夏 、『好き・・・』とキミが囁いたから

寄賀あける

夏、『好き・・・』とキミが囁いたから

 白い波が打ち寄せて、遠く海原は青く輝く。焼けた砂浜で見上げれば、真夏の太陽は空をほのかに染める。そして容赦なく照り付ける。


 波と戯れる僕と、岸で僕を待つキミと――


 僕の高校時代の夏は、毎年同じ風景が広がる。けれど心に吹く風はいつも違っていたことに、キミは気づいていただろうか。



 出会ったのも夏だった。両親を亡くしたキミを父さんが家に連れてきた。親友の娘さんだと、キミの事を言った。中三の夏、同情はするけれど、高校受験を控えた僕はキミを歓迎なんかできなかった。

 お盆の夜の庭で、線香花火が闇の中のキミをうっすら浮かび上がらせる。忍び泣く声は聞こえない。父さんの涙を始めて見たあの夏 ――





 高一の夏。波と戯れる僕と、初めて岸で僕を待つキミと ――


 今度は一つ年下のキミが高校受験を控えた夏。母さんに命じられて家庭教師の真似事をした夏。キミが女の子だという事だけで僕の心臓を高鳴らせると知った夏。


 岸にキミが立つと、僕はそろそろ帰る時間かと思う。帰って勉強を見てあげる時間だ、母さんが迎えによこしたんだと僕は思う。

 僕が駆け寄ると、キミはいつも済まなさそうな顔をした。もういいの? と遠慮がちに訊いてくる。

 本当はもっと遊んでいたかった、だけど僕はいつもこう答える。


 波はいつでも、いつまでも打ち寄せる、だからまた明日 ――


 母さんにうるさく言われるのが面倒だから、キミが受験に失敗して、僕のせいにされたらたまらないから。そう自分に言い訳をして。





 高二の夏。波と戯れる僕と、理由もなく岸で僕を待つキミと ――


 キミが同じ高校に進学してきた夏。キミに近寄ろうとする学友たちに嫉妬を覚えた夏。キミが魅力的な女の子なんだと気が付いた夏。


 友達が何人か、キミを紹介してくれと僕に言った。自分で言えばいい、と僕は突っぱねた。友達甲斐がないとなじられたけど、僕が言えばキミは断れない。それでは可哀そうだと僕は言った。世話になっている家の子に言われたらそんなモンかも知れないね、気のいい友達は僕の言葉を信じたけれど、僕は知っていた。妬いたんだ。僕は嫉妬で友達の邪魔をしたんだ。


 合唱部に入ったと聞いた時、なんて地味なと思った。庭で歌うキミを二階の窓から、上手だね、と揶揄からかった。母と一緒によく歌っていたの、キミの答えに僕は言葉を選べず、決して合唱は地味じゃないと自分で自分に抗議した。同時に、キミへの同情が僕の中から消えていることに気が付いた。





 高三の夏。波間からキミを探す僕と、いつも通り、岸で僕を待つキミと ――


 僕のキミへの思いが、恋なんだと気が付いた夏。キミの心が欲しいと思い悩んだ夏。寝苦しい夜に、何度も溜息ためいきいた夏。


 東京の大学を受験すると決めていた。合格したら東京で一人暮らしだ、海からの帰り道、そんな話をする僕の耳に、不意にキミの囁きが聞こえる。


 好き・・・思わず振り向いてキミの顔を僕は見た。キミは僕を見つめたが、フッと笑って、お腹すいたね、と言った。


 聞き間違い? それとも空耳? 判断つかずに戸惑う僕は、本当のところを知りたいくせに、キミに確かめることもできなかった。そして、気が付く。僕はなんて臆病なのだろう。


 キミを好きで仕方ないのに、それを告げることもできず、キミの言葉を確かめる勇気もない。誰か、僕を後押ししてくれ。キミに思いを伝える勇気を僕にくれ。





 あの夏から何度目の夏だろう。波間からキミを探す僕と、いつも通り、岸で僕を待つキミと ――


 今年もサーファーが波を追い、真夏の海に集まっている。いつも通りの夏。いつも通りのキミ。


 だけど今年は少し違った。誰かが波を降りて、海岸に立つキミに駆け寄る。キミの名を呼び、明日も来るかと問いかける。キミは優しい笑顔を見せて、さぁね、と答えた。明日も来てよ、とキミに言って、誰かはまた海に戻る。


 彼は知らない、キミが待っているのが僕だということ。そして僕がここでキミのところへ帰る時を待っていること。


 今までも、キミに声をかける男はいた。だけどキミはその場所を離れず、ずっと僕を待っている。何年も、何年も。キミは僕だけを待っていた。





 あの夏の日、僕が勇気を持てなかったあの夏の日、僕がキミから逃げ出したあの夏。


 波が荒れ、台風の接近を知らせていたあの日。あの日のように海が暴れる。


 サーフィンを諦めて帰り支度を始めた彼に、キミが僕の思い出を語る。そして彼がキミを見る。


 キミの叫び声が波音にかき消され、慌てた彼の友達が彼を追う。だが間に合わない。波が彼の姿を隠す。




 あの日、あの夏の日、愚かな僕は波が勇気をくれると思った。荒れるあの波に乗れたなら、一度でも立てたなら、波に後押しされて僕はキミに思いを告げる、伝えられる。そう信じた。


 けれど無謀すぎる僕の挑戦は、はかなく波間に消えていく。リューシュが切れたボードは岸に流されるのに、僕は深海に引き込まれる。キミのもとに帰っていったのはボードだけ、ボードをなくした僕はこの海で、僕を待つキミを眺めているしかなくなった。





 彼がキミに言う。あの波に立ち、必ずここへ戻ってくる。いつまでも帰ってこないヤツを待つな――



 海は荒れる。波が狂う。なんとか波を制そうとする彼を飲み込もうとする。


 見ているしかできない僕は、もどかしさに荒れ、嫉妬に狂う。立たせるものか、帰すものか!





 岸では彼の友人たちが彼の名を叫ぶ。その中にキミの姿を僕は見つける。キミが待っているのは僕だ。彼を返さなくてもいいはずだ。




 海は荒れ、風が吹きすさび、雨が叩きつける。僕は波しぶきの合間からキミを見つめる。


 彼は何度も失敗し、波に揉まれては再び波の上に立とうと試みる。もう待つな、自由に生きろ ―― 彼の声が聞こえたような気がした。





 とらわれているのは僕かキミか? 海に囚われた僕、キミは何に囚われているんだろう?




 岸に立つキミが見詰めているのは海でもなく、僕でもなく、彼だった。もう奪わないでと叫んでいる。もう、海に取られるのは嫌だと泣いている。




 僕は一瞬息を飲み、そんなキミを遠く見詰めた。その隙に彼が波の上に立つ。そして波間にキミを見る。帰る、だから待っていて、彼の瞳がキミにそう語り掛ける。




 一瞬の出来事を、荒波が消していく。勝利を認めるものかとばかり、深海へと彼を引き込む。




 帰りたかったのは僕だ。彼じゃない。だけど・・・もう僕は帰れない。海の底へと僕は彼を追う。リーシュを切って彼を次の大波に乗せた。




 大波は彼を運ぶ。僕の代わりにキミのもとへ。打ち上げられた彼を仲間たちが取り巻いて、運んでいく。



 キミも ―― キミも彼についていく。僕の前から消えていく。



 残された彼のボードで僕は波に立つ。今の僕にはどんな波も自由自在だ。だけど波に任せよう。波は僕をどこに運ぶだろう。光の届かぬ深海か、それとも名も知らぬ遠くの海か?




 夏、波間からキミを探す僕と、岸で僕を待つキミと ―― もう二度とそんな夏は来ない。



< 完 >



※ 本作は

 『 きみの嘘。ぼくの罪。すべてが「おもいでだ」としても 』 スピンオフです。

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夏 、『好き・・・』とキミが囁いたから 寄賀あける @akeru_yoga

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