第55話 エピローグ そして始まる物語

 一台の箱馬車ワゴンが、ゴトゴトと古い街道を進んでいた。


 辺りは見渡す限りの草原で、穏やかな風が渡っていくたびに豊かな緑がキラキラと陽の光に煌めいている。

 地平線の上には吸い込まれるような透明な空がどこまでも高く広がり、雲雀ひばりが歌うそんな天と地の狭間を、馬車はのんびりと進んでいた。


 馬車は四頭立ての大型のもので、客室キャビンは四人が向かい合わせに座っても充分に余裕があった。

 座席は倒せばベッドとなり、野営に慣れてない子供でも快適に眠ることができる。

 客室の後方と屋根は収納スペースになっていて、一ヶ月分の食料とエールと葡萄酒の樽が一樽ずつの他にも、野営用の天幕テントや毛布。防寒着を含む衣料品。さらには剣、弓、盾、鎧といった武具までが積まれていた。


 馬は全部で五頭いた。

 四頭は箱馬車の輓馬ばんばでどれも若く逞しかったが、穏やかで優しい気性だった。

 もう一頭は軍馬でやはり若かったが、他の馬に比べてその姿は優美でより力強く、猛々しくも忠実な性格だった。

 軍馬を駆るのは若く美しい女騎士で、箱馬車と共に駒を進めていた。

 鞍に下げられた長剣と盾が日射しを受けて、誇らしげに輝いている。


「~~♪」


 御者台では幼い少女が両足をパタパタさせて、心地良い陽光と風を楽しんでいた。


「ご機嫌だね」


 手綱を握る若い男が訊ねた。


「だってとっても楽しいんですもの! こんなに楽しいのは初めてよ!」


 一回り離れた兄の言葉に、妹は破顔してみせた。

 兄の手によって助け出されたあとも幼い妹は、しばらく意識を失ったままだった。

 そして目覚めたとき、それまでの出来事を何も覚えていなかった。

 故郷が焼かれたことも、帝都に連れ去られたことも、居城の隠し部屋で自分の身に起こったことも……。

 それは兄妹にとって、なによりの救済だった。


「でも何にもない場所だよ」


 心優しい兄は微笑した。

 視界の続く限りどこまでもどこまでも、空と草原しかない土地である。


「そんなことはないわ。だってパティ、タイベリアルから出たことがなかったんですもの。何もかもが珍しくて楽しいわ。それに――」


「?」


「それに兄様がいるから!」


 そういって幼い妹は、大好きな兄の腕に抱きついた。



 だがそうは問屋が卸さない――とばかりに、別の少女が兄妹の間に割って入った。


「きゃっ!」


「おっと」


「もう危ないじゃないの、ディーヴァ!」


「パトリシア・サークに警告する。マスターナイトはわたしのマスターナイトだ。たとえおまえが遺伝子的に繋がりがあろうとも、わたしの許可なくマスターナイトに触れることはゆるさない。もしわたしの許可なくマスターナイトに触れるなら、わたしは持てる全戦力を投入しての徹底的かつ殲滅的かつ壊滅的な阻止行動に出るだろう。素粒子ひとつ残さないレベルで駆逐してやる」


 黒い髪に黒い瞳。

 外見的な年齢では妹と大差のない少女が、当然の権利とばかりに告げる。


「それじゃ、許可を頂戴!」


「拒否する」


「独り占めは良くないわ!」


「だが拒否する」


「仲良くするの。ディーヴァは反対側に座ればいいでしょ。御者台は広いんだから」


「もう、兄様はいつもそうなんだから!」「マスターナイトはいつもそれだ」


 プクゥー! と頬を膨らませるふたりの少女に挟まれて、兄の青年は……トホホと情けない顔を浮かべた。


「なんとも良いご身分だな、をふたりもはべらせて」


 女騎士が馬上からジトッとした視線を向けた。


「ははは……アスタもどう? もうひとり座れるよ?」


「結構だ。わたしにはライオネルがいるからな!」


 女騎士はツンと前を向くと、かつての ”鎧” の名を受け継いだ愛馬の足を速めた。

 青年から贈られた軍馬は箱馬車とその荷、さらに四頭の輓馬を合わせたよりも価値がある。

 青年がやれやれと苦笑したとき、


「――では」


 黒髪の少女が口を開いた。


「わたしの視界内かつ生殖行為を伴わないのであれば許可しよう」


 不承不承。

 まことに不本意ながらといった様子ではあったが、黒髪の少女が妥協した。


「? 生殖行為? 生殖行為ってなぁに?」


「そ、それは多分気にしなくていいんじゃないかな、うん。パティにはまだ早いし、そもそも俺たちには関係ないし」


 ヒヤヒヤしながらふたりの会話を聞いていた青年は、慌てて取り繕った。


「それじゃ、仲直りね?」


 妹が訊ねた。


「よいだろう。停戦を受け入れる」


 幼い妹は上機嫌で兄の腕に抱きつき、黒髪の少女も負けじと主の反対側の腕に抱きついた。


 そうして動きにくいが、気まずくはない沈黙が訪れた。

 聞こえるは雲雀のさえずりと、馬車の車輪の音だけ。

 再び穏やかな時間が流れていく。


 青年は思った。

 誰もが変わった。


 幼い妹は悲しみと孤独から解放され、無邪気さと明るさを取り戻した。


 女騎士は張り詰めていた空気が薄まり、素顔を見せられるようになった。

 家族と故郷を失った傷心が癒えるのはまだ先だろうが、いつかは心から笑える日が来るだろう。


 そして黒髪の少女――ディーヴァ。

 様々な ”想い” を、少しずつ手に入れている。

 ”感情プラグイン” などという作り物ではない、自身に生じる本物の ”想い” を。

 それはきっとこれからの彼女を豊かに潤すだろう。

 人生に確かな価値を、生まれてきた意味をもたらすだろう。


 そんな彼女を見守る……自分の人生にも。


 ドサッ!


「うわ!」


 突然となりに飛び乗ってきた女騎士に、ディーヴァが目を白黒させた。


「ア、アスタロテ、急になんだ!?」


「気が変わった。やはりわたしもここに座らせてもらう」


「それはわがままと言うものだぞ! 行動に移ってからの方針変更は混乱の元だ! 好ましくない選択と言わざるを得ない!」


「人間とはわがままな生き物なのだ」


「それは屁理屈というものだ!」


 さらに狭くなった御者台をさらを賑やかにして、箱馬車は四人を運んでいく。


 街道は、港湾都市 ”ターセム” に続いている。

 そこから彼らは船に乗り、新たな世界を目指す。


 止まっていた時間は動き出し、明日の夢が再び輝き出す。

 未来は――どこまでも希望に溢れていた。



 完



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ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

気に入っていただけましたら、レビューや評価などいただけると嬉しいです。

続きが読みたい! と思っていただけましたら、

第53話 『人形と ”恋” 』をお読みくださいませ。

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ロマンシング†ざまぁ 井上啓二 @Deetwo

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