第3話

 館を出てからはあっという間だった。考え事をする間に魔女の結界と森を抜け、街へ繋がる小道へと出ていた。太陽の位置から時間を計る。ニーナが置いてきた花にもし異変が起きていたらすぐ分かる。二呼吸しても歪な気配は感じられない。

(どうかニーアが傷つかないよう……)

 大事にならないことを神へ祈ってしまい、ヴァドは自嘲する。聖職者でありながら魔女の元にいるなど、教会の関係者は誰も知らない。たった一人。天使のルマを除いて。

 住宅街に入り込み、しっかりと整備されたレンガ道を踏みしめ、あちらこちらにある花壇へと視線を流す。おかしな所は見当たらない。

 このレンガや花も、教会に勤める者が整えている。仕事の一環として、だ。その他にも細かな事まで手掛けている。神に祈るだけが聖職者ではない。ここに住まう人への信頼や結びつきも兼ねての行い。ヴァドですら飽きてしまうぐらい、そう聞かされていた。

 ふと、強い刺激臭が鼻の奥をつついた。歪んだ気配。腐った魔力。顔をしかめてヴァドは辺りを見回す。

(なんだ、この気配は)

 道ゆく人とも軽い言葉を交わし、商店街へと繋がる噴水広場へ着いた。右方から重たげな声が響く。急足で向かう。上着を強く握りしめて心のなかで言い聞かせた。

(ニーナの魔力が作用して起きてしまったことなら……考えるな、なにも考えるな。ヴァドール)

 可愛らしい看板のある花屋の前に人だかりが出来ていた。野次馬が邪魔だったが、縫うように通り抜けてゆく。

 もしかして、と波立つ気持ちを抑え込んだ。早まるな。ニーナは花屋から持っていったと告げていない。それでも手には汗が滲んでいた。

「何か困りごとでも」

 こういう時、聖職者というのは便利だと感じた。住民の困りごとを聞いてもちっとも怪しまれない。それどころか、

「ああ、ああ良いところに!」

 難なく事件へと招き入れてもらえる。遠目で見ているような野次馬や第三者とは違い、事情聴取の立場に入れる。

 顔を真っ赤にする小太りの店主は腰に手を当てて語った。傍には恰幅のいい女性は申し訳なさそうに店主の妻ですと名乗る。

「店前にあった花が無くなってしまったんだ! 全部だよ!」

 ここだ、と指す方には子供一人が入れそうな荷車がある。中身は空っぽ。ジッと目を凝らしながら深く息をする。

「そうなのよ。ああもう、誰の悪戯か知らないけど、まさか……こんなの」

「悪戯な訳があるか!?」

 店主の大声が響き、野次馬たちがざわめいた。宥めるように妻が「よしなって」と言うが、声色は暗がりに落ちている。

「全部と言いますと、子供一人で持っていける量ですか?」

 ぎょろりと彼の目が動く。攻撃的な色をしているがヴァドは微動だにしない。

「子供? 大人も子供も関係あるか! 俺の商売をめちゃくちゃにしようと!!」

 外部から冷ややかな言葉が飛び交う。妻が何度も謝っていても店主は空へと怒鳴る。

(それなら……普通の窃盗だろうか)

 唾を飛ばす店主を無視して荷車を覗き込んだ。葉っぱ一枚も残っていない。少しだけ屈むと妙な臭さが鼻の奥を刺激する。吐き気を抑えながら身を引いた。

 伝えたくないけれど言うしかない。

「魔力が、微かに魔力がある」

 魔法が使える者でも察せられるぐらいの微量な痕が感じられた。強い悪意と憎悪が入り混じっている。魔力を持つ何者かが細工をしたか、魔法を使ったのか、そこまではわからない。

 ヴァドは事実を述べたまで。この街には魔法を使える者もある程度いる。だが、

「…………だ、魔女だ!! 魔女の仕業に違いない!!」

 誰かが叫びだした。店主はまたも赤くなり、傍らの妻は青ざめて祈りを口にして指を組んだ。

 周りの野次馬含め人間たちが数歩引き下がり、口々に魔女の仕業だ呪いだと述べはじめた。全部森の悪い魔女がやったんだ。

(違う。これは、違う。あの二人は強い悪意を発さない。魔物の可能性も否めない)

 これはニーナやメアリーの……魔女のせいではない! 大きな声で主張したかった。強く上着を握りしめてヴァドは口を締めた。いくら聖職者であってもこればかりは信用されないし、おかしいと反論されてしまう。絶対に言ってはならない。

 謎の流行病も不作も天候不良も、不貞や悪行に至るのも魔女の仕業。何十年も何百年もそう言われているのだから。

 ──では誰が花を持ち去った? 人か? 魔物か?

 背中を伝う汗は冷たかった。

(メアリーやニーナの為にも解かなければ……)

 手掛かりを探そうとするが、辺りは片付けてしまったのだろう。近くにあるのは箒と塵取りのみ。痕跡は感じられない。手を止め、ヴァドは顔を上げた。

 店主は酷く荒れている。今でも野次馬に向かって演説紛いな叫びを発していた。行き場のない怒りを溜め続けているのか、額は脂ぎっており目は猛禽類のよう。対し妻は落ち着いている。

「信じられますか!? 遠い地方からわざわざ卸した品を、いや、どうしてその花だけなんだ! 他にもあると言うのに!」

 彼の気持ちは本物だろう。苦労して手にした物を何者かに盗まれたら悔しいし腹立たしい。言葉をかけたくても暴れ牛同然の相手。下手に触れれば怪我をしてしまう。慎重に挑まなければならない。

 彼の後方にも同じような荷車がある。そこにはいくつもの商品、花々がひっそり顔を寄せている。種類は分からないがどれも綺麗だった。仕入れてからも手をかけ世話をしているのだろう。よく見れば値札の横には産地も書いてある。ここよりもうんと離れた国のものだった。

「失礼。店主、遠い地方、ですか。盗まれる前に何か心当たりや覚えていることは?」

「いや。ない。ちっともだ」

 妻も顔を左右に振った。

「ではここにあった花の色は、どのような?」

「色? 白色だよ、真っ白!」

 息を呑み、繰り返す。

 白色。

 ニーナの言葉を思い返す。

 彼女は……白い花と、言っていた。それでも冷えた脳はニーナとの繋がりを否定している。白い花などいくらでもあるだろう。認めたくない。心が抗う。メアリーに報告、すべきだろうか。周りの声は止まない。魔女のせいだ。違う。魔女のせいでは……

「ありがとうございます。では、教会にはこちらから伝えます。今日は休んでください。……とても疲れたでしょう」

「ええ、ああ……とても疲れた。疲れたよ。……では……頼みます。くそう……くそう!」

 店主が荷車を蹴り飛ばす。乾いた音が野次馬を怖がらせた。ついには傍らの妻も大きな声で彼を制すが、ああだこうだと言葉が飛び交い始めた。止めるべきなのか、しばし留まったがヴァドは背を向ける。二人の間に立ち入ったところで止められるだろうか。そんな自信は無かった。

 店主の妻がヴァドに視線を投げるも、諦めたように逸らしてしまう。口論はまだ終わりそうにない。

 止められない自分が情けない。大きく息を溢し、急足で教会へと向かっていった。

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