『二人でエピローグを(前編)』



「…やってしまった。」


 シエルは両膝を抱えて項垂れた。初めてのドレスはしわくちゃになっているがそれどころではない。


 王太子を投げ飛ばすという人生の大失態を起こした後、シエルは会場の外に逃走した。

 出入口から押し寄せてきた守衛達を俊敏な動きで掻い潜って突破したのも束の間、踵の高い靴に慣れていなかった故に足を痛めてしまったのだ。


 遠くに逃げられないと悟った彼女は近くの物陰に隠れて息を潜めていた。


(相手は王族、しかも王太子だ。不敬罪は絶対免れない。)


 見つかるのも時間の問題だが観念することもできず、シエルは歯を食い縛って涙を堪えた。

 ベガを理不尽な目に遭わせる周囲に我慢できなかったといえども、この結果を招いたのは堪え性のない自分である。


「一時の感情に流された私は最低最悪だ。」

「ええ、そうね。ご自身が犯した過ちをちゃんと理解なさっていて何よりですわ。」


 頭上に凛とした声が落ちてきた。


 その声でシエルは沈みつつあった自我を取り戻すと瞬時に顔を上げた。其処に居たのは夜空を背にして立つ悪役にされてしまった公爵令嬢だ。


「ラ、ライラック公爵令嬢!?何故、此処に!?」

「何故と言われましても私は婚約破棄をされた身ですもの。あの場に居ても仕方ありません。」


 包み隠さず事実を述べるベガにシエルはどう返せば良いのか分からず困惑した。


「だってそうでしょう?王太子とあろう御方が私を悪と断罪し、平民の娘に現を抜かして大勢の前で醜態を曝したのですから。」


 ベガは扇子を広げて自身の顔の前に翳しながらクスクス笑う。肩の荷が下りたように何処となく清々しい表情を浮かべながら彼女は唐突に話を切り出した。


「貴女も危ういのではなくて?貴女の行いは王族への不敬罪。あの場で取り押さえられてもおかしくありません。しかも逃亡を図ったのですから数え切れない罪が重なるでしょう。」


 シエルはベガを仰視しながら息を呑んだ。


 次期国王であるシリウスを侮辱するような騒動を起こしてしまった自分が罪に問われないなど虫がよすぎる話である。


 シリウスに向けられていた一方的な好意は一時的な熱病となっていつしか醒めると思っていた。

 学園では彼も一生徒だ。婚約者がいるのだから学園生活の許容範囲で済まされるとシエルは勘違いしてしまった。しっかり意思表示すべきだったがもう遅い。


「このままでしたら、ね。」


 頃合いを見計らうように語り終えるとベガはおもむろに扇子を閉じた。


「貴女、新しい土地に出向くのは興味あります?」

「え?」


 まるで明日の天気を訊ねるような気軽さで話すベガにシエルは間の抜けた返事をする。


「あら、私の申し出にご不満でも?」

「そ、そそそんなとんでもございません!とても魅力的です!知らない場所とか興味ありますし、いつか行ってみたいと思っておりました!」

「それを聞いて安心ですわ。何しろその土地はライラック公爵家の領地で最も寂れた辺境の田舎ですから。」


 移住を希望される方がおらずに困っておりましたの、と朗らかに笑うベガにシエルは戦慄を覚えた。


「此処へ来る前にはお父様、いえライラック公爵から勘当されましたの。せめてもの恩情としてライラック公爵領の土地を任されることになりました。事実上の社交界追放です。」

「その、えっと私にはパン屋を営む両親がいますので遠い所は無理かなぁと、」

「でしたら一家で移り住めば良くて?」

「す、すすす住む!?それは地元を大切にする両親が納得するかどうか、でもパンに使える珍しい食べ物があったら多分、いや顔馴染みの常連さん達が悲しむから両親は移住を反対すると思います!!」


 ベガの大胆な発言にシエルは慌てふためきながら言葉を繋いだ。支離滅裂になってはいるが自分の意思を伝える彼女にベガは暫く耳を傾けてから新しい企みを思い付いたように口を開いた。


「ご心配なく。もし気掛かりでしたら軌道に乗るまでは私のもとで働きなさい。それ相応の報酬と衣食住を約束しますわ。人の噂は早く広まります。王太子に不敬を働いた娘の実家となれば経営悪化は避けられません。」


 涼しい顔で語るベガにシエルは事の重大さを自覚して顔面蒼白になる。


 あの後シエルは逃げ出したから知らないが国王が直々に箝口令を言い渡したのだ。シリウスの暴走は予想外だったに違いないが臣下からの報告で薄々気付いていたはずだ。

 それでも王位継承者である我が子が問題を起こさないと今日まで油断していたのだから国王としての責任を問われずとも『不甲斐ない父親』という印象は周囲に与える結果となった。


(シリウスの件は残念でしたが、もう未練はございません。)


 この国は代々、高い爵位の貴族令嬢を王妃に迎えて王女が生まれた際は高い爵位の貴族子息に嫁がせてきた。王妃教育を受けていた幼いベガは「他国の王女ではダメなのか?」と幼心ながら疑問を抱いたことがある。


 今思えば国が求めたのは国同士の対等な横の繋がりではなく自国内の絶対的な縦の繋がりだった。

 内側から固めて国の質を高めるのは間違ってない。しかし国は外交や防衛で外側を固めるための政略結婚を蔑ろにしてきたことで旧い様式に囚われ、此度の異分子に対処できなかった。


(この国の未来が思いやられますが今となってはそれも些細なことですわ。)


 因みに箝口令が敷かれたのでシエルの両親は今宵の出来事を知らずに明日もパン屋として何の心配もなく精を出せるが、シエル自身には些細な言動で取り返しのつかない結果が招くことを十二分理解してもらわないと今後の先行きが心配なのでベガは敢えて今だけは口を噤んだ。


「貴女の両親が『直ぐにでも移住を必要とするならば』の話です。この選択肢は万一に備えて保留しておきなさい。」

「い、急ぎじゃないなら安心です!あ、あのどうして私のような者に手を差し伸べてくれるのですか?」


 シエルの言葉にベガは目を丸くする。


 学園での自身はシエルを目の敵していたはずだ。それなのに何故自ら彼女の可能性を広げるような提案を?とベガは自身の行動に首を傾げた。


 特例で学園に入学したシエルをベガは当初から気掛かりだった。平民である彼女によって学園の伝統が脅かされることを未然に防ぐためベガは自らの足で赴いては数え切れないほどシエルとシエルの夢を否定した。


 平民が別の階級、ましてや貴族と同じ学び舎で勉学に励めるのは制度が整った先の未来だ。階級による価値観が深く根付いている現実ではまだ早過ぎる。


 彼女を学園から追い出すのは容易いとベガは高を括っていた。だがいくら蔑んでもシエルは決して諦めなかった。学園の一生徒に相応しくあろうと鋭意勉学に努める彼女を目の当たりにしたベガは次第に興味を持った。

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