第3話

【20XX年6月17日 午後7時 日本 某所】


 ツキカゲの手配は微に入り細を穿つ。


 航空機シップの出口に着いた瞬間から黒スーツの女性がアテンドについた。


「アカツキ・ミソラ様ですね」


 普段は大企業の重役以上を相手にしているのであろうその人は、長谷部と名乗った。私ごとき小娘--て歳でもないか--にも上品な笑顔を浮かべ、私の手荷物を持って誘導してくれた。


 着いた先は一般客が立ち寄れないバックヤードの駐車場。停まっているのは鳥(鳳凰?)のエンブレムの付いたピッカピカの黒いセダン。そこで長谷部さんの完璧な角度のお辞儀に見送られ、老紳士の運転で空港を後にした。


 目的地--ツキカゲから指定されたマンション--に着くなり、老紳士は流れるような洗練された動きで運転席を降り、私の座る後部座席のドアを開けてくれた。


 そして、礼を言って降りるころには既にスーツケースを慎重にトランクルームからアスファルトへと下ろしている。


 しかも、老紳士はマンションのエントランスまで決して軽くはないスーツケースを運んでくれた。その間、私への労いの言葉も忘れない。


 老紳士からスーツケースを受け取った私は改めて礼を言った。老紳士はそれに深々としたお辞儀を返した。そのまま動かない。きっと私がマンションの中に入るまで見守るつもりだ。


 完璧な接客。もちろんサービスになんら不満はない。ないのだが……完全にツキカゲの掌の上なのが、気持ち悪い。


 自動ドア横のテンキーに、教えられた部屋番号を入力した。途端--。


「ミソラさ〜ん、お疲れ様でした〜」


 とツキカゲの声。オートロックも既に解除されている。私がここに立つタイミングを完全に把握している。まあ、今に始まった話じゃないのだけれど……。


 中に入るとカウンターの中のコンシェルジュが会釈をしてきた。こちらも軽く頭を下げる。エレベーターのボタンを押すと、すぐに隣のエレベーターのドアが開いた。そちらに乗り、最上階で降りる。


 ツキカゲの部屋の前に近づくと、ドアがひとりでに開いた。無論、自動ドアなどではない。ツキカゲの手動だ。


「お待ちしておりました〜」


 暫くぶりの従姉弟ツキカゲの糸目がこちらを向くと三日月のように弧を描いた。その気味の悪さに表情筋が引き攣りそうになるのをなんとか堪える。


「先にお風呂にしますか? それとも--」と、エプロン姿のツキカゲは云う。新婦気取りか?


「そういうのいいから」


 ツキカゲの言葉を途中で遮り、玄関で靴を脱ぎ、キチンと並べる。残念そうな表情のツキカゲをその場に残し、奥へと進む。少し長めの廊下の両側の壁には複数のドアが並ぶ。戸惑う私の横をすり抜けたツキカゲは突き当たりのドアを開けた。


「こちらです」


 ドアの開いた先はリビングだった。一歩入るといい匂いが漂ってきた。同時に異質な魔力も。


「アンタがミソラ? 例の物、ちゃんと持ってきたでしょうね?」


 奥にあるダイニングからの声がした。かろうじて聞き取れた。声が小さかったわけじゃない。スコットランド訛りがキツかったためだ。そちらに顔を向ける。と、さすがに少々怯んだ。


 ダイニングテーブルには美味しそうな匂いを放つ料理の数々が高そうな皿の上に並べられていた。声の主はそれらの向こう側にいた。テーブルの上に載せられた小さなクッションの上に……。


 料理とともに食卓の上に置かれた少女の生首。


 その背徳的とも云える絵面に、事前に知らされていなければ悲鳴をあげていたかもしれない。


「これですか? ロレッタ嬢」


 そう言ってツキカゲは私に頼んでいた炭酸飲料--IRNアイアン BRUブルーを持ってきた。って、おい!


「……どうやって私のスーツケースを開けた?」


「どうやって、と申されましても、普通にダイヤルを回して、鍵を開けましたが?」


「なぜお前が私のスーツケースのダイヤル番号を知っている? あと、鍵を渡した覚えもない」


「愛の力です」ツキカゲは自分の胸に手を当て、うっとりと顔を上気させた。「この程度の鍵ごときが私とミソラさんとの間の障壁になりうるはずがありません」


 何を言っているんだ、コイツは。


 私の常識外のツキカゲの『普通』に軽く目眩を覚えた。いかん。今はコイツのペースに乗っている場合じゃない。


ぬるそうだからちゃんと氷で冷やしなさいよ」


「少々お待ちを」


 そんな私の思いを置いてけぼりに、ロレッタと呼ばれた生首とツキカゲは炭酸飲料に関しての話を進めている。面白いことにツキカゲは日本語を、ロレッタはスコットランド英語を話している。なぜかそれで意思の疎通がとれている。だが、お互いの語学力の為せるわざ、ではないのだろう。


「……蛍光オレンジですね」


 氷をいれたグラスにアイアンブルーを注ぎ込んだツキカゲは、眉間に深い縦皺を寄せた。この男は病的に健康食を愛している。天然素材と天然塩さえ与えておけば食に関しての文句は言わないだろう。だが逆に、化学的な食物には露骨に嫌悪感をあらわにする。


「だから何?」


「……薬品っぽい臭いがするのですが」


「だから?」


「……これ、身体によくないのでは?」


「はあッ? そんなわけないでしょ! あんた何を根拠にそんなこと言ってんの? そんなに疑うんだったら今すぐここにIRNアイアン BRUブルー飲んで死んだ人間を連れてきなさいよ!」


 ロレッタの無茶振りにツキカゲが折れた。この男は基本的に他人と争うのを嫌う傾向がある。


「……分かりました。飲みますよ。飲みますから」


 ツキカゲは一つ小さな溜息を吐き、ストローに口をつけた。が、なかなか蛍光オレンジ色の液体はストローを上っていかない。やっと上ったと思えば、また下りていく。


「何遊んでんのよ、早くしなさいよ!」


 ロレッタに急かされ、観念したツキカゲはグラスからストローを引き抜き、眉根を寄せ、グラスを一息にあおった。直後に口を押さえる。


「ものすごく……甘い……ですね。あと……後味も……独特で……」


「ぷはぁーーーーッ! コレよコレ。こんなに美味しいのになんで日本には売ってないのよ」


 感無量といった感のロレッタ。「ゲフゥ」と人目も憚らないゲップのおまけ付きだ。


「何してんのよ、さっさとどんどん飲みなさいよ!」


 ロレッタは追い討ちの催促をした。ツキカゲは既に涙目だ。


「なぁ、そろそろ訊いてもいいか?」


 茶番はもうこのへんでいいだろう。私のこの問いは不意を突いたようで、2人は会話を止め、こちらを向いた。もっともロレッタは目線のみだが。


「一体全体。何が、どうして、こうなった?」

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ストーカーズ・リポート ◎◯ @niwakazuma

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