第5話

 この街は腐っている。いつからだろう。随分前にメアリーへ聞いたところ、ずっと昔だと返された。ヴァドが不思議そうにすると、わざとらしくメアリーは微笑んでいた。絵本を読み聞かせる子供のように、艶やかな毒婦のように彼女は続ける。

 悪意を孕んだ魔力は人間を魔物に変えてしまう。まるでワタシたちのようだ、メアリーは意味ありげに微笑んだ。

 人間達は魔女が呼び寄せていると叫んだ。魔女を悪役に仕立て、全ての悪を押し付ける。皿が割れるのも、喧嘩したことも、事業で失敗しても、全て魔女の仕業。犯罪に走る人間も同じ、魔女に唆されたとされた。そうすれば人間は魔物に成らないのだから。

 だからといって、メアリーは動じない。その気になれば指先一つで街を滅ぼせるのに、くだらなさそうに受け流す。

「人間などすぐに死ぬ」

 構うまででもない。冷たく言い放っていた。

「ヴァドール」

 ふと手を見たら、メアリーがブレスレットを巻かせていた。T字の何かが組み込まれている。これが何であるか聞く前に答えが述べられる。

「鉄槌だ。気に食わない人間がいたらそれで殴ってみろ。一瞬で死ぬぞ」

「それは……冗談か?」

 こんなに小さなものが人を殺せる? どうやって?

 メアリーの真意は読めなかった。

「もしも人間が魔物になった時、そうでない魔物が現れた時、それを使え。魔物退治ごっこをすれば人間はお前を慕う」

「魔物退治、ごっこ」

 その日を境に、ヴァドの生き方が、またも大きく変わった。

 現れた魔物の討伐を任されてしまった。今までは出来る者が体を張るか外部へ要請をしていた。怖いだなんて思っていない。メアリーに託された鉄槌を信じていた。

 思うままに魔法を扱うだけ。初めこそ周りからは恐れられたが称賛になり教会のお偉いさんには褒められた。ニーアには酷く心配されたが。

(メアリーの為に動けている……貢献できている)

 あの時の鉄槌は今もここ、手首の飾りとしてここにある。

 軽く撫でるだけで気持ちが楽になった。


 空気が柔らかい。息も楽になった。

 騒動の震源地である花屋から大分離れただろう。ふと、エルが行った先を思い出す。濁った空気の中で窒息してしまわないか。少しだけ眉を寄せて良からぬことを想像を振り払う。

(幻聴が再発しなければ良いが)

 俯きかけた顔を上げ、大きく息をつく。

 魔女とヴァドに助けられたエルは、生まれながら他人の感情が読めてしまう。今は落ち着いているものの負の感情を受け取りやすい。

 また心身を悪くしてしまわないか。

(いや。大丈夫)

 彼はハッキリと伝えてくれた。助けてもらったから平気であると。信じるしかない。同時に、誰かを心配するなんて意外だと自覚が湧く。

 じゃり、と靴の先が鳴った。レンガ道は数歩後ろで途絶えている。ここからは教会の陣地になる。

(ようやく着いた)

 木陰から誰かが駆け寄ってくる。暗がりに入り込めば混じってしまいそうな紺色の衣服、真っ直ぐに伸びる淡黄色はよく目立った。元気よく片手を振るう人物がニーアだと気付き、ヴァドは待つことにした。

 ニーアは背が高く体も細っこい。顔立ちも整っている方らしく彼女目当てに通い詰める人間もいる。ヴァドは何も感じていない。ニーアは普通の人間。ただの聖職者。それ以上でも以下でもない。

 ふわふわと舞う緩やかな髪は日を受けて煌めいて見える。それらを軽く抑えて、慈愛に満ちた笑み──誰にでも向ける表情を浮かべた。

「ヴァド、今戻ったところ? あのね話したいことが」

「花を見ていないか。恐らくニーア宛のもので」

 遮られるもニーアは驚かず、ぱちぱちとまばたきをし考え込む。が、すぐに手を合わせてはにかんだ。

「あったわ! 今日は種もあったの、それで」

「今どこにある」

「ど、どこって、ええと、わたしたちの部屋よ。いつもみたいに教会の中に飾ってるじゃない。本当は皆さんにも見せてあげたいけれど、今回はお部屋に置いてみたの。わたしとサレンにミーシャ、それとね」

「……分かった。ありがとう」

 異変があれば真っ先に彼女は伝える。無いのであれば構わない。

「ちょっと! まだ喋り終えてないのに分かっただなんて!」

 面白いぐらいにニーアの感情は移り変わる。文句を受け流しながらヴァドは別の事を考える。人の話を聞きなさい、と教えがあるものの不思議と罪悪感はあまりなかった。

 小さな魔女ニーナが持ち出した花がどのようなものか、この目で確認できたら楽だったはず。しかし形はどうだ。花屋のものなのか。

 聞くにしても難しい、怪しまれそうだし話が長くなる。直接見るのも駄目だ、同じ聖職者同士といっても、異性の部屋へあがることは不可能。男であるから、女であるから、性別の境界線は越えていけない。

「ヴァド?」

「なんだ」

「……ふぅ。何でもないです。あともう一つ、ルマくんから調合薬を貰ったの。いつもありがとう」

「そうか。ルマはどこにいる?」

「んーあの後、少しだけ本を読んでたけれど、帰るって言ってたかしら」

「分かった」

 満足そうにニーアが頷いた。一呼吸置いてからヴァドは方向転換をし帰路を目指す。教会での仕事は終えたも同然。残って雑務をする気もないし、頭の中は例の花でいっぱいである。

「あっ! ちょっと……もう。また明日ねー!」

 見送りを背で受けて周囲を確かめる。無用な長居はしたくなかったし、残る必要性もなかった。ニーアもまた明日と見送っている。

 小道を進んだ先、ヴァドが住まいにしている家屋の前でルマが立っていた。ちょうど玄関から出てきたのだろう。少し不安そうな瞳を見つめ、ヴァドは口を開く。

「遅かったけど何かあった? 探しに行こうと思ったんだけど」

「花を見たか」

 え、とルマは顔を歪める。耳から生えている両翼を動かし動揺を露わにしていた。

「花ぁ? んぅ……教会に? あったよ。ニーナが置いていったんでしょ、それがどうしたっていうの。魔力も何にも感じなかったよ」

「そうか」

 詳しくは中で話す。柔らかな声色で付け足すとルマは首を傾げた。変なの、小声で発されたが無視をする。

 入ってすぐ、靴底の汚れを落としてから室内用へと履物に足を通す。続けてルマもやってきた。しっかり施錠もし同じように靴を変えた。

「明かり付ける?」

「頼む」

 改めて便利なものだと思う。この辺りでも、電力を中心とした設備は通っている。仕組みなど知らないし、まだ機械には疎いが、特定のボタンを押せばどうにかなるので気にしていない。魔力と違い誰でも簡単に扱える。これらを人類の発展だと称える声もあった。

 窓際に置かれているラジオのスイッチを入れ、音楽を流す。ガサついた音質に耳を寄せながら、さて、と口を開ける。

 質素なソファに腰を下ろし、真隣に来たルマへ視線を送った。何から話そうか。でも、その前に腹が減った。

「教えてよ。何かあったんでしょう?」

「……スコーン」

「あー食べたいってわけ? そこに居なよ。僕持ってくるから」

ところで、とルマが困り顔で振り返った。腰にも生える翼が大きく開く。

「最近、盗難? ってやつが多いみたいだね。お庭にあるものが盗まれるって聞いたんだ。ジョウロとかスコップに、花壇とか大きなものはないけど僕達も気をつけたほうがいいかな」

「どこでだ、どこで起きている」

「知らないの? あちこちだよ。……何、その必死そうな目」

 ルマは二人分のスコーンを皿に乗せて持ってきた。しっかりとジャムも手にしている。中身は真っ赤な苺味。

「このことエルは知ってる? 知ってるよね。きっと。じゃあ食べながら話せばいっか。いただきまーす」

 しっかりと手を合わせるなり元気よく齧り始めた。あっという間に頬を膨らますので、腹を空かせていた幼児にも見えてしまう。ルマは何でもよく口にし、嬉しそうな顔をする。

 ヴァドにはあまりわからなかった。何がそんなに楽しいのだろう。少しだけスコーンを齧った。ほろほろと欠片が落ちる。ほんのり甘く素気ない。ジャムをつけ忘れたが、まぁいいと気にせず飲み下す。空腹感はどうにかおさまった。

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