第3話 歌川桔花の目線Part3

「歓迎会、ですか?」

「そうだよキッカ。明日の夜だそうだ。メール見てないのかい?」

「はい……」


 キッチンで作業しながら私は答えた。

 私達の入部から三日たった木曜日のことだった。明日は本来練習日の筈だが、お休みにして外食にするらしい。

 携帯を開くと確かにメールが来ていた。入部届けを書いた後、全員と交換したのだ。部長は既に雛見のアドレスを知っていたらしい。

 チーン、とオーブンが鳴り、私はキッチン手袋を嵌めてオーブンの中身を引っ張り出し、器に移していく。眩しさを感じた程の狐色をした四角形の厚みのあるマフィン状のお菓子。ホットビスケットという。


「うんと甘くしますか?」

「うん。お願いするよ」


 その上から蜂蜜をかけ、苺を刻んだものに砂糖を付けてまぶすようにして乗せる。そして新鮮な生クリームをかける。

 皿に移し終わったので、薄力粉やペーキングパウダー、バター、余った苺を片付けていく。溢れて皿から溢れた苺の断片をはむっと口に入れる。甘酸っぱさが口内に広がった。

 材料は三人分だが、彼女は全部食べれるという。


「太っちゃいますよー」

「私は体型維持の天才だよ?その証拠に太った事がないんだ」


 羨ましい。雛見はその細い身体を私のベッドにもたせかけ、床にお尻をついて文庫本を読んでいた。

 ドナルド・E・ウェストレイク「骨まで盗んで」。私の本棚に入っていた本である。キザだがどこか間の抜けた怪盗が出てくるコメディミステリだ。お気に召したのか時折クスクス笑っている。

 なぜ彼女がここにいるのかというと、今朝朝食を一階にある食堂でとっていた時、彼女が私の朝食代わりのホットビスケットに興味を示したからだ。


『そんなの購買に売ってたかな?』

『いえ、昨日作ったお菓子の余りです。あ、良かったら味見しますか?』


 という感じだ。驚いたのは、彼女が思いのほか大食いだということだ。


「うん、いただきます」


 と口にホットビスケットを含んだ。

 それからもご機嫌さを隠しもせずに食べるため、こちらも嬉しくなってしまった。

 重々しい鐘の音が、寮内に響き渡った。

 部屋の時計を見る。午後七時。微かに遠くが金属が軋むような音が聞こえてきた。

 門限だね。雛見が本に目を向けたままぽつりと言った。


「さあ、焼けましたよ!」


 私はホットビスケットを乗せた皿をお盆に乗せてテーブルに置く。飲み物として紅茶を用意した。ありがとう、と雛見がはにかむ。


「ここは本が多いね」


 ぐるりと部屋を見渡しながら、感心したように雛見が言う。私の部屋は壁際に大きな本棚を置けるだけ置いている。未読のものも混ぜるとかなりの数になる。


「実は読書大好きなんです。ミステリとかが多いですけど」

「うん。私も好きだよ」


 彼女は私と出会った日、ポケットにクイーンの「Zの悲劇」を入れていた。

 私達は会話を続けた。

 夕食をとるのも忘れて、私達はひとしきり雑談する。雛見は博識で、話していて退屈することがない。華奢でどことなく老獪ろうかいな印象もある、不思議な子だった。


「物語がお好きなんですね」

 私が感嘆すると、「昔、暇な時期があってね」と教えてくれた。


「やっぱり、演劇をやっているのも、その影響ですか?」

「うん。そうだよ。楽しむためさ」

「初めはね、自分のために演じてたんだよ。

私もフィクションの世界の一員になって、その世界観をもっとリアルに楽しむんだ、って」


 はじめはひとりよがりだったんだよ、と雛見は苦笑した。

 世界観を楽しむ。虚構の世界に入り込む。

 彼女の演技力の秘訣はそこにあるのかもしれない。おそらく彼女はその物語の世界観を捉え、イマジネーションを膨らませるのが上手いのだ。


「ところで……」

「はい?」

「キミはなんで演劇やってたんだい?どうして…………」


 その言葉の続きを聞いて、大した事じゃないですよ、と前置きしてから話し始めた。

 私の話が終わった後も、暫く会話は続き、日が変わるギリギリ辺りでお開きになった。

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