顔を貼り付け、底知れぬ嫌な感じを振りまきながら木の上の私に手を差し出した。清涼感のある笑顔、早くも白いタキシードに身を包んでいて絵本にでも出てきそうなルックスをしている。


「あと数時間後には僕の妻になるのですから、同じものでしょう?」

 一向に手を取る気配のない私、苛立ちのような感情を抑えようとしているが堪えきれていないカストール。所作にも言動にも私を下に見ていること、力か何かで制圧しようとしていることの両方が露骨に表れていた。ミーシャたちが言うような『性格がいい王子様』なんて嘘っぱちだ。


「式までには用意を済ませますので、カストール様に問題はないかと。もう少ししましたらわたくしも中に戻りますし、一度城に戻ったら如何でしょう?」

「いえ、それならば僕もお待ちしますよ。エスコートするのも使命ですから。」

「結構です。何より、ここは私の城です。エスコートも何もでしょう。」

 きっぱりと断り、話は終わりだと告げる意図を含めてさらに上の木に自分の身体を持ち上げた。

 私とは違い、既に式用の服を着ている彼は上に上がってくることが出来ない。小さくため息を吐くと、『式での美しい姿を楽しみにしていますね』なんて歯が浮くようなセリフを捨てて戻っていた。




「…あれと結婚とか、ほんっと考えらんない。」

 一人残され、肩の力を抜いて両腕をさすりながら小さくそう呟いた。色素の薄いさらさらっとしていそうな金髪も、澄んだ青色の瞳も、落ち着いた声のトーンも思い出せばため息を吐きたくなる要素でしかない。

 結婚してこれから彼と一緒に暮らすということも、一生添い遂げなければいけないのも、何より式で口づけを交わさなければいけないということも。全てが憂鬱で希望の光の一つも見いだせなかった。


 カストールと時差を付けるためにああは言ったものの、そろそろ戻らなければ本格的にまずい時間帯になっているかもしれない。

 木から身を乗り出し、時計を遠目で確認する。針が差している時間は決して余裕とも言えないが、危ないとも言えない微妙なライン。でもミーシャたちからの小言を軽減させるのであれば、中に戻るのが最適だろう。


 結局望みを叶えることは出来ず、ただただ嫌な思いをしただけで帰ることとなることに悔しさを感じながらも木から降りようと体勢を変える。

 その時、私の鼓膜を一つの声が震わせた。


「マ、マリア様!?おま…なんでここに…。」

 目を丸くして大きな声を上げたヨレたコックコート姿の彼。赤毛を今風に遊ばせて手をポケットに突っ込んでいる出で立ちは一見何処にでもいるチャラ男のようだけれど、真っすぐな瞳と性格を持っていることを私は知っていた。


「ルリア!今日の調子はどう?」

「調子も何もあるか!お前な…今日何の日か分かってるのか!?」

  先程迄の苦々しい感情が消え失せ、自然に持ち上がる口角と共に彼のいる部屋に近い枝に移動する。

 ルリアは流石使用人と言うべきか、脱走してきた花嫁を叱り飛ばす。当たり前と言えば当たり前だが、彼が私の結婚を引き留めてくれないことに一抹の寂しさを感じてしまう。


「何の日、だったっけ?なーんて。」

「ほんっとに…今月ずっとお前の結婚で町は色めきたってたんだぞ?なのに当の主役が何してんだよ、ほんとに。」

「いやぁ、ちょっとマリッジブルーみたいな?マリアだけに?」

 いつもの調子でアハハッと声を上げて笑ってみせ、頬を軽く掻く。呆れたような溜息を吐くと、ルリアは私の額にまっすぐ手を伸ばす。


「痛っ!?仮にも私一国の王女なんだけど!?」

「普通王女なら使用人のフリして木には登らないだろ…。」

「使用人のフリなんてしてないわよ!」

「今はな。」

 数時間後に結婚式を控えている王女にデコピンをかました彼は私の抗議も肩をすくめるだけで流してしまう。『今は』という表現に一瞬引っかかりを覚えたものの、すぐにそれが最初に出会った時のことを示しているのだということに気付く。


「あの時は、色々あって仕方なかったの。」

「ほう?」

 続きを話すなら聞く、というスタンスの彼に私は座り方を直してから口を開いた。



「私がこの城で木に登ったりなんかしたら、皆真っ青にして降ろそうとするでしょ?それが嫌でぱっと見じゃ分からないような恰好をしようとしたのも、理由の一つ。あとはね、私を王女と思わず接してくれる友人が欲しかった。」

「……それが、俺って訳か?」

 私の言葉に、若干居心地が悪そうな顔で口を挟むルリア。恐らく私と同じで、当時のことを思い起こしているのだろう。


「そう。敬語も使わなくて、顔色を伺うこともしなくて、対等に接してくれるような、そんな友達。」

「だからってそんなことするのか…?」

「だって、そうでもしないとそんな友達作れないでしょ。そもそも、普段から会ってる人なら何しても友達にはなれないし。だったら、こうでもして裏方の人と知り合いに行くしかないじゃない?」

 声音に少しだけ真剣な色を乗せて、ルリアの目を見つめてみる。過去に何度か『お前は目力が強すぎる』と言ってすぐに逸らされてしまっていたけれど、今日くらいは見返してくれないのだろうか。


「ま、それもそうか。やっぱお嬢様って大変なんだな。」

「ほんっとだよ!ほんとの意味でそれ分かってくれるの、ルリアだけだよ?」

「そんなことはないだろ。あれだけ沢山の人が周りに居るんだから。」

 不思議そうな表情の彼には、多分どれだけの言葉を尽くしてもこの感情は理解されない。そんなことは今まで何度もあったけれど、何度繰り返しても彼との間の隔たりを感じて寂しいような気もした。


「ま、そういうことにしてもいいけどさー。……それはさておき、ルリア私に言うことない訳?」

「言うことぉ?」

 負の感情が一切表に出ないように気を配りながら、結婚の話へと話題をスライドさせる。触れられないで終わってしまうより、何んでもいいから何か言って欲しい。『王女マリア様』ではなく、『マリア』に対して思っていることを。


「今日、厨房の方は忙しいんじゃないの?」

「ああ…そういうことか。何だ、私は王子様と結婚できて幸せなの、とでもアピールしたいってか?」

「えっ……?なんで、そうなるの?」

 あくまでも揶揄い交じりにそう告げると、返答は想像の数倍不機嫌なものであった。眉が分かりやすくひそめられ、唇なんて百点満点のへの字だ。


「わざわざ自分から言うってことは、何か俺に言わせたいんだろ?『おめでとうございますマリア様』とでも言えばいいのか?」

「わざわざ自慢する為だけにルリアを捕まえると思うー?私はただ……。」

「ただ?」

 『結婚しちゃうけど、何か思った?』と軽く続ければいい。なのに、そこで緊張が先走って言葉が出てこない。結果、ルリアは怪訝そうな表情を浮かべる。


「ただ………私に先越されることになるけど、男として悔しくないの?…って思ったの!」

「別に、政略結婚させられる王女様に先越されたところで悔しくも何ともねぇし。」

 言いながらふいと視線を逸らす。そのどこか淡泊なリアクションに無性に怒り出したくなるような衝動が湧き上がってくる。


「へ、へぇー、そうなの?……じゃあさ、私が明日からどこに住むのかも知ってる訳?」

「そらあちらさんの城だろ?」

「知ってたの!?」

「新聞でな。」

 さも当然、と言いたげに肩をすくめる。常識として私の行く末が知らないうちに不特定多数の人に知らされているというのも何だか複雑である。


「私がカストールの城で暮らすんだし、お互いもう会うことないんだよね?じゃあさ、今のうちに言えなかったこと全部言い合いしない?」

「まぁ…そういうことなら。」

「……じゃあ、言い出しっぺの法則ってこともあるし私から。私、カストールと結婚するのが本当に嫌。上手くやっていける自信もないし、やっていく気もないの。」

 こんな先制パンチズルいよなと思いながら、私はくすぶり続けた思いを吐露する。『俺と一緒に来ないか』とかそんなことを彼が言ってくれるとは思えないけれど、それでも期待を掛けたかったのかもしれない。


「あとは…ルリアの存在、ほんとに心の支えになってたよ。私からは、こんなもん。」

 いつも通りに溌剌と言いながら、自分の胸の内が急に熱くなっていくことを感じた。私はきっと、ルリアのことが好きだった。きっと、初めて出会ってボロカスに言われた時から、ずっと。

 でも今更この思いは捨てなきゃいけないもので、告げることすら許されない。分かってはいるけれど、自覚することで溢れ出す気持ちは止まることを知らなかった。


「ま、大丈夫だろ。図太そうだし、あの王子様も尻に敷いて何とかやっていきそうだし。」

「どういう意味!?自分が凄く失礼なこと言ってることに気付いてる!?」

「それに、お前何やかんや真面目で責任感あるから、途中で投げ出したりしないだろ。」

 投げかけられたその言葉は、今の酷く弱っている私の心を強く掴むには十分すぎた。『好き』の二文字が今にも口から飛び出しそうになるのを必死で堪えながら、私はいつもの軽口を叩く。


「も~、私のこと買い被りすぎ。まぁ実際そうなんだけどね!で、ルリアは?何かあるでしょ~?」

「そうだな、俺は…。」

 言いながら顎に手をやり、少しの間考え込む。普段なら何気なく眺めていたその横顔も、今は胸が苦しくなるほどに愛おしい。一生この時間が続けばいいのにと本気で思ったのは人生で初めてだろう。



「俺は、お前のことが好きだったよ。身分違いなんてことは百どころか、千も一万も承知だけどさ。皆の前でヘラヘラ笑って手を振ってる頭空っぽな王女だと思ってたんだ。最初はさ。でも、いざ話してみると全然そんなことなくて、すげぇ良い奴だなって思って、気付いたら好きになってた。……って、俺らしくないよな。それに、困らせたよな?こんなの、忘れてくれ。」

 予想だにしていなかったその言葉に涙が零れ落ちそうになる。『私も好き』と言いたくなる。しかし、それをしたとて私たちが結ばれることは絶対にない。


 もしこの気持ちを告げてしまえば、国際問題に発展しかねないし、ルリア自身にも何があるか分かったものではないのだ。だから…私が彼のことを好きなら、できることはたった一つだけ。



「え~、嘘じゃないよね?気の利いたジョークでも私は嬉しいよ!…って、時間まずい!そろそろ式に本当に間に合わなくなっちゃうから、ごめん!…バイバイ!」

 鈍感な振りをした私はそう言い残してその場から駆け出した。これ以上ないほどに残酷なことをしているのは自分でも痛いくらいに分かっていた。

 でも、それ以上のことが今の私には何もできない。だから、こうするしかなかった。


 そして彼から貰った『好き』の言葉を抱えて、これから一生を生きていこうと思いながら、ミーシャが顔を真っ赤にして待つ部屋へと戻るのだった。

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