森の奥に潜む恋

汐海有真(白木犀)

前編 Laru

 あるところに、ひねくれた魔法使いの少年がいました。


 魔法使いの家に迷い込んだ少女に、彼は意地悪で魔法をかけます。


 それは、『恋心を誰にも伝えることができなくなる』という魔法でした。



 このお話は、それから二年が経った頃の出来事です――



 ◇


 透明なレースカーテンに覆われた窓の向こうには、針葉樹の森があった。


 ぼくはロッキングチェアに腰掛けながら、窓辺に置かれた植物たちを眺めている。どれ一つとして同じでない様々な緑色が、きれいに生えている。

 きい、きい、とロッキングチェアが音を立てている。背もたれに頬を乗せながら、ぼくは彼女のことを待っている。


 こんこん、と扉を叩く音がした。ぼくは素早く立ち上がって、音のした方へ向かう。ゆっくりと深呼吸をしてから、つまらなさそうな表情を浮かべるのを心がけて、ぼくは扉を開いた。


 そこには予想した通り――レミネが、立っていた。


 セミロングの赤茶色をした髪は、左右それぞれ一部分が濃い赤色の髪留めで結ばれている。紅玉色の真ん丸な瞳が、ぼくのことを見つめていた。細い身体は、深緑色のワンピースに包まれている。


 レミネは開口一番に、ぼくへと告げる。


「こんにちは、ラルくん。今日こそ、わたしにかけた魔法を解いてください!」


 両手を握りしめているレミネに、ぼくは口角をつり上げた。


「こんにちは、レミネ。申し訳ないけど、ぜーったいに、嫌」


 レミネはぷくっと頬を膨らませて、ぼくの方を見る。


「何でですか! ひと月前くらいからずっと、お願いしているじゃないですか!」

「やなもんはやだ。だってあれはさ、ぼくがお前に出会った日にかけた記念すべき魔法だよ? それを解くとかもったいないでしょ」


「もったいないって理由で、わたしがどれだけ困っていると思っているんですか! ちょ、ちょっと、話は終わっていませんよ!」


 ぼくは面倒くさそうに振り返って、口を開く。


「レミネはミルクティーにするの、それともレモンティーにするの?」

「今、紅茶の話はどうでもいいです! でもとりあえず、ミルクティーでお願いします」

「あい、いつも通りね」


 ぼくはキッチンへ向かう。ちらりと振り返ると、レミネが履いているブーツをいそいそと脱いで、玄関にきちんと並べているところだった。赤茶色の髪の毛先が、背中の上でぴょこぴょこと跳ねているのがわかる。

 ぼくは前を向いて、それから額に手を当てる。


 ……今日もレミネが、めちゃくちゃ可愛い。


 自分の心臓の音がうるさい。それを振り払うように、床を少し強めに踏んで歩く。

 戸棚から二つのティーカップを取り出しながら、ぼくは溜め息をつく。


 馬鹿みたいだ、と思う。

 数年前に恋にまつわる魔法のろいをかけた相手に、恋をしてしまっているなんて。


 ◇


 ぼくたちは、小さなテーブルに向かい合うようにして座る。

 レミネは紅茶に、たぽたぽと牛乳を注ぐ。それから幾つもの角砂糖を投げ入れる。相変わらず甘すぎな味が好きなんだな、こいつは、と思う。


 ぼくは輪切りのレモンを添えた紅茶を飲みながら、口を開く。


「レミネ、今週は何して過ごしてたの?」

「今週ですか? えっと、学校に行っていましたよ!」

「へえ、まだそんなところに行ってんだ。集団生活送れるなんて尊敬」

「だってわたし、まだ十四歳ですもん」


「ぼくが十四歳の頃は、もうこの森に引きこもってたけどね」

「それはラルくんが例外なんです。わたしは魔法とか使えないので、色々学ばなきゃいけないんです!」


 レミネはえっへんと胸を張る。そんな彼女のことが、少しだけ羨ましい。


 ぼくは生まれたときから、世界と隔絶されていた。両親は森の中でぼくを育て、ある日を境にいなくなってしまった。

 それからずっと、この家で暮らしている。


「今週は何を学んだの?」

「えっと、色々です。一番面白かったのは、この国の歴史ですかね。わたしがまだ生きていない頃に、こんな出来事があったんだって思うと、わくわくします!」


「へえ。例えば?」

「例えば三百年くらい前にいた王様は、すっごく悪い人だったんです。みんなから沢山税金を取って、そのお金でぜいたくな暮らしをしていたんですよ。そのうちみんなが怒っちゃって、王様の座は違う人に移ったそうなんです」


 レミネの話を聞きながら、ぼくはこくこくと相槌を打つ。

 こうして彼女の話を聞いている時間が、ぼくは好きだった。レミネはいつだって、何事にも真っ直ぐだ。多分ぼくとは、全く違う風に世界が見えているんだろう。


「……レミネはさ」

「何ですか?」

「人間のこと、好きでしょ?」

「人間? えっと、みんなのことは、大好きですよ!」


 レミネはそう言って、へらっと笑う。

 その表情はとても可愛かったけれど、同時にぼくの心は、ちくりと痛んだ。


 ぼくは、人間のことが嫌い。ぼくの魔法を、ぼくの両親を、ぼくを、否定したから。


 だから、一人ぼっちで生きていたい。


 いや、嘘だ。ぼくは、レミネと二人きりで、生きていたい。


 でも――



「それはそうと、ラルくん。そろそろ、わたしの魔法を解く気になりましたか?」



 ――彼女はそうやって、言う。


 ◇


 魔法をかけたきっかけは、正直なところ腹いせだ。


 二年前、十四歳だったぼくは、十二歳だったレミネと出会った。ちょうど両親に捨てられた頃で、ぼくはひどく荒れていた。


 だから、道に迷ってぼくの家を訪れた赤茶髪の少女を、分厚い本で覚えた魔法の実験台にした。

 帰り際のレミネに、ぼくは意地悪な顔をして言う。


『ぼくはお前に魔法をかけたんだ。お前はもう好きな奴ができても、好きって伝えられないんだよ』


 そう告げられたレミネは、きょとんと首を傾げた。

 おそらく泣くだろうな、と思った。そうしたら魔法を解いてあげようと考えていた。ぼくは薄く笑う。

 でもレミネは、屈託なく笑って口を開いた。


『よくわかんないですけど、また遊びに来てもいいですか?』


 ぼくは呆気に取られて、それから言う。


『……何でだよ』

『だって、森で転んだときできた傷、魔法で治してくれたじゃないですか!』


 レミネは微笑んで、傷一つない自分の膝を指さす。

 ぼくは思う。それは、血を見ているのが嫌だったからだ。赤い色が好きじゃないんだ。赤い口紅を塗っていた母さんのことを思い出すから。思い出したくないから。


『……勘違いすんなよ。ぼくはお前を助けたいから、助けたわけじゃない』


 睨むような目付きをしているぼくの手を、レミネはぎゅっと握った。ぼくは驚いて呼吸の仕方を忘れる。彼女は柔らかく笑う。


『それでもわたしは嬉しかったんです。だからまた、会いたいです!』


 鼓動が早まっていくのを感じた。

 気付けばぼくは、頷いていた。レミネは手を離して、それから振る。


『またね、ラルさん!』


 レミネはそう言って、扉を閉めた。

 動悸はまだ、収まらない。


 ぼくは彼女に恋をしたのだと、ようやく気付いた。


 ◇


「……解く気になんてなってない。なんで歴史の話を聞いて、気が変わると思った?」

「むう、ラルくん、冷たいです」


 頬を膨らませているレミネを、臆病なぼくは見つめている。


「……そもそも何で、そんなに魔法を解いてほしいんだよ」

「それは……」


 レミネはぱくぱくと、口を動かす。それから困ったように、俯く。

 一ヶ月の間、ずっと怖くて言えなかった言葉を、ぼくは口にする。


「恋でもしたんだろ、お前」


 レミネは紅玉色の目を見張る。それからほのかに顔を赤くした。

 ああ、やっぱりか、とぼくは思う。

 泣き出しそうになる。


 その恋が実れば、きっとレミネはそいつと色んなことをするのだろう。それで、こうやって休日にぼくの家に訪れることも、なくなるのだろう。

 ぼくは悲しい気持ちを振り払うように、口を開いた。


「そいつ、どんな奴? どうせお前が恋した相手なんて、ろくでもないんだろうな」


 つい、意地悪を言ってしまう。

 こんなことを言いたいわけじゃないのに、上手くいかない。自分の性格の悪さを呪う。

 レミネは面食らったような顔をしてから、ぶんぶんと首を振る。


「すごくかっこよくて、優しくて、素敵な人ですもん……」

 ぼくは、何も言えなくなってしまう。

 レミネは悲しそうに俯いている。

 好きな女の子にそんな顔をさせてしまう自分が、ひどく情けなくなった。


「……ごめん、今日はもう帰って」


 ぼくの言葉に、レミネはこくりと頷いた。

 レミネは座って、ブーツを履こうとしている。その背中は小さかったけれど、二年前よりずっと、大きかった。

 ぼくはかすれた声で、彼女に告げる。


「……来週、また来て。そしたら、魔法を解いてあげるから」


 レミネは驚いたように、振り返った。そうして、ゆっくりと頷いた。


「……またね、ラルくん」


 その言葉を残すように扉が閉まって、彼女の姿は見えなくなる。

 ぼくは床の上にうずくまって、溜め息をつく。


 こんな気持ち、誰にも言えるわけがない。だってぼくは二年の間、あいつに意地悪なことばかり言ってきた。そんな、最低な人間だ。

 ぽたぽたと、涙が零れていく。


「もう、レミネを解放してやらなきゃ、だめだろ……」


 自分に言い聞かせるように、そうやって口にする。

 仕方ないんだ。本当はすぐ解くはずの魔法だった。二年間も逃げてきたことに、向き合うときがやってきただけだ。


 そう思ってはいるけれど、悲しくてしょうがなくて、しばらくの間泣き続けていた。

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