幕間 長き旅路の果てに

第27話 遙かなる ”稜線”

 故郷タイベリアルへの帰還は、半年にわたる旅路だった。


 俺とディーヴァが再出現テレアウトした森は、アスタロテと分かれた原始林ではなかった。

 アスタロテと別れた樹海から”大赤竜だいせきりゅうの背骨” と呼ばれる山脈を越えた先にある、未開の大森林だった。


 まるで衝立ついたてのように東西一〇〇〇キロメートルに渡って六〇〇〇メートル級の山々が連なる ”大赤竜の背骨” は、ハイセリア最大の山脈と言われている。

 マキシマムの故国である ”神聖イゼルマ帝国” とは、この人跡未踏の巨大すぎる壁によって隔てられてしまったのだ。


(大雑把な位置関係で言えば北から南に、ボーンミル城塞→大陸幹道血の道→アスタロテと別れた太古の原生林→大赤竜の背骨→再出現した樹海となる)


 戦場の捨て石にされた俺であり、そもそも中の人はマキシマム・サークではなく瀬名せな岳斗がくとだ。

 無理して帰国する必要もなかったのだが、やはりアスタロテや戦場で別れたロイドやモーゼスたちのことが気になった。

 彼女たちが無事なら、必ず故国を目指すはず。


 それにパティ――パトリシア。

 マキシマムの記憶の中でしか知らない妹のことも気に掛かる。

 鬼畜騎士と忌避されてはいても、マキシマムはタイベリアルの領主だ。

 実務を取り仕切っているのは信頼できる家令だが、兄が戻らなければパトリシアに諸々の負担がかかる。

 パトリシアは今年一〇才になったばかりだ。

 やはり一度は帰ってやらなければ、可哀想だった。


 そして野を越え、山を越え、河を渡り、大海原に揺られた旅はまもなく終わる。

 マキシマムの故郷イゼルマのタイベリアルまで、指呼の距離だった。


「――あの峠を越えれば、タイベリアルが一望できるよ」


 俺は長く続く峠道の先を指差した。

 声が弾んでいるのは、急峻な山道を登っているからではない。

 半年ぶりに――瀬名岳斗自身は初めて――見る故郷の景色に、胸が躍っているのだ。


「ふむ、興味深いな。マスターナイトは人間ヒューマンにしては屈強な肉体を誇っているが、そんなマスターナイトが育った場所とは、いったいどれほど危険な土地なのだろう。わたしの手に余るような強大な敵はいるのか?」


 隣を進むディーヴァが、言葉の端々に期待を滲ませて訊ねた。

 最強の美少女オートマトンはこの半年の間に、ますます脳筋気質に磨きが掛かってしまっている。


「そんな ”俺より強い奴に会いに行く” ……みたいに言わないでくれよ」


 奔放に育ってしまった娘を持つ父親とは、こういう気持ちなのだろうか。

 微笑ましいやら、愛おしいやら、もう少しどうにか出来なかったのだろうかという後悔やら、そんな複雑な思いが苦笑となって浮かんだ。


「平凡な騎士領だよ。城下といくつかの町。それよりも小さないくつかの村。人口は三〇〇〇に満たない。住民の多くが小麦を育てたり牧畜を営んで暮らしてる」


 ディーヴァの瞳に、失望の色が浮かぶ。

 無表情だが決して無感情ではない機械仕掛けの戦姫は、面白くなさそうだ。


「や、山に入れば熊ぐらいはいるよ。それも大きいのがね。あれだって住民にしたら大変な脅威なんだよ」


「熊か。熊では物足りないな。だがマスターナイトが命じるのならば、討伐するのもやぶさかではない」


「陳情があったら頼むよ……」


「了解した。その時は任せてほしい」


 素直にうなずくディーヴァ・オートマタ。


 無敵のディーヴァ。

 無双のディーヴァ。

 無類のディーヴァ。


 でも彼女は、まだまだ完全ではない。

 ほぼ全ての拡張記憶領域にアクセス不能な現在、ほとんどの追加機能プラグインを使うことができずにいた。

 空を飛んだりはもちろん、涙を流したり笑顔を浮かべることすらできないのだ。

 基本記憶領域に焼き付けられている文字どおりの、基本人格、知識、技術――以外は引き出せないままだった。


(……空なんか飛べなくてもいいから、泣いたり笑ったりは出来るようにしてあげたいなぁ)


「マスターナイトが気にする必要はない。そういった感情表現が拡張記憶領域に記録されているのは、わたしがBDバトリング・ドールの能力を兼ねそなえた最新の汎用量子オートマトンだからだ。戦闘人形に感情は不要であり、むしろ自由な機動を阻害する要因となる」


 ”接続” しているディーヴァが思考を読んだ。


「……うん」


 俺は寂しげにうなずくしかない。

 どんなに人間に似た姿をしていても、このは人間ではない。

 旅の最中に言われたことがある。


『マスターナイト、わたしを人間として扱わないでほしい。わたしは最新の汎用量子オートマトンであって、それ以外の何ものでもない。人間として扱われるとわたしは困惑し、混乱してしまう』


 ディーヴァを人間の女の子として接するのは、彼女には負担にしかならないのだ。

 彼女を尊重するなら、ありのままの彼女を受け入れるべきなのだろう。

 機械を人間として扱うのは、人間のエゴにすぎないのかもしれない。

 

「ナノマシンがようやく最大値まで回復したようだな」


 俺の気持ちを知ってか知らずか、ディーヴァが話題を変えた。


「ここのところ、ずっと移動と野宿だったからね」


 俺の体内のナノマシンは最大で100。

 顕現化や怪我の治療をするたびに減っていく。

 消耗した分は、ナノマシンが再増殖するまでは復活しない。

 だいたい安静にしていれば、一日で5パーセントナノコストほど回復する。

 動き回っていると、それよりも回復量は落ちる。

 一晩寝れば全快……とはならないのが、古典ファンタジーとは違うところだ。


 顕現化にかかるナノコストは、だいたい次のような感じだ。


 長剣  25ナノコスト

 短剣  15ナノコスト

 短刀  5ナノコスト

 盾   40ナノコスト

 小盾  20ナノコスト

 法衣  15ナノコスト

 革鎧  50ナノコスト

 鎖帷子 90ナノコスト

 兜   100ナノコスト


 ここまでが、一回で顕現化できる品々。

 鎖帷子を分厚い胸当てブレストプレート背当てバックプレートで補強した胴鎧ボディアーマーや、全身を補強した板金鎧プレートメイルなんかは、一回では創り出せない。


 胴鎧  200ナノコスト

 板金鎧 750ナノコスト


 こういった品は部分ごとに複数回にわけて顕現化たあと、改めて組み上げなければならないわけだが……。

 でもそれなら既製品を手に入れた方が、手間も負担も掛からない。

 なので、ナノマシンを使った創造はこの世界にない品か、咄嗟に必要になった物に限る――というのが現時点での結論だった。


「そうだ、パティに何かナノマシンで創ってあげようか。お土産にさ」


 指輪とか、ネックレスとか。


「それは推奨できない。不測の事態が起こる可能性は常に存在する。そのようなことにナノマシンを使うべきではない」


「そのようなことって、ずっと会ってなかった妹にようやく会えるんだよ。パティが喜ぶ顔が見たいじゃないか。アクセサリーならナノコストもほとんど掛からないし」


「それなら、マスターナイトの好きにすればいい。わたしには関係ないことだ」


 ツレないなぁ。

 どうもディーヴァはパティの話題になると、ノリが悪くなる。

 まさかとは思うけど……。

 はは、やっぱりそんなはずはないよね。

 

「もう少しだ。もう少しで稜線を越える。そうすればタイベリアルが見えるよ」


 俺は気持ちを切り替えると、声を励ました。

 果てしなく感じた帰郷の旅も、いよいよ終わりだ。


「今の季節、領内は一面の麦穂で黄金に輝いているはず。綺麗だぞー!」


 そして俺とディーヴァはついに急峻な稜線を越え、タイベリアル領に入った。


「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………えっ?」


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