第9話 一日目の終わり

 出雲大社前駅に着くと、時刻は三時を回っていた。

 昔家族旅行で出雲大社には来たことがあった。その時は夏休みの、それに土日だったので人通りは多く、まさに有名観光地、といった場所だった。

 だが私は平日の、夏休みとは言え特に何もない日に行ったため、出雲大社前の大通りは閑散としていて、随分と歩きやすかった。水曜日は大通りに並ぶ店の定休日が多かった、ということもあっただろう。

 私は駅で降り、出雲大社へと続く道の露店を冷やかしながら向かった。出雲大社前の大通りは、一直線に石畳の道路が続き、それに沿うようにして土産屋や名産の出雲そば、わらび餅などグルメを楽しむことが出来るようになっている。その家屋のどれもが新築の古民家といった感じで、清潔さはもちろん、内装も奥ゆかしい雰囲気に満ちている。スタバもある。

 さて、信号を渡り、私は出雲大社へと入った。出雲大社内はとても広い。昔来た時、ポケモンGOが配信され始めていた時だったので、観光ついでにたくさんポケモンを捕まえてやろうと企んでいた私は、「ポケモンGOは禁止です」の看板を見て律儀に辞めていたものだ。兄はそんなこと関係なく、「めちゃくちゃポケモンおったで」などとほざいていた。

 出雲大社本殿へと向かう途中はゆるやかな坂道となっており、木が規則正しく私達を出迎えてくれる。

 この敷地内には多くの兎の像がある。なんでも、因幡の白兎の元ネタがここであるらしいのだ。また、日本酒発祥の地でもあるため、鉢巻を巻いて臼を引く兎の像を見つけることも出来た。友達に兎の写真が欲しいと頼まれていた私は、持参した写ルンですにぱしゃりと納めた。

 本殿回りを歩いていると、ゼミがわずかな命を雄叫びに変えて叫び回っていた。夏だ、と思った。この旅行で何度それを思うのか分からない。だが、どこかで見たことがあるような郷愁感は確かにあった。

 私は出雲大社の参拝を終え、しっかりと縁結びのお守りを買った後、大通り前にある観光案内所へと赴いた。どこかいいところはありませんか、私がそう問い掛けると、職員の方が稲佐浜の夕焼けがオススメだと言われた。

 今日の日没は七時らしい。時計を見ると、五時だった。

 私は周辺のマップを貰い、散策に出かけることにした。ワイナリーがあるらしい。だが酒はあまり強くない。その代わり、大杉があるらしかった。かなりの年齢らしい。

 雄大なる自然が大好きな私は、そこへ向かうことにした。もちろん徒歩でだ。時間に余裕はある。途中のコンビニでアイスを買い、車の通らない道を歩く。そうしていると、道を間違えていたことに気が付いた。慌てて戻ったが、今この時点で、私はかなりの距離を歩いていた。実を言うと疲れていたのだ。

 大杉の道の途中にはそのまま飲める湧き水があるとのことだった。私はそこに立ち寄ることに決めた。

 立ち看板に従い歩いてみたものの、なかなかそのような場所は見つからない。私は民家の隙間を眺めて探していたりすると、どうもわかりにくい場所にそれはあった。

 水は、確かに綺麗だ。透き通っている。

 白川郷に夏行ったことがあるのだが、あそこもまさに日本人が原風景としている夏そのままだ。透明どころではないほどに澄んでいて、芯から冷えてしまいそうなほどの冷たさの水。小魚が群れをなして、村の用水路を泳いでいた。

 確かにそれくらいの綺麗な水だった。手にすくって飲んでみる。この時、腹を壊したりしないかはかなり不安だった。

 一口飲むと、ううーん、と唸らざるを得ない。水とは無味無臭ではないのか。味がある。恐らくアルカリイオンだの、鉄分だの、そういった目に見えない何かが私の味覚を刺激しているのだが、とにかく今まで飲んできた水の味ではなかった。美味しい。だが不思議な味だった。

 私はそのまま稲佐浜へと歩き出した。道中で出雲阿国の墓があった。確かに本場だ、ここは。そういえば、私は神楽を見にきたのではなかったか。だが色々と準備不足がたたり、見ることは叶わなかった。またここに来る必要があるな、と私は後悔を踏み締めて海へと歩を進めた。

 浜に着くと、法被を来た集団が踊っていた。私と同じような、外国人で一人で旅しているバックパッカーもいた。地元住民らしき少年二人が、カメラを持ってもう片方を撮っている。夕焼けは彼らと波打つ海を写し、全世界へと拡散される。良いところだ、と思った。

 サンダルを脱ぎ、海へと入った。立っているとずぶずぶと沈んで行く。私は一人でキャッキャと言いながら久方ぶりの海を楽しんだ。

 だがしかし、夕焼けが遅いのだ。いや、あることはある。だが沈むのが遅い、七時前に夕焼けを見て一時間に一本の一畑電車に戻り、ホテル近くの居酒屋で夜食とする。この計画が崩れてしまう。完全に沈み切るにはまだだったが、一時間も滞在したので満足はした。私は足早に、そして間違いを犯してしまう。

 元来た道を戻るのは面白くないだろう、ということで地図を見ながら違う道で帰ろうとしてしまったのだ。案の定迷った。住宅街を縫うようにして歩く。どんどん暗くなる。どこにいるのか、全くわからない。これは困った。私は心底不安な気持ちになってきた。

 小さい時、親と逸れた時の気持ちを思い出した。このまま帰れるのだろうか? 親は私をおいて、どこに行ってしまったんだろう? こんなことになるのなら、一人でふらふらと歩かなければよかった。そんな思いが胸に飛来する。あの時の心細い気持ちだ。私はそれが心地よかった。

 だが、もう大人なのだ。一人でだってどうとでもなる。軒先でおしゃべりをしているお婆ちゃん二人組を捕まえ、駅までの道を聞いた。わざわざお喋りを中断してくれ、比較的大きな道にまで案内してくれた。


「稲佐浜はいいよお」

「さっき行って来たんですよ。とても綺麗でした」

「うんうん、夕焼けは特に綺麗だよお。是非行ったらええ」

「そうですねえ、夕焼け、好きなんですか?」

「いや、あたしはずっとここに住んでるけど見たことはない」


 ガハハ、と笑うお婆ちゃんは私に、ここ真っ直ぐ行ったら海だからね、と教えてくれた。私はお婆ちゃんに手を振って見送り、その逆方向へと歩き出した。

 駅に着くことは出来たが、やはり出発の時間には遅れてしまっていた。その間、暗く染まりつつある空の下でジュースを買い、とてとてと歩き時間を潰した。

 駅員に一畑電車から寄れるおすすめスポットも教えてもらった。


「粟津稲荷神社はいいらしいね。撮り鉄? の人たちがよくそこで降りるよ」

「あ、良さそうですよね。来る前にちょっと調べたんですけど、なかなか珍しそうな風景だなって」

「それ以外となると……うーん。あんまないかな」


 お婆ちゃんの時みたいに駅員が笑う。まあ私だって地元の名所を教えてくれ、と言われたって特に無いと答えるだろう。

 暗闇を走る電車に乗り、私は一泊目のホテルに着いた。

 まだ何も食べていない。居酒屋は空いているが、客が一人しか見えなかった。近くにはバーがたくさんあり、どうせならと私はそこの一つに入ることにした。

 中には常連らしきおじさんがいた。彼は私に話しかけてくれ、海外はいいとか、こんなところに行きたいといった話をした。

 そしてお決まりのように、私はおススメの場所はありますか、と尋ねた。


「うーん、特に何もないね。何もないよ島根は」


 私は笑って、ありがとうございますと答えた。良い場所はたくさんあった。ただそこは、冒険とも言えないような小さい冒険の果てにあるものだ。暇を持て余した学生という私でなければそうしようと思わないような冒険。

 私はホテルに着き、明日の準備を終えて眠りについた。

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スマホを持たずに一人旅してみようと思う 水汽 淋 @rinnmizuki

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