2-7 アモル

「そろそろ友達との集合時間だっけ?」


 ひとしきり「変食さん」という呼び名を連呼して満足したマーゴが千春に笑いかける。とても上機嫌だ。


「場所は分かってますし、一人でもいけますよ」

「ダメダメ。クティさんに頼まれてるし、千春ちゃん可愛いから。なにかあったらボクがクティさんに殺される」


 想像したのかマーゴはブルリと体を震わせた。クティはマーゴから見てそんなに怖いのだろうか。

 それにしてもそんなに自分は独り歩きに適さないのか。千春は自分の姿を見つめる。同世代にしては小柄だけど、千春よりも小さい子だって外で遊んでいるのだ。千春だけが危ないということはないと思うのだが。


 両親が過保護なのは病弱だったからだと思っていたが、千波や瀬川にも一人で行動していると心配そうな顔をされる。自分は人を不安にさせるような何かがあるのだろうかと千春は眉を寄せた。


「それじゃ行こっか」


 千春が考えている間にマーゴは立ち上がり部屋の外へと向かう。落として床に散らばったチラシは無視だ。

 マーゴが拾わないのであれば自分が拾っておこうと足元にあったチラシを一枚手に取り、マーゴに声をかけようとしたところ休憩室の引き戸が勢いよく開いた。


「クティ兄さんいまスカ!?」


 そういって中に飛び込んできたのは同じ人間とは思えないほど美しい女性だった。つややかな長髪に白い肌。女性らしく柔らかそうな肢体、形の良い唇。男性の理想を体現したような存在がそこにいる。

 せっかく拾い上げたチラシが滑り落ちる。同性であっても目があっただけで赤面しそうな美女を前に千春の思考は停止した。


「あれ、アモルちゃんどうしたの? クティさんならさっき出ていったよ」


 しかしマーゴは気にした様子はなく、自然と美女に話しかけていた。同性の千春よりも異性のマーゴの方が衝撃が大きそうなのに、先程と変わらない柔和な笑みを浮かべている。


「マーゴくん! この際マーゴくんでもいいデス! 来てくだサイ!」


 アモルと呼ばれた女性は変わった喋り方をした。外国人なのだろうか。ちょっと抜けた雰囲気が美しすぎる容姿を中和して、人間味を感じさせる。それに千春は少し安心した。


「これから千春ちゃんを送らないといけないんだけど」

「急ぎデス! れんくんが大変! 早く!」


 マーゴの話を聞かず、アモルはぐいぐいと手を引っ張った。その必死な様子にマーゴは千春とアモルを交互に見て困った顔をする。


「私は一人でも行けるので大丈夫です」

「いや、それで何かあったらボクの命がないんだって!」

 マーゴは少し悩むと、「そうだ!」と声を張り上げた。


「千春ちゃんも一緒に来て。待ち合わせにはちょっと遅れるかもしれないけど、ボクが一緒に謝るから」


 そういうなりマーゴは千春の手を掴んだ。返事をする前に千春の体が部屋から引っ張り出される。


 まってと叫ぶ余裕もなく千春の手をマーゴが引いて、マーゴの手をアモルが引く。奇妙な状態のまま連なって千春たちは外に出た。

 周囲からの視線が突き刺さる。なんだこの状況と千春は思いながら必死についていく。アモルもマーゴも千春よりも背が高い。必死についていかないとあっという間に置いていかれてしまう。


 早くも遅れ始めた千春に気づいて、マーゴが足を止めた。前を行くアモルはじれた顔をしたが千春が荒い息をしているのに気づいて驚いた顔をする。それから心配そうな顔で千春の顔を覗き込んできた。


「ごめんなさい。私、体力なくて……」


 もっと運動しなくちゃと千春は思う。運動はあまり得意じゃない。体育の授業も虚弱だった過去と体質のおかげで見学が多く、散歩ぐらいはと歩くようにしているがまだまだ足りないのだと分かった。


「ボクの方こそ無理させてごめん」

 マーゴはそういうと千春の体を抱き上げた。あまりにも軽々抱き上げられて目を丸くする。


「千春ちゃんに怪我させたらクティさんに何いわれるか分からないし」

「クティ兄さんに?」


 マーゴの言葉にアモルが目を瞬かせた。アモルはクティを知っている。独特な雰囲気と名前から考えて、アモルも変食さんなのかもしれない。


「クティ兄さん、ラブですか?」

「わかんない。ライクかも。でもお気に入りは確か」


 マーゴの言葉にアモルは目を輝かせた。マーゴに抱き上げられた千春の顔を覗き込む。

 間近で見るとアモルの顔は息が止まる程に美しい。マーゴやクティと同じ、特殊な虹彩を放つ瞳を見てアモルも変食さんなのだと確信した。


「ラブは世界を楽しくシマス。クティ兄さんが楽しくなるならハッピー」


 アモルは千春の顔を見つめながらにこにこ笑う。見た目は絶世の美女なのに話しているのは純粋無垢な少女のようだ。そのギャップに戸惑った。


「アモルちゃん。急ぎなんでしょ」

「そうデシタ! 恋くんが大変なのデス!」


 マーゴの言葉にアモルは慌てて走り出す。長い髪を翻して走るアモルに周囲の視線。とくに男性の視線が集まった。それをすべて無視してアモルは進む。マーゴも遅れないようにと後に続いた。


 魚屋と看板がかかった店の裏手にアモルは滑り込む。賑わう表と違って薄暗く、物や段ボールが雑多に積み重ねられている。あまり長居したくない空間に男の怒声が響いた。

 見れば、大学生くらいの男性が中学生くらいの少年の胸ぐらを掴んで壁に押し付けていた。大学生が「アモルとどういう関係だ!」と怒鳴ると少年が「友達だっていってんだろ!」と怒鳴り返す。


「また恋くん、アモルちゃんの彼氏に絡まれてるの……」

 状況を理解したマーゴが呆れた顔をした。アモルは立ち止まったマーゴの服を引っ張って、早く、早くとせかしている。


「アモルが止めても聞いてくれないのデス! マーゴくん止めてくだサイ!」

「えー。ボクが入って止まるかなあ。ケンカの仲裁とか苦手なんだけど……」


 マーゴはブツブツいいながら千春を地面におろした。それから「アモルちゃんとここで待っててね」と言って男たちに近づいていく。

 その後姿は頼りない。本人が苦手といっていることもあり心配だ。といっても千春が男たちの間に入って止められるとも思えないので、アモルと一緒に見守るしかないのだが。


「どういう状況なんですか?」

「恋くん、えっと絡まれてる方がアモルのお友達なのデス。今日は恋くんのお家を手伝っていたのデスガ、そしたら急に翔太しょうたが来て恋くんに怒りはじめて……」


 アモルはわけが分からないという顔で揉めている二人を見た。マーゴが間に入ったことでいったん怒鳴り合いは終わったが、翔太という大学生は未だ苛ついた様子だ。


「翔太さんと付き合ってるんですよね?」


 マーゴは翔太のことを「アモルちゃんの彼氏」といった。目の前の美女に比べて翔太という男性は普通。並ぶ姿を想像するとずいぶん不釣り合いに見えるが、そんな失礼なことをいえるわけもない。

 千春の質問に対してアモルは目を瞬かせた。


「人間の視点からすればそうデスネ」

「人間の視点?」

「アモルたちから見たら契約者なんデスガ、人間は恋人だっていいマス。だからきっと恋人デス」


 無邪気に笑うアモルはやはり幼い少女のようだ。体つきは成熟した女性なのに心は幼い。その差に千春は危機感を覚えた。

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