東校舎には、探偵がいる

生物部の探偵

 屋敷中学校には、古くから伝わる不思議な話が1つある。


 東校舎へ続く渡り廊下を渡って右に曲がり、階段を上がって3階に上がったら左に曲がる。まっすぐ進み、一番奥にある『生物部』には、人と人のことならなんでも解決してくれる探偵がいるらしい。


 ただし、解決してくれるのは『かなわない縁』に関することだけ。





 放課後の学校は、日中程ではないにしろそこそこの活気で溢れている。


 時刻は午後4時40分をまわろうかというところ。部活動は午後5時までと決められている為、どの部活もラストスパートをかけている。傾く夕日でオレンジに照らされた校舎の中、斎藤さいとうあかりは、追い込みをかける野球部のノックに目もくれず、短いスカートを翻して東校舎へ続く渡り廊下を走っていた。


 3年前にできた本校舎は、全教室エアコン完備のコンクリート打ちっぱなし今どき新校舎。丁寧にワックスがけされた本校舎の廊下を一心不乱に走っているときは、何人かの部活動中の生徒が自分を見ているのがあかりにもわかった。しかし、今ではほとんど使われていない東校舎に入った途端、誰ともすれ違わなくなる。


 普通の生徒なら、木造ではないにしろ常に薄暗く不気味な雰囲気を纏う東校舎になど間違っても足を踏み入れない。だが、あかりには関係がなかった。気付いていない、というほうが正しいだろうか。生来、彼女は怪異や怪談の類は一切信じていない。窓の外でざわざわ鳴る不気味な木々の音も気にせず、2段飛ばしで階段を駆け上がる。


「ひだり、ひだり……」


 階段の一番上で立ち止まると、一度きょろきょろと右左を確認する。どうやら道順を忘れないよう呟いているらしい。左、と呟きながら、くすんだベージュ色の廊下を走る。


 走る必要などなく、お目当ての教室はすぐに見つかった。顔を上げると、廊下の一番奥、『生物部』看板が目に入る。取手に手をかけると、息つく間もなくドアを思い切り左にスパーン!と開け放つ。


「たのもー---!!!」


 道場破りでもあらわれたか、という程の大きな声とドアを開く音に、8畳程の教室内奥に座る人影が迷惑そうに振り返った。乱暴に開けられたドアがガタ、と音をたてる。


 ドアの向こうの教室は、電気を点けておらず、薄暗い。キィ、と音をたてながら回転イスをゆっくりと回して体を回転させると、小柄な体で制服の上に白衣を羽織った黒髪の男子生徒があかりをじろりと睨んだ。何故か膝には白いうさぎがちょこんと座っている。


「うるさい……もっと静かに入ってこれないのか」


「すみません!急いでいたもので!」


 頭が地面につきそうなくらい深々とお辞儀をしたあかりに、白衣の少年はうっとうしそうな顔で両手を耳にあてる。真っ黒な髪に幼い顔をした少年だが、少し赤みがかかったような不思議な両目を、顔を上げたあかりは黙って見つめてしまった。


「とりあえず用があるならドアを閉めてくれないか」


 はい!と、慌てて声が大きくなるあかりの返事にも、苦々しい顔をしたままイスから降りようとはしない。ドアを閉め、振り返ると、右手がこちらへ、と促していた。


 すすめられるまま、少年の前にある木のイスに座る。目の前の少年を改めて見ると、小柄な体格は一見すると小学生に見えなくもないが、態度は不遜で中学生以上にも見える。薄暗い教室の中では、不自然な程白い白衣の少年の性質がいっそう歪んで見えた。明らかにいつもと違う異様な雰囲気に、さすがのあかりも緊張して体が硬くなる。


 座ったイスの端を両手でつかんで前へ引きながら、なんとなく教室内を見回すと、生物部、という割には教室内には飼育ケース等は見当たらず、少年の膝の上のうさぎ以外に生物は見当たらない。あかりがきょろきょろと教室を見回していると、少年が自分をじろりと見ていることに気付いた。


斎藤さいとうあかりか。お前も人並みに恋などするんだな」


「え、私の事ご存じですか!」


「あーあーうるさいうるさい」


 あかりの大きな声に、少年が、トーンを落とせ、と右手を上下させる。あかりが両手で口元を抑えるのをちらりと一瞥すると、はあ、と軽くため息をつく。眠そうな両目があかりをまっすぐ見据えて、また不思議な緊張感が走った。


「斎藤あかり。2年3組女子12番。性格は活発、特技は運動全般。勉強は少し苦手なようだが、その運動神経を買われ複数の運動部の助っ人として活動。特定の部活動には所属していない。現在恋人なし」


「すごい……」


「すごくない。当然だ」


「やっぱり、あなたが宇佐うさ先輩ですね!」


 宇佐、と呼ばれた少年は、そうだが、と短い返事をする。


「で?誰との縁を結びたいんだ?」


 膝からうさぎを降ろし、きらきらした目をしたあかりの前を横切ると、隅の机にあったマグカップを手に取り、コーヒーをすする。客に飲み物をすすめる気はさらさらないようだが、自分は勝手に飲むらしい。そもそも中学の部室にドリッパーがあること自体が不自然だが、ここにそれを突っ込む人間はいない。


「縁結び……?ええと……こちらに、なんでも解決してくれる探偵さんがいると聞いてきたのですが」


「なんだ、そっちか。悪い。ここのところ女子からの恋愛相談が多くてな」


 宇佐が口にした、恋愛相談、という言葉を頭の中で反芻すると、あかりは、間違ってもないですが……と口ごもる。あかりの煮え切らない態度に宇佐は数分ぶりのため息をつくと、マグカップを持って座り直した。ここのところ、あまりにも事件がなく、副業で始めた恋愛相談のほうが本業になってしまっていたので、久しぶりの探偵業だと思ったのに。


「あの、手紙、なんですが」


「手紙?」


 手紙、と呟いたまままた黙った目の前の客を、宇佐は不思議そうな目で見つめた。あかりは蛇に睨まれた蛙のように縮こまり、恥ずかしそうに顔を赤くしている。教室を訪ねてきたときとは真逆のしおらしい様子を見て、なるほど、と合点する。


「ラブレターか」


「とは言っても私宛ではないんです!」


「は?」


「私のような者がそんな色恋などとそんなそんな!」


 顔を赤くしたまま両手を振り騒ぎ出した目の前の少女を冷めた目で見ながら、どうしたら大人しくさせられるだろうかと宇佐は考える。頭の後ろで飛び跳ねるポニーテールを思い切り引っ張れば、多少は静かになるだろうか。


「水泳部に、お世話になった片桐かたぎり先輩という方がいまして、その方宛のラブレターが私の下駄箱に入ってたんです」


「なんだそれは」


 そもそも、先輩と言うからにはあかりとは学年が違うのだから、当然下駄箱の位置も全く違うはず。ラブレターを渡す相手を間違えるとは、入れた奴はアホなのか?宇佐は半ば呆れながら冷めたコーヒーをすする。


「片桐先輩、ご家庭の事情で来週転校してしまうんですけど、それまでに差出人を探した上でお渡ししたいのです」


 その上差出人不明。まあ気持ちだけ伝えたかった、など別に不自然ではない。そのまま片桐に渡せばそれで終わりのはずだ。しかし、そうしない理由があかりにはありそうだった。さっきまで大騒ぎしていた両手は膝の上でぎゅっと握られ、大きな目には強い意志が見える。


「何故ラブレターだとわかった。中身を見たのか」


「いえ、封筒の裏側を見たら、宛名のところに先輩の名前と、封字に『つぼみ』と書いてあって」


「ほう」


 現代からさかのぼること数十年。昭和の時代に流行った手法をこの体力バカが知っているとは。宇佐はイスをくるりと1度回すと、閉じていた目をゆっくり開いた。


「何故、そのまま片桐に渡さなかった?」


「最初は渡そうかと思いました。でも、これ、きっと一生懸命書いたものだと思うんです。せっかくのご縁を、自分で繋げないなんてもったいないですから……」


 教室に入ってきてからやかましい時間の方が長かったあかりの意外な言葉に、感心した自分を悔しいが認めた。宇佐は、ご縁ね、と呟くとイスから跳ねるように降りる。


「片桐はまだ学校にいるな?」


「え、あ、はい。今日は水泳部の練習があるはずですけど」


 あかりの言葉を待たずにドアを開けると、宇佐が白衣を翻して振り返る。廊下にある大きな窓から、いつの間にか日が落ちた外の薄闇が入ってきて、青白く光る白に目が少し痛い。不思議と嫌ではない痛みに目を閉じられずにいると、片方の口角を上げて笑う宇佐が暗い窓に不気味に浮かんだ。


「さあ、かなわない縁を結びに行こうか」





 本校舎の屋上にあるプールに到着した頃には、水泳部の練習は終わり、髪を濡らした生徒達が制服姿で出てくるところだった。


 何度か助っ人をしたことのあるあかりは、入り口で数人の女子生徒につかまっている。お人好しで、適当にそれらをつっぱねられないあかりを無視して、宇佐は不釣り合いな白衣姿でずんずんとプールサイドを歩いていく。


 やっと女子生徒の一団から抜け出し、あかりが宇佐に追いつく頃には、小さな白衣姿と背の高い女子生徒が向き合って目を合わせていた。


「あら、宇佐くんがこんなところまでくるなんて珍しいわね」


「お前に用があってな」


 涼やかな声がプールサイドにきれいに響く。短い黒髪はしっとり色気を含んで濡れ、伏せられた目にはプールの青が写っている。スカートからのぞく白く長い足も、やわらかく上がった口角も、中学生とは思えない色気を放ち、片桐美和かたぎりみわはそこに立っていた。


「あかりちゃんも。お久しぶりね」


 宇佐の後ろにいるあかりをちらりと確認すると、片手を口元にあてて目を細める。これは、片桐が困ったときにする仕草だ、とあかりは思った。やはり、来るべきではなかっただろうか。ぎこちなく頭を下げる。周りには3人以外誰もいない。静かなプールサイドに、片桐の声が反響する。


「私に用って?」


「わかっているだろう。こいつがここまで来ているんだ」


 こいつ、と親指であかりを指す仕草をすると、あかりがおずおずと宇佐の横に出てくる。濡れたプールサイドがぴちゃ、と音を立てるだけで、緊張してしまう。


「来てくれただけじゃ、答えはわからないわ」


「ふん。答えなど選ばせる気などないくせによく言う」


「あら、もしかして、開けたの?」


「開けなくともわかる」


 2人のやりとりにすっかり混乱したあかりの手から、宇佐が未開封のラブレターを奪う。裏側を片桐に見せると、良かった、と笑って後ろを向いて歩き出した。少し濡れた背中に、片桐、と宇佐の声が響く。振り返る片桐の顔を見て、あかりはなんとなく寂しい気持ちが胸にわくのがわかった。


「開けろ」


「え?」


「いいから開けろ」


 突然の宇佐の声に、あかりは片桐の顔をもう一度見る。悲しいけど笑っているような、何とも言えない顔だった。この手紙を開けなければいけないし、開けてはならない。そんな気がしたが、自分の意志で『蕾』の封を開ける。


「なんにも、書いてない……」


「やっぱりな」


 中に入っていた1枚の紙は、どこをどう見ても裏返しても白紙だった。それどころか罫線すら入っていない。便箋というよりは、ただのコピー用紙のようだった。


「封字に『蕾』と書くのは、女性が愛しい人へ思いを伝えるときに使う手法だ。開いたときに花が開くようにと願いを込めてな。斎藤も意味はわかっていたようだが、女性が使うということまではわからなかったみたいだな」


「手法だなんて、ロマンがないわね、宇佐くん」


 片桐があかりの目を見る。深い海のような、冷たいけど暖かいような不思議な目だった。


「それは、片桐からお前へのラブレターだ。斎藤」


「……私へ?」


 あかりが手に持つ白紙をじっと見つめる。真っ白な紙は、どこか寂しげで、何かを言いたそうでもあった。しかし、白紙からは何も読み取れない。あかりの下がった眉を見て、片桐が水音を立てながら少し近づいてきた。


「転校する前に、少しで良いから私の気持ちを伝えておきたくなってしまったの」


 青白く光るプールの蛍光灯が、水に反射して揺れる。誰もいないプールを眺めながら、片桐が話し出す。


「蕾の一文字に気付いてくれたらそれだけで良かった。気付いてくれてもくれなくても、私の所に蕾のまま返ってくるように、宛名に自分の名前を書いたの。中身が白紙なのは、最後の最後で文字を書く勇気がでなかったから」


 ごめんね、という透き通った声が響く。それから、誰も何も言わなかった。


 しばらくして、あかりが、どうして、と小さい声で呟く。スカートを両手で握りしめ、下を向いたまま言葉をつなげた。


「どうして、こんな……言ってくれれば私もちゃんとお返事くらいします……!」


「気持ち悪いでしょう。あまり関わりのない先輩、まして同性にこんな気持ちを向けられているなんてわかったら」


「気持ち悪くなんてないです!」


 あかりが前を向くと同時に大声で叫んだ。隣にいる宇佐は、部室でのように耳はふさぐことはせず、片桐の顔を見ている。


「気持ちには答えられないけど……でも、でも、片桐先輩にしてもらったこと、私は嬉しかったんです。一週間しか部にいないこんな部外者にも、優しくしてくれた。帰り道に食べたアイス、私、きっと一生忘れないです」


 今にも片桐につかみかかりそうな勢いで言い終えると、あかりは、すみません、とまた下を向いた。その様子を見た片桐は目を細める。


「そういうところを、好きになったの」


 あかりが顔を上げると、寂しそうな顔は消え、本当に嬉しそうな、あの時一緒に帰り道でアイスを食べたときのような顔をして片桐が笑っていた。


「ありがとう。元気でね」





 昼休みの東校舎は、本校舎と違って静かだ。いつも通り薄暗い廊下には、人の気配はない。3階のある一部屋を除いては。


「宇佐先輩は、いつ差出人が片桐先輩ってわかったんですか?」


「差出人の文字。前に見たことがある、片桐の筆跡だった」


「じゃあ本当にすぐじゃないですか!」


 すごーい!と大げさに手を叩く音が廊下にもこだまする。宇佐はその音から逃げるようにコーヒーのお代わりをつぎに立った。足元の白うさぎは、我関せずと目を閉じ腹を波立たせる。


 あかりが訪ねてきた日から1週間。静かだけが取り柄の狭い生物部の部室は、やたらと元気なポニーテールが毎日通うようになってただ1つの取柄は消え失せた。


「まあ、片桐の望みはつないでやれなかったがな」


 宇佐が、机に伏せたマグカップを持ち上げる。


 縁というものは、色恋だけには限らない。友人関係、職場の人間関係、人と人に関わるものは全て縁で結ばれている。色恋に限って言えば、今回は、2人の縁は結ばれることはなかった。


「いえ」


 普段とは違う、落ち着いた声が教室に響く。何かを思い出すような、柔らかい声だった。


「ちゃんと気持ちは、受け取りましたから」


 あかりの声に、宇佐はいつものようにコーヒーが入ったガラス瓶を傾ける。


「解決、ありがとうございます」


 こういう時の返答は一択だ。振り返ると、白衣の少年は不敵に微笑む。


「探偵なんでね」





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