2-3 重なる災難

 いろいろ釈然としないまま、次の日。

 この日はとても忙しかった。日直だったので朝早く登校し、簡単な雑用をこなし、HRホームルームでは実行委員として文化祭の段取りの説明と話し合い。数学の課題の提出期限が今日だったので授業開始ぎりぎりまで最終チェック。途中、小春こはるがアニメの萌え話を吹っ掛けて邪魔してきたことにはちょっといらっと来たけど。だって私の見解と全然違うし。厨二全開の悪役がデレるわけないじゃん。

 そうでなくても、やっぱり原稿の締め切りを一か月前倒しにするとか言って「この日までにイラスト三枚描いて」とか無茶振りするのは正直やめて欲しい。ただでさえ描く暇ないどころか、小春の注文通りのイラスト描くこと自体気がすすまないというのに。

 そんなわけでちょっと余裕がなくてイライラしている状態のまま放課後を迎えた。

 まあ今日は委員会も部活もないので先輩たちと顔を合わせて気まずい思いをしなくて済むことがせめてもの救いか。あ、誤解のないように言っておくけど、嫌っているわけじゃない。ただ、あんな話を聞かされてしまったからなんとなく顔を合わせづらいっていうか。

 あの二人の相容れなさを見ていると、入部したての沙輝さきの絵を思い出す。

静物画でレモンを描いたのだが、彼女が描いた絵は目が覚める程の派手な黄色いレモンに、背景がさらにド派手な暖色系が渦を巻いている。この自己主張の強い色同士は完全に画面の中で喧嘩状態に。顧問の国木田くにきだ先生が「バルスを喰らった大佐の気持ちがよくわかった」と苦笑いしていた。それがどういう意味なのかは沙輝の名誉のために伏せておくが、察してほしい。

 つまるところ、お互いの主張が強すぎて周囲には悪影響しかないという大惨事なのである。

市原いちはらさん、いるー?」

 声のする方を向くと、教室の入り口に隣のクラスの実行委員の子が立っていた。

「どうしたの?」

「これ、一年生用の実行委員の回覧。市原さんの所で最後だから読んだら区賀くが先輩のとこへ持っていってってさ」

 そう言われてファイルを手渡される。チェック欄を見るとうちのクラスだけ空白になっている。

「ごめんね、市原さんのクラス移動教室多くてさ、なかなか捕まらなくて後回しにしちゃった。区賀先輩は教室にいるって言ってたからさっさと読んで回してあげて」

「わかった、ありがとう」

 礼を言ってからハッと気づいた。思いっきり区賀先輩と顔を合わせることになっちゃうじゃないか。なんてこった。

 もうどうしようもない。私は回覧板の内容を頭に入れると、そのまま教室を出ようとすると、小春が声をかけてきた。

「あ、あおい。出かけるならついでにゴミ捨て場にゴミ袋捨ててきて。あんた日直だし」

 先輩の教室とゴミ捨て場は全然方向違うんだけど!

 という抗議の声を上げる間もなく、私の手にゴミの詰まった袋が握らされるのであった。




 ゴミを引きずりながら廊下を歩く自分の姿って絶対かっこ悪いに違いない、と思いながら先輩のいる二年C組の教室前までやってきた途端、中から凄い怒鳴り声が聞こえてきた。

 直後、誰かが教室から廊下へふっとばされ、床に転がった。

「み、道ノ倉みちのくら先輩?」

 無様な格好でひっくり返っているのは間違いなく道ノ倉先輩だった。顔を押さえながらよろよろと立ちあがる。

「口で勝てないと実力行使か。つくづく見下げたやつだな、お前は」

 怒りを押し殺して冷静を保とうとしているけど、先輩、めちゃくちゃ涙目なんですが。

「小学生並みの言い分しか並べられないのか。口で言って分からんお前が悪いだろう。殴られても分からんとなら脳みそも終わってるな」

 道ノ倉先輩を殴り飛ばしたのは、やっぱり区賀先輩だった。

 ああ、またなんでよりによってこんなタイミングで出くわしちゃったんだろう。

「理解できない発言する方が悪いだろ。なに独裁者気取ってんだ、クズ野郎」

 周囲にいる先輩のクラスメイト達は、二人のやり取りを止めようともせず、横目でちらりと見ながら黙々と作業しているか、「また始まった」と言わんばかりの呆れ顔で傍観しているかのどっちかであった。

 この状況でどうやって回覧を渡せばいいのか。空気めちゃくちゃ悪いんだけど!

「そこにいるのは市原さんか?」

 区賀先輩の方が私に気づいた。

「回覧か? すまないが取り込み中だからその辺の机に置いてくれ。俺はこの馬鹿を相手にするのに忙しい」

 本人は穏やかに言っているつもりなんだろうが、俺は~のくだりから口調にとげとげしさがにじみ出ている。

「相手にしろと頼んだ覚えはないっての」

 道ノ倉先輩も負けじと応酬する。というか、張り合わなくてもいいと思うんだけど。

「なー、藍ちゃんもそう思うだろう?」

 って、なんで私に話を振るんですか!?

「もう正直に不満を言っちゃえばいいと思うよ。沙輝ちゃんから聞いたけど、こいつに色々仕事を押し付けられてるんだろ?」

「押し付けてない。信頼できるから仕事を任せただけだ」

「同じことだろうが」

「違う!」

 区賀先輩には申し訳ないけど、さすがに私だけ仕事増やされるのはちょっと勘弁してほしい。

「大体ろくに仕事しない奴にとやかく言われる筋合いはない。市原さんだって知っているだろう、こいつの協調性のなさは」

 だから何で私に話を振るんですか!?

 まあ、サボりは事実だから否定しようがないけども。

 そもそも道ノ倉先輩がやるべき仕事をまじめにやろうとしないからこういう事態になったんだし。

「あ、卑怯だぞ、自分が不利だからって藍ちゃんを引き入れようとするの!」

「不利になった覚えはないし、先に言い出したのはそっちだろう。それで」

 区賀先輩が私の方に視線を向けた。

「市原さん、君はどっちの言い分が正しいと思う?」

 えええええええええええ。

 思いっきり思考が停止した。

 なんでそういう流れになるわけ?

 見れば二人とも有無を言わせないような形相で私の方を見ている。

 いや、二人だけじゃなかった。二年C組にいる全員が私の方を見ている。

「遠慮せずにはっきり言えばいいからな、藍ちゃん。どうせこいつ馬鹿だから何言っても大丈夫だし」

「それはこっちのセリフだ。市原さん、君からもはっきり言ってくれ。あんなのが部活の先輩となると、君が可哀想で仕方がない」

「完全にブーメラン発言じゃねえか! 自覚ないってどれだけバカなんだよ」

 そして先輩二人は互いを罵り始めた。会話内容そのものが低次元すぎて、はっきり言って見苦しい。

 顧問の国木田先生のような、割と歳を食った世代なら「私の為に争わないで」みたいなフレーズを連想するかもしれないが、この場合「私をダシにして争わないで」という不毛なシチュエーションでしかない。


 そう思うとなんだか腹が立ってきた。


 だいたいなんで私ばかりこんな目に遭わなきゃならないのか。悪い事をしたつもりなんかないのに。

 みんな自分勝手で、言いたい放題で、それに巻き込まれる方の事はこれっぽっちも考えてなくて。

 何か言い返せばいいと言われたらそれまでだけど、だったらどう言えばいい? どうせこの二人は人の話全く聞かないし。もう本当に「喧嘩するのはそちらの勝手だけど、なんで私まで巻き込まれなきゃならないの? 区賀先輩は周りの事を全然見てもないくせに見たつもりになっているだけで、無理強いばっかりだし。道ノ倉先輩はいろいろそれっぽく正論言っているようで、実際はわがまま言ってるだけで何もしてないし。人を責める前に、自分の意見押し付ける前に、自分の言動反省することくらいやればいいのに。絶対やらないだろうけど! 分からず屋だし!」

 先輩二人の罵倒合戦ともいえる口論がぴたりと止まった。二人ともぽかんとした表情で私を見つめている。

 いや、二人だけじゃない。その場にいた全員が同じような表情で私を見ている。

「あ、藍ちゃん?」

 明らかにドン引きしている感全開の道ノ倉先輩の声で、私はようやく状況を悟った。


 今、私、気づかないうちに先輩への不満を口にしていたんじゃないかと。


 一気に前進から血の気が引き、頭の中が真っ白になった。

 そこから冷静さを取り戻すまでの数分間はあんまり覚えていない。

 気づいたら、逃走して下駄箱の所に立っていた。片手に持っていたゴミ袋が引きずられて歪に変形していた。




 今日は本当に厄日だ。なんかいつも以上に人に振り回されている気がする。

 もう、さっきとは別の意味で先輩らと顔を合わせるのがつらい。どう謝って許してもらおう。

 ゴミを綺麗に詰め直したごみ袋を片手に校舎裏のダストボックスを目指しながら、あれこれ考えるけど全然まとまらない。

 ゴミ捨て場は、それはもう寂しさと不気味さの漂うような場所だった。

周りが校舎と木々で囲まれたコの字型になっているスペースの一番奥にある大きなゴミ収集用のコンテナを開けてゴミを放り込みと、来た道を引き返す。引き返そうとした。

 いかにも柄の悪そうな男子生徒が数人、ずかずかとこの場へやってくるではないか。

 そして彼らに引きずられるように、今にも泣きそうな顔をしている気弱そうな男子の姿もいる。一目で、これがいじめの現場であることを察した。

 どうしよう。止める止めない以前に足がすくんで動けない。私はこの場でどうしたらいいか必死で考えようとしたが、そんな暇などなかった。

「あ? 何、先客居たの?」

「ちょうどいいや。こいつからもせびってやろうじゃん」

 相手が私を見て何か物騒なことを言ってる! 冗談じゃない。

 私の背後は行き止まり。逃げるにしたって、彼らの脇をすり抜けるしか突破口がない。

 どうしよう。

 どうしよう。

 どうしよう。

 そうしている内にじわじわと校舎の壁の方へ追い詰められ、囲まれた。

「わ、わた、私お金持ってませんから!」

「あー、そんなの関係ないから」

 男子生徒の一人がおもむろに携帯を取り出した。

「その代わり、君の恥ずかしい姿を写メっとくから。ばら撒かれたくなかったら、分かるよな?」

 カツアゲよりたちが悪い! 反射的に逃げようとしたが、すぐに肩をつかまれ、後者の壁に叩きつけられる。本当にまずい。痛みと怖さで本当に泣きたくなってきた。

 もう、こんなの嫌! なんで今日に限ってろくな目に遭わないのか。本当、私が何をしたって言うの!

「おい、そこで何をしている!」

 不意に頭上から怒鳴り声が響いた。

 驚いて真上を見ると、三階廊下の窓から顔を出している区賀先輩が見えた。

「女子一人によってたかって、恥を知れ、この卑怯者ども!」

「なんだと、てめえ!」

「何だとは何だ! 俺は正論を言ったまでだ!」

 私はこの隙に逃げようと頑張ってみたのだが、男に腕を掴まれて捩じり上げられた。抵抗しようとしたが相手の力が強すぎる。

「市原さん! こうなったら!」

 上を見ると区賀先輩が窓に足をかけていた。

「先輩! ダメです! 三階だから落ちたら死んじゃう!」

「だが現状、俺がどうにかしないと!」

「だったら先生に知らせるとか、とにかく人を呼んで下さい!」

 私は頭がクラクラしてきた。色々無謀すぎる上に考えなさすぎる。

「さっきからギャーギャーうるせーんだよ!」

 強く腕を引っ張られ、激痛が走る。

「市原さん!」

「るせー! テメエも逃げんじゃねーぞ! ……いてっ!」

 私の腕を捩じり上げている男の顔が苦痛にゆがむ。

「どうした?」

「わかんねえ、なんか背中に石みたいなのが当たったみたいだ」

 目の前の男は私の腕を離すと、自分の背中を抑えた。その足元には、投げつけられたと思われる石ころが転がっていた。

「お前ら、うちの可愛い後輩に手を上げるとはいい度胸しているよな」

 「彼」は、校舎の陰から悠然とした態度で現れる。

「しかも何? いじめに脅迫に婦女暴行って弁明の余地もないじゃん」

「誰だ、てめえ!」

「そっちこそ誰だっての」

 まるで漫画やアニメのヒーローのようにそこに立っていたのは、道ノ倉先輩だった。

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