第18話 入浴しながら雑談

 寮舎の浴場は広く大きい。

 特別クラスのメンバー全員が同時に入ってもスペースが余るほどだ。とはいえ、シロウを含めた全員が共に入る機会はないだろう。


 先ほどの悪夢が尾を引き、シロウの意識は珍しく半覚醒だった。ぼんやりとしたまま脱衣所で服を脱ぐ。


 出入り口のドアを開けて浴場に入る。

 ワンルームに大きな浴槽と複数のシャワーが設置されており、シャワーは大理石の板で仕切られていた。


 さっそくシャワーを浴びようと思ったが、水が降り注ぎ床に当たる音が耳に入る。誰かが先に使用しているみたいだ。


「ふんふ、ふんふーんっ」


 ご機嫌な鼻歌を奏でる女子。

 シロウは気づかれる前に浴場を出ようとしたが、一足遅かった。シャワーの音が止まり、少女が仕切りを横切って現れる。


「えっ……シロウくん!?」


 上ずった声が浴場に響いた。

 シャワーを浴びていたのはジェシカだった。全裸の彼女は驚いたように目を見開き、あわあわと開いた両手をわななかせる。


「すまない、すぐに出ていこうと思ったんだが」

「こ、こっちこそごめんね! 私、全然気づかなくて!」


 彼女が謝る必要は全くないのだが、冷静な判断ができていないようで、ジェシカは顔を真っ赤にさせながら胸と股間を手で覆い隠す。そして、おずおずと言った。


「シャワー、どうぞ……」

「ああ」


 なるべくジェシカのほうを見ないようにしつつ仕切りのうちに入る。ぺたぺたと勢いよく裸足が床を踏む音の後にドアが開かれる音が聴こえた。


 ジェシカが浴場を出た気配を察し、シロウは息をついてシャワーを浴びる。


 一つ屋根の下で生活をしているのだから、こういうハプニングがあるのも仕方ないのだろうが……次からは脱衣所で誰かの脱いだ服の有無をきちんと確認してから浴場に入るとしよう。


 シロウが自分を戒めていると、再び裸足が床を踏む音がした。

 何故かジェシカが戻ってきたようだ。頭から水を被りながら振り返ると、バスタオルを身体に巻きつけたジェシカがこちらを窺っていた。


「あ、あの……少し一緒にお話しない?」

「俺は構わないが」


 シロウが応えると、ジェシカはチラチラと視線を横や前に行き交わせて頷く。男の裸体が気になるようで、彼女の視線は時折、シロウの股間に向けられ、すぐに逸らされる。


 頬を真っ赤にさせるジェシカに少し待ってくれと伝えたシロウは、さっと全身を洗い流した。そして脱衣所に戻り、バスタオルを腰に巻きつける。


 再び浴場に入ると、ジェシカはバスタオルを巻いたまま浴槽内の湯に浸かっていた。少し距離を取り、ジェシカの隣に腰を下ろす。


 じんわりと湯の温かさが身体に染み込むのを感じながら、シロウは問いかけた。


「話とは、なんだ」

「大した話じゃないんだ。ただ雑談というか、学院生活のことを話したくて」


 わざわざ一緒に風呂に入りながらすることだろうか。

 そう言おうとしたが、ジェシカの声に遮られる。


「シロウくんは……学院生活で困ったことはない?」

「特にないな。授業や訓練は受け応えがあるし、学友にも恵まれている」

「そっか。もし何か助けてほしいことがあったら、遠慮なく言ってね」

「ああ、頼らせてもらおう」


 ふう、と息を吐くジェシカ。頬は朱色に染まり、剥き出しの肩も火照っている。男と入浴することに緊張しているようで、あまり視線を合わせようとしない。


「そう言えば、風呂に入る時は髪を解くんだな」

「え、ああ、うん……変かな?」


 普段はリボンで結ばれ二つの房になっている髪が、今は彼女の背中にまで垂れている。髪を解いたら少し年齢が上がったように見えるのだなと、シロウはジェシカについて新たな知見を得た。


「あ、あまり見ないでくれると助かるな……」

「すまない、つい気になるものでな」

「それは、私がってこと?」

「もちろんジェシカについても気になっているが、俺は様々な人間や物に触れて知見を得るのが好きなんだ」

「ああ、確か剣の理だったかな? 森羅万象を見て知見を得ることが、剣士の到達点に近づくって……」

「よく知っているな」


 剣士の到達点と言われている“唯我ゆいが”。

 幾千、幾万の剣戟を体験していくうちに己と剣の境界線が曖昧になり、やがては剣と一体化するような感覚を得る。それが剣士の到達点である唯我の領域だ。


 唯我に至るためには剣を振るだけではなく、ありとあらゆる物事を体験し、知り得ることが重要である。シロウは唯我の一歩手前まで至っているリンカに教えられ、物事を深く知ろうと心がけていた。


「ふふっ、シロウくんが色んなことを知りたがる理由が分かったよ」


 微笑んだジェシカは両腕を伸ばし、気持ち良さげに息を漏らす。話しているうちに緊張は解れたのか、穏やかな表情で湯を堪能していた。


「もし私について知りたいことがあったら、答えられる範囲で教えるね」

「では、ジェシカの故郷について教えてくれないか?」

「あー、うん……聖教国なんだけど……事情があって、あんまり話せないんだ。ごめんね」


 ヴァリエス王国に隣接する宗教国家、レガリア聖教国。

 セント・レガリアとも呼ばれる国は女神アストライアを崇め奉っていること以外、シロウは何も知らなかった。


 聖教国の詳細を聞きたかったが、ジェシカが話せないというのならば追求はしないでおこう。その後もジェシカと話しているうちに、朝食の時間帯になる。


「そろそろ上がろうか。お話できて良かったよ。今日はなんだか頑張れそう」

「俺も、ジェシカを知れて良かった。また話そう」

「うん、ぜひ」


 先にジェシカを脱衣所に入れる。彼女が服を着終えるのを待ってから、シロウも脱衣所で服を身につけるのであった。

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