第3話 誕生会とハブ

 その後も公園へ行けば、子供たちが駆け回り、ママたちが談笑していた。

 滑り台のそばの百合子さんと昌雄くんは、しゃがみこんで地面を探っている。

 

「あ! あった!」

 

 嬉しそうに、砂の粒子に紛れた、誰かの抜け毛を拾う。

 顔をしかめたママたちは、二人の様子をうかがい、囁き合った。

 変な人だよね。

 気持ち悪い。

 絶対に近づいちゃダメ。

 公園へ来た玲香は、巧と手を繋ぎ、百合子さんたちを眺める。二人のほうもこっちに気づいて、手を振ってきた。

 

「ごきげんよう」

「巧、一緒に遊ぼう」

 

 巧は笑顔で玲香の手をグッと引き、昌雄くんのほうへ駆けようとした。

 いつの間にか、すっかり力が強くなった。息子の急激な成長に、驚きと喜びが湧き上がる。

 周囲の冷たい視線に貫かれ、足が竦むまでは。

 

「ママ?」

 

 手を繋いだまま、巧が振り仰いでくる。

 周りのママたちが、ヒソヒソと囁き合いながら、二人を見つめていた。

 この刺さるような視線、昔と同じだ。

 見下される目。自分の悪口。陰口。

 この世界のどこにも、自分の居場所なんてない。

 玲香は巧の手を引き、百合子さんたちに背を向けた。

 周りのママたちが、安堵の表情を浮かべ、玲香たちに近づいてくる。

 新参者の母子が異端者ではないと知り、安心した。そんな雰囲気だ。


「巧くんのママ、こっちの生活は慣れた?」

 

 玲香は小さく、

 

「……ええ」

「団地ママのグループラインって入ってたっけ?」

「入ってないよ」

「じゃあ入れてあげる。ラインで話してたんだけど、今度ゆかちゃんのお誕生会企画してるの」

「ママ友みんなでお祝いしよう」

 

 キャッキャと笑うママたちの姿が、記憶の中の制服の学生に重なって見えた。

 自分が『巧のママ』じゃなかったら、この人たちは私を友達とみなしたのだろうか?

 背後から、かすかな声が聞こえる。

 

「ママ、巧のママ行っちゃうよ?」

「しかたないじゃない。玲香さんは……」

 

 二人の顔を、今は見たくなかった。




 団地ママのグループラインに入り、ゆかちゃんの誕生会の企画に参加するハメになった。

 なぜか会場は、玲香の家で、と決まった。



 ママたちの手で、自宅は派手に飾りつけられた。テーブルの上には華やかなごちそうが並ぶ。

 椅子に座る、子供たちやママたち。中心に立つ主役のゆかちゃんへ、拍手を浴びせた、

 

「ハッピーバースデー! ゆかちゃんおめでとう」

 

 歓声と拍手が響く中、ゆかとゆかちゃんのママは、嬉しそうにケーキを食べる。

 玲香は心がざわついた。

 ゆかちゃんのママ、見かけからして派手で、自信に満ちた人だ。ボスママの貫禄がある。

 ここが学校なら、スクールカーストの頂点に立っているだろう。

 トラウマが蘇り、額に脂汗が浮く。

 巧が心配そうに玲香を見上げ、

 

「ママ、大丈夫?」


 上機嫌なゆかちゃんのママが、ニコニコと話しかけてきた。

 

「巧くんのママ、ゆかのお誕生日にお宅を借りて悪かったわね」

「いえ」

「団地に住むまでわからなかったけど、この部屋が一番日当たりがいいのよ」

「そうなんですか。大丈夫ですよ」

「今後ともよろしくね」

 

 突然、外で女性の悲鳴が空気を裂いた。

 

「助けて! 助けて!」

 

 何事かと、ママたちは窓を開け、ベランダの下を見た。

 血相を変えた百合子さんと昌雄くんが、筋肉質な丸坊主の男に追われている。

 丸坊主の形相は、クシャクシャに丸めた紙のように歪み、逃げ惑う母子の頭へ、太い腕を伸ばしている。

 そんな状況を理解すると、ママたちは興ざめし、部屋に引っこんだ。

 

「なんだあの人か。ほっときましょう」

 

 玲香はぎょっとした。

 

「あの男の人は誰ですか? なんで昌雄くんたちを……」

「昌雄くんのパパよ」

 

 例の、潔癖症でDVの?

 

「なんで……」

「精神科に入院してるそうだけど、病院を抜け出したんじゃない?」

「前にも一回あったよ。その時は昌雄くんもあの人も入院して生死の境を……」

「ちょっと。巧くんのママに余計なこと言わないで」

「あ。今の話は忘れて」

 

 忘れられるわけないじゃないか。

 

「助けて! 助けて!」

 

 助けを呼ぶ声と、いろんなドアをドンドン叩く音。

 追ってくる夫から逃れようと、百合子さんと昌雄くんが、各部屋のドアを叩いて回っているのだろう。

 そして、どの部屋のドアも開かないのだろう。

 

「助けないと」

 

 玄関へ向かおうとするが。

 不意にゆかちゃんのママが、吐くのを堪えるように口を覆った。

 

「あの人を家に入れるの? あの髪の……。う」

 

 ママたちはしんと静まり返った。

 察する。ゆかちゃんのママは、百合子さんを『すっごく嫌っている人』の一人らしい。

 誰かが不自然な明るさで言った。

 

「ゆかちゃん誕生日プレゼントあげるね。ようちゃんと選んだんだよ」

「ほら、巧くんのママも」

 

 ためらう。記憶の奥底から湧き上がる嫌な思い出に襲われた。

 逆らえばハブられる。

 

「ハッピーバースデートゥーユー」

 

 明るい歌声で部屋が満たされ、ママたちや子供たちの陽気な笑い声が響いた。

 対照的な、百合子さんと昌雄くんの深刻な悲鳴や、ドアを叩く音は、段々と近づいてくる。

 玲香は引き裂かれそうだ。

 

「助けて! 助けて! 助けて!」

 

 昌雄くんが無邪気に遊ぶ姿が、自分と友達になりたいと言ってくれた百合子さんの照れ笑いが、脳裏をよぎる。

 玲香はフラフラと玄関へ向かった。

 

「巧くんのママ?」

「開けちゃダメよ」

「絶対に開けないで」

 

 ママ友の制止も、全部無視して。

 重い体をドアにもたれさせ、ドアノブに手をかける。

 開けたらハブられる。

 ほんの少し残った邪な防衛心が、ドアノブを回すのをためらわせた。

 どうしたらいいの?

 どうすれば……。

 

「ママ」

 

 足元を見ると、巧が見上げていた。

 

「巧……」

「ママ、大丈夫だよ」

 

 巧の小さな手が、玲香の手の甲に触れた。子供らしい柔らかな手のぬくもりが、心を温かく包みこんでくれる。

 

「ごめんね。ママがこんなところ見せちゃって。巧はいいの?」

 

 巧はこくりとうなずく。

 外の悲鳴とドアを叩く音は、もうすぐそこだ。

 

「助けて! 助けて!」

 

 救命の求めをごまかそうと、ママたちは歌声を大きくする。玲香と巧は互いの目を見つめ、共に心の中でうなずき合った。

 とうとう、玲香の部屋のドアが勢いよく叩かれた。

 

「助けてー!」

 

 玲香と巧は一緒にドアを開けた。

 外の日差しが玄関に滑りこむ。

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