40.奪還、もとい陥落

「神津さん、おはよう!」


都が下駄箱の前で上履きに履き替えていると、数人の男子生徒が挨拶をしてきた。


「おはよう」


都はにっこりと笑って挨拶を返した。


「おはよう。都、今日も可愛いわね」


静香が腕を絡ませてくる。

いつもの朝だ。


「おはよう、静香ちゃん。今日はいい朝ね!」


都はにっこりと静香を見てほほ笑んだ。


「そう? 今にも雨が降りそうな空だけど」


静香は怪訝な顔で都を見た。


「うん! いい朝よ!」


「そ、都がそう言うならそうかも。いい朝ね」


静香は、昨日のショックを引きずっていることを心配していたが、徒労のようで安心した。

それどころか、また別のエンジンがかかっているようだ。

大げさに落ち込んでも、あっという間に立ち直るのが、この親友の長所だと改めて気付く。

しかし、それに付き合わされる方は、若干面倒臭い。


「都、気が付いたのよ。今まで『許嫁』って言う立場に甘えていたんだわ!」



「そう?」


「そう!」


都は力強く頷いた。


幼馴染≒彼女、彼女<許嫁、許嫁=結婚


そう思っていた都の中の方程式は崩された。

彼女よりも恋人よりも絶対的に強固な立場だと思っていた『許嫁』。

これに甘えていたのだ。


「都、『許嫁』止めても『好き』は止めないの! だから、これからは全力で和人君を落とすことに力を入れる!」


新しい目標を興奮しながら話す都に、静香は軽く肩を窄めた。


「・・・結局、もとに戻っただけじゃない・・・。『和人君奪還計画』」


「違うもん! 『奪還』じゃないわ。『陥落』よ!」


そう、落とすのだ!

和人が自分に好意を持っていることは、あの対策ノートで明らかだ。

それを素直に認めずに許嫁を辞めたがっている和人を絶対に落とすのだ。


都は目をキラーンと光らせている

やる気に満ちて、生気が漲っている。


「まあ、ご機嫌なのはいいことね。ウジウジされるよりよっぽと良いわ」


静香は呟くように言うと、明後日の方向を見て拳を握っている都を引きずるように教室に連れて行った。





放課後、和人は図書室に向かっていた。

まだ特進科棟を出る前に、同じ図書委員の後輩の林と行き会った。


「あ、津田先輩。今日当番ですよね! 一緒に行きましょう!」


そう声を掛けられ、一緒に並んで歩き始めた。


「津田先輩、今回も3番以内でしたね! おめでとうございます! いーっつも上位成績者に名前を貼り出されるなんて、すごいですよね!」


「ありがとう。林さんは今回のテストどうだった?」


「私は前回と変わらずってところです。クラスの真ん中で・・・」


林は、てへへと可愛らしく舌を出し、頭を掻いて見せた。


「でも、今回の1年生は僕ら2年生より全体的に優秀だって言っている先生がいるよ。だから、僕なんかより上位に入るのはずっと大変なんだよ」


「そうなんですか? あ、でも、ズバ抜けて頭良い奴が数人いるんですよ~。多分そいつらが平均上げてるから、先生もそう思っているんじゃないですか」


仲良く穏やかにそんな話をしながら歩いていると、ふっと思い出したように林が和人に振り向いた。


「そうだ、津田先輩! 前にお勧めしてもらった星座の図鑑、良かったですよ~」


「ああ、ホント? それは良かった」


和人は星が好きだ。読書以外にも天体観測も趣味の一つ。

星座が好きだという林とは、その点で話が合う。

よく本を紹介してくれと頼まれる。


都も和人の天体の話は楽しそうに聞いてくれるが、自ら図鑑を広げて見るほどではないし、ましてや貸してくれなどと言われたこともない。

それに比べて、それなりに興味のある林とは、天体に関しては都よりも話が弾むことがあり、なかなか楽しい後輩だ。


それでも和人も普通の男子。

好きな子が自分の話を夢中で聞いてくれる満足感と、知らないことを教える優越感の方が上回る。

お互い知っていることで盛り上がる林との会話より、何も知らない都へ説明する方が楽しい。


「ねえ、先輩。今日は一緒に帰りませんか? テストも終わったことだし」


「え?」


和人は目を丸めた。

驚いている和人に林は笑いながら、


「本屋付き合ってくださいよ! また星の本、紹介して下さい!」


そう言うと、腕をパシパシ叩いた。

和人は予想外の誘いに、一瞬、言葉が出てこなかった。


「ダメですか? 用事あります?」


林は首を傾げて和人を見た。

そう聞きながらも、和人の言葉に詰まっている様子を、まさか困惑しているとは思っていないようだ。


「・・・うん。ごめんね。今日は用事があるんだ」


和人は申し訳なさそうな顔をして林を見た。


「今日は、絶対外せない用事があるんだ・・・」

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