『夜勤』後編

 気が付くと、私は1階の空き部屋で寝かされていた。


 部屋を出ると上野さんが居た。 ……あの電話の後、直ぐに来てくれたと言う。


 加えて、数名の介護ヘルパーさんが招集されたようで、建物の中は落ち着いており、不思議なくらいに静かだった。


 私にとっては初めての経験だったが、このような事は度々起きているらしい。


左右田そうださん、大変だったね。 ……警察の人がちょっとだけ話を聴きたいそうなんだけど……大丈夫?」


 大丈夫かどうか、自分でも判らないが、私は何もやましい事をしていないので、何か聴かれるなら、さっさと済ませて欲しかった。


 ……事務室で警察官に状況を説明すると、10分もかからずに聴取が終わり、開放された。 あっさりしたものだ。



 ……今晩は別の介護ヘルパーさんが代わってくれる……との事で、私はタクシーで家に帰された。


 シャワーを浴び、缶の発泡酒を飲んだら、少し落ち着いたが、うとうとした途端、さっきの遺体が鮮明にフラッシュバックし、恐怖で眠れなくなってしまった。


 気を紛らわせようと、テレビをつけたが、高齢者が映る度に、が連想され、慌ててテレビを消した。


 ……あそこに勤務するだけでも大変だったのに、これからはがトラウマになって、それにも苦しめられるのか……。


 ……そう思うと、震えがきて、ますます眠れなくなった。


 ダメだ……。 もっと強いアルコールを飲んで、酔い潰れて寝るしかない。 冷蔵庫から焼酎と炭酸水を出して、テーブルに置いた。


 ……?


 炭酸水のキャップに、ビニールに入った消しゴム? のようなものがかけてある。


『本物の『王子様』プレゼントキャンペーン!』


 ……随分セコいが、良くある販促のおまけらしい。


 袋に印刷された説明を読むと、消しゴムだと思ったのは、緑色の『三日月』の形をした植物の『葉』の部分だと判った。


 名前は『月の王子』……多肉植物で、このまま放っておくと根が生えてきて、それを植えると、立派に成長する……と言う。


 ……人の『死』をの当たりにした日に、思いもよらず『命』を手に入れた気がして、少し救われた。


 前々から動物を飼いたかったが、このマンションはペット禁止だ。 その点、観葉植物なら気兼ね無く育てられる。


 私は『月の王子』の成長を心の拠り所にする事にした ……と言うより、この『王子様』の成長に集中して、他の事を考えないようにしたかった。


 ……数日後…… 


 ……説明書通りに、葉から細い根が生えてきた。


 私は、お花屋さんで、小さなプランターと、多肉植物用の土を買って来て、そこに王子様を植えた。


 王子様は、ゆっくりだが着実に大きくなり、数ヶ月後には、立派な成株(?)になった。


 ……王子様を見ていて、改めて気付いた事がある。


 この植物は、たった1枚の葉から、ここまで成長した。 ……つまり、細胞が生きていれば元通りに復活出来る。 


 しかし、動物は違う。


 あの、亡くなった入居者は『脳』の命令で自ら命を絶ってしまった。


 ……彼女の『細胞』ひとつひとつは、絶対に死にたく無かった筈だ。 細胞に意思があれば、恐らく『馬鹿な事は止めろ!』……と必死で止めた事だろう。


 人間の細胞は37兆個と言われている。


 その『死にたくない』という意思の『多数決』は認められず、たったひとつの『死ぬ』という命令が執行され、全ての細胞が一蓮托生……全滅してしまった。



 そう……あの日の経験が無かったら……そして『月の王子』との出会いが無かったら、私自身が死を選択していたかも知れない。 




 人には必ず、与えられた『使命』がある……という。


 今思うのは、私が出会った人々、そして、これから出会う人々の『細胞の意思』を尊重し、真摯にこの仕事に向き合う事が、私の『使命』かも知れない……って事だ。


 ……まだまだ挫けそうになるけれど、そんな時は、事務所の机に置いてある、分株した王子様に勇気と元気を貰う。


 ……月の王子は、いつでもガッツポーズで、私を勇気づけてくれるんだ!

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