もう二度と恋はしない、と私は誓った。

 ジューンブライドの季節。付き合って三年の彼氏に、突如別れ話を切り出された。結婚まで考えていた相手だった。ゼクシィだって二度ほど買って読んでいた。だがあの男は、『君をこれからも愛していく自信が無くなった』と私に言った。言葉に裏を感じたので共通の友人を頼って調べてもらった。案の定、別の女ができていた。お前みたいな薄情野郎と付き合っていくなんてこっちから願い下げだこの野郎、と怒りに身を任せて縁を切った。

 半ば同棲状態だったアパートには、たくさんの思い出の品があった。それらが視界に入るたびアイツのことを思い出してしまいそうで、すべて捨ててやることにした。ホームセンターで買ってきた段ボールに、一緒に読んだ本とか、付き合って一年の記念に買ってもらったワンピースとか、アイツの置いてった私物とかを詰め込んでいく。手に取るたびにいちいち思い出が浮かんできて、何だかんだ幸せだったなぁとか、私アイツのことかなり好きだったんだぁとか考えてしまって、段々と作業の手が動かなくなってきて、しまいには段ボールにすがりながら泣いてしまっていた。暗くなってきていた窓の外が街灯で明るくなり、四角いキャンンバスに雨の線を走らせていた。

 窓からはコンビニが見える。アイツと連れ立って何度も通った場所だ。その隣の花屋も何度か一緒に行ったし、ベランダには買ってきた植物がいくつも置いてある。この街はもう、アイツとの思い出に溢れていた。それが綺麗に見えて、だからこそ悲しさがこみあげてきた。

 雨音が強まり、私の世界を囲んでいく。

 膝を抱えて、私はうずくまった。


「もうこのまま、全部流してくれないかなぁ」


 思い出も、何もかも。


「いやーマズい、ひっじょーーーにマズい」


 いきなり背後から声がした。

 驚いて振り返ると、不審極まりない男が立っていた。黒いスーツに身を包み、胸ポケットに紫陽花あじさいを飾っていた。室内なのに大きな雨傘を差してもいる。そして何よりも奇異なのが、背に担いだカタツムリの貝殻だった。やけに美形なせいで、怪しさがとんでもなかった。

 声を荒げ、驚くべきところだったのかもしれない。しかし泣き疲れた私は、消え入りそうな声でしか反応できなかった。


「誰……?」

「ワタクシ、露野つゆの雨彦あめひこと申します。この度は貴方様の恋路を救済するべく、こうして姿を現した次第でございます」


 懐から取り出した名刺を渡される。そこには今名乗った名前の他に、ふきの葉を傘にしたカエルのイラストと、『天命ジューンブライドサービス 特派員』という肩書が書かれていた。


「ジューンブライド、サービス……」

「天より使命を授かりて、貴方様のように元来の運命で結婚するはずだった人々の恋路を修正するために地上へと遣わされる存在。それこそが我々天の使い、ジューンブライドサービスなのです」

「どうして、そんなことをするの」

「この季節を、終わらせるためですよ」


 雨粒が付いては滴る窓を、露野と名乗った男が見やる。


「ジューンブライドと六月の名を冠してはおれど、この国において指し示すのは梅雨時。つまり貴方様が結婚して幸せにならない限り運命は停滞したままとなり――梅雨前線が残り続けるのです」


 馬鹿げたことを言われているのは確かだった。人間一人の失恋で天候が左右されるなんて、そんな話あるわけがない。

 だけどどうしてか、彼が嘘を言っているように聞こえなかった。

 それでいて、不思議と納得もできてしまった。


「私と一緒に、泣いてくれるのね」


 この雨は、私の涙。

 この町に染み付いた私の悲しみを洗い流すため、降り注ぐ涙なのだ。


「ええ。ですがワタクシは、貴方様に泣いていて欲しくない。どうかこの露野に、涙を拭わせていただけないでしょうか」


 露野が手を差し伸べてくる。

 私はその手を取り、引っ張られながら立ち上がった。


「お気持ちありがとう。でも、少しだけ泣いていたいの。待ってくれる?」

「早めの対処が望ましいですが、急いては事を仕損じますからね。甘んじましょう。それではよろしくお願いいたします――箱崎はこざき乃愛のあ様」


 関東平野が全て海に沈んだのは、それから五年後の事だった。




《了》


 ――――――――――


 お題「梅雨」

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リハビリ道場:お題掌編稽古 緒賀けゐす @oga-keisu

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