2-6 変食さん
「してないです。クティさんの力のこともマーゴさんに聞いて初めて知りました」
「そっか……じゃあ、やり直したいことってある?」
「ないです」
迷いなく答える千春にマーゴは驚いた顔をした。
「珍しい。誰だって一つや二つ、やり直したいことがあるものなのに」
「小さい事ならありますよ。この間、全校朝会でお腹がなって恥ずかしかったので、やり直せるなら朝会前にいっぱいご飯を食べておきたいです。でも、そういうことじゃないですよね?」
千春の問いにマーゴは頷いた。
「私、今が幸せなんです。生まれつき体が弱くて、長生きはできないだろうって言われてて、ずっと入院してたんです。それが半年前、急に健康になりました。だから戻りたい過去なんてないんです」
「……半年前?」
千春の言葉にマーゴが眉を寄せた。なにかを思い出しているような様子に千春は首をかしげる。
「どうかしたんですか?」
「半年前、クティさんに急に病院に連れてかれたんだよね。病院とその周辺にいる幽霊一人残らず食えって」
マーゴが口にした病院名はたしかに千春が入院していた場所だった。
偶然……であるはずがない。クティの能力は先程マーゴに説明してもらった。
「私、クティさんに前に会ったことがあると思うんです。覚えてないんですけど」
千春の告白にマーゴは目を瞬かせた。今まで感じた違和感やクティと初めて会った時に感じたことをマーゴに説明していく。たどたどしい説明をマーゴは最後まで真剣に聞いてくれた。
「……千春ちゃんの既視感が本物で、クティさんの力でやり直してるなら、あの日ボクが病院に連れて行かれた理由もわかる」
「クティさんは私の体を治すためにマーゴさんを病院に連れてきたんですか?」
「たぶん。理由はよく分からないけど」
幽霊が自分とどんな関係があるのかは分からない。しかし、その日を境に千春の体調が回復したのは事実だ。
「千春ちゃんの体調が回復したのはモルさんが関係してると思う」
「モルさん?」
「モルさんが食べるのは病気。あの日クティさんはモルさんも連れてった」
「病気……」
マーゴの幽霊、クティの選択、モルという人の病気。彼らは変わったものばかり食べる。
「私の病気はモルさんが食べてくれたから治ったんですか?」
「だと思う。でも、モルさんに食べられたなら千春ちゃんは運が良かった。……いや、クティさんが本気で千春ちゃんを助けるつもりだったら、失敗する分岐は潰す。そのためにボクも連れて行かれたのかな」
マーゴは腕を組む。当時のことを思い出しているようだ。
「失敗?」
「モルさんに病気を食べられた子は、時々人間じゃなくなっちゃうんだ」
「人間じゃなくなる……」
信じられない言葉に千春は目を見開いた。
「モルさんの食事は精細なんだって。ボクみたに雑じゃなくて、お医者さんみたいに体の細部から悪いものを抜いていく感じだから、食事のときに人間に触れてる時間が長いんだ。素質がある子だとモルさんに影響されて、人間じゃなくなっちゃうんだって」
「そんな簡単に人じゃなくなるんですか?」
「素質と執着が必要ってクティさんは言ってた。病気を患ってる人って生への執着が強いでしょ。だから何がなんでも生きようとして無意識にボクらの力も取り込んじゃうんだって」
病院のベッドにいた時のことを思い出す。たしかに千春は生きたいと願っていた。遊ぶこともできず、学校にも行けず、好きなものも食べられず、ただ弱って死んでいくなんて嫌だとずっと思っていた。その意思に反して弱っていく体に怒りすら覚えた。
当時の千春であったらなにがなんでも生きようとしただろう。たとえ人間じゃなくなったとしても。
「でも私、人間ですよね? 普通の女の子にしては大食いですけど」
「モルさんとの相性もあるっていうから、千春ちゃんはモルさんと相性悪かったのかもね」
会ったことはないが自分の病気を食べてくれた存在と相性が悪いと言われて微妙な気持ちになる。
「ボクが連れてかれたってことは、千春ちゃんは幽霊に引っ張られやすい体質なのかも。病気で精神的にも肉体的にも弱ってると、幽霊とか悪いものにつけ込まれやすいんだ。それでボクら側に引きずり込まれちゃうパターンもある。ボクもどっちかっていうとそう」
笑顔で「おそろいだね」と言われて千春はさらに微妙な気持ちになった。マーゴのことは嫌いではないが、幽霊に引っ張られやすい仲間というのは嬉しくない。
「マーゴさん、自分を人じゃなくした原因を食べるようになったんですか……」
「人間じゃなくなる時って強い執着が影響するらしいから。ボクの場合は食べるものがなくて、すごいお腹すいててさ、幽霊でもいいから食べたかったんだ。ダメ元でガブッて噛み付いたら意外と食べられて。そうしなかったら死んでたよ」
ケラケラと軽い口調でいうがヘビーな話である。食べるものがないという状況を想像しただけで千春はゾッとする。思わず自分のお腹を押さえて、いつもお腹いっぱい食べさせてくれる両親に感謝した。
「千春ちゃんが健康になった理由は想像がついたけど、クティさんとの関係はよくわかんないね。普通は契約者の記憶は消えないんだけど」
「そうなんですか!?」
「いったでしょ。クティさんは本人にいらない分岐を選ばせるんだ。記憶がなかったら選びようがないでしょ」
言われてみればそうだ。未来の記憶があるからこそやり直すことが出来る。千春のように記憶がなかったらやり直すことなど出来ない。そもそもなにをやり直したかったのか覚えていないのだから。
「……私、なんで記憶がないんでしょう……」
「クティさんが知らない相手に親切にするなんてありえないから、千春ちゃんはクティさんに気に入られてたんだと思う。でもクティさんにとって千春ちゃんの記憶は都合が悪かった。だからボクらの仲間に頼んで記憶を食べてもらったんじゃないかな」
「記憶を食べる人もいるんですか」
思ったよりも変なものを食べる存在は多いらしい。一体何人いるんだろうと興味が湧いてきた。
それに彼らは重要な手がかりだ。
「モルさんと、記憶を食べる人に会うことはできないんですか?」
クティさんに聞いても今日みたいに逃げられるか、はぐらかされるのは目に見えている。となれば他の人から情報を集める他ない。
期待のこもった眼差しを向けると、マーゴは困った顔をした。
「モルさんは、人間と会うの嫌がるからなあ……一応聞いてみるけど期待しないで。記憶を食べるのはメモリアっていうんだけど、メモリアは今仕事でいないからすぐは無理かな」
「お仕事してるんですね……」
クティも占い師をしていると言っていたし、マーゴも商店街のお手伝いをしている。人間じゃなくても労働は避けては通れないようだ。
「記憶を消せるって便利だからね。色んなところから引っ張りだこなんだ。お金ももらえて美味しいご飯も食べられるって理想だよね。ボクももう少ししたら霊媒師になろうと思ってるんだ」
楽しそうにマーゴは夢を語る。クティの占い師に続いて胡散臭い職業だが、マーゴには天職だろう。千春は心の中で上手くいけばいいなと応援した。
「忙しいけど、ずっと帰ってこないってわけじゃないから、帰ってきたら千春ちゃんに教えるよ」
「いいんですか!?」
今日会ったばかりだというのにマーゴはやけに親切だ。なぜだろうと千春は疑問に思う。千春に協力してマーゴに良いことなどあるのだろうか。
千春の疑問が伝わったのかマーゴは内緒話をするように口元に手を持っていった。
「人間嫌いのクティさんが千春ちゃんを特別視する理由が知りたいんだ」
特別。その言葉に千春の胸は高鳴った。
マーゴは千春よりもクティを知っている。そんなマーゴから見て、千春はクティの特別に見えるのだ。それだけで顔が熱くなる。
「クティさん、私のこと本当に嫌ってないんですよね?」
「ない、ない。クティさん、人に触るのも触られるのも嫌いなんだよ。千春ちゃんが膝の上にのっても、至近距離で顔覗き込んでも抵抗しなかったでしょ。あんなのボクがやったらぶん殴られるからね」
想像したのかマーゴの顔が青ざめた。クティは細身だし、喧嘩が強そうには見えなかったが意外と動けるのかもしれない。ちょっと見てみたいなと千春は思ったが、怖がるマーゴの手前口にだすのはやめておいた。
それにクティに嫌われてない。その事実が嬉しくて、心がぽかぽかと温まっていく気がする。
しかし、疑問も残る。
「じゃあなんで、連絡先教えてくれないんですか」
マーゴに言っても意味がないと分かっていても、口調は不貞腐れたものになった。嫌われていないのならば連絡先くらい教えてくれてもいいだろう。本当であれば毎日連絡したいが我慢しよう。繋がりさえあれば耐えられる。今のいつ会えるか、どこにいるかも分からない状況よりずっとマシだ。
「クティさんは千春ちゃんに会おうと思えばいつでも会えるってことを考えたら、不公平だよね」
「そうなんですよ!」
力強く千春は返事をした。問題はそこなのである。お互いに会えないならばまだ諦めもつくが、クティの方は千春の行動を把握出来るのだ。千春は会いたくても会えないのに、クティの方は自分の都合と気分で会いにこれるというのはあまりにも酷い。
不平不満を募らせる千春を見て、マーゴはなにかを考える素振りを見せた。それから楽しげな笑みを浮かべる。
「千春ちゃん、ボクと連絡先交換しない?」
「マーゴさんとですか?」
マーゴのことは嫌いではない。けれど、連絡先がほしいかといわれるとそうでもない。マーゴが聞いたらショックを受けそうなことを考えていると、マーゴはにっこり笑った。
「ボク、クティさんと一緒に住んでるから、ある程度行動把握できるよ」
「連絡先交換しましょう!」
いそいそとスマートフォンを取り出す。即決ぶりに微妙な顔をしたマーゴにも気づかず、早く、早くと千春は急かす。マーゴは苦笑しながら千春と連絡先を交換した。
「マーゴさん、今日は本当にありがとうございます!」
千春はマーゴの連絡先が登録されたスマートフォンを握りしめながら深々と頭を下げた。マーゴは「大げさだなあ」と手を左右にふる。
「これでクティさんの生存確認もできますし、謎もちょっと解けました」
「ボクとしては深まったけどねえ」
のんびりとした口調でマーゴはいったが、千春以上にクティのことを不思議がっているように見えた。一緒に暮らしている分、千春には分からないような小さな変化も分かるのだろう。それが千春には少し羨ましい。クティについて、千春は知らないことばかりだ。
「気軽に連絡してきて。ボク、だいたい暇してるから」
「はい。マーゴさんとも仲良くなりたいですし、他の変食さんのことも気になるのでメッセージ送ります」
今日聞いただけでも千春が知らない不思議がたくさんあった。クティのことだけでなく、マーゴを含めた彼らのことも千春は気になって仕方がない。
マーゴを初めて見た時、なんだか初対面という気がしなかった。今も会ったばかりとは思えないほど自然に話せている。入院ばかりで社交的とはいえない千春がうまく話せているということは、マーゴともやり直す前に交流があったのかもしれない。
クティはどうして千春の記憶を消したのか。どうして千春はやり直したいと思ったのか。目の前には謎ばかり。それでも再びクティとマーゴに会えたのだから、これから知っていけばいい。そう前向きに考えた千春は、改めてマーゴにお礼を言おうと向き直る。そんな千春の目に驚き固まるマーゴが飛び込んできた。
「変食さんって、ボクらのこと?」
「変わったものを食べる人って長いから、勝手に名前つけちゃったんですけど嫌でした?」
安直すぎただろうか。それとも言葉のイメージが悪かっただろうか。固まるマーゴを見て千春はだんだん不安になってきた。
一方マーゴは驚きで見開いていた目を次第にキラキラと輝かせ、頬を紅潮させたかと思えば、まばゆいばかりの笑顔を見せる。
「嬉しい! ボクらの名前だ! 変食さん。うん、いいね!」
妙に浮かれた様子でマーゴはそういうと、変食さんと繰り返す。繰り返すたびに緩みきった顔で笑う姿は欲しい物を買ってもらった子供のようで、千春はただ戸惑った。
「ボクらにとって名前は重要なんだ」
戸惑う千春にマーゴは笑った。千春は意味が分からずに首をかしげる。
困惑する千春を置き去りに、マーゴはしばらく「変食さん」という言葉を噛みしめるように繰り返していた。
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