Meg

第1話 変わったママさん

 髪の薄いママが、床のホコリの中から、髪の毛を一本一本探り出している。くすんだ茶のニット帽を被った子供と一緒に。

 ママ友たちが静まり返る中、玲香れいかはびっくりしすぎて、切り分けたケーキの皿を落としそうになった。6歳の息子の巧は、椅子から下ろした足をブラブラさせ、玲香をふり仰いでいる。

 ここは陽光が差し込む団地の一室。駆け回り、遊び回る子供だらけで、おもちゃが散らかっている。大人の雰囲気なんて感じてないようだ。

 

「……あの、こっちに来ませんか?」

 

 ようやく、勇気を出して声をかけた。

 今日は巧の誕生日。最近引っ越してきた玲香一家の歓迎会も兼ねて、団地のママ友が集まってくれた。食べ物を持ち寄り、お誕生会を開いていたのだが。

 髪の薄い彼女は、玲香と目を合わせた。色白で、若くもなく、老けこんでもいない。丸い顔に、優しい笑みとも、困り顔ともつかない表情を浮かべ、

 

「すみません。もう少しいいですか」

「ご飯冷めちゃいますよ。それに……」

 

 汚いですよ、とは、なかなか直接は言いにくい。

 

「あ、私、神木かみきです。下の名前は百合子ゆりこ。この子は昌雄まさお

 

 玲香の言い淀みを、名前がわからないせいだと勘違いしたのか。百合子さんはいたって親切に自己紹介をした。

 

「そ、そうですか。さっきからなにしてるんですか?」

 

 名前より、そっちのほうが気になる。

 百合子さんは屈託なく、

 

「髪を集めてるんです」

 

 と、床から拾った長い髪をつまみ、玲香に見せてくれた。

 

「ママ、もう一本あったよ」

 

 ニット帽の子供、昌雄まさおくんも、全く同じ仕草をする。

 なんで? どうして? ここは他人の家ですが?

 いろんなことを言いたいが、どの言葉も、放った瞬間カドが立つのは目に見えている。

 どうすべきか悩んでいると、ママたちが引き攣った笑みで、

 

「巧くんのママって髪きれいだよね。シャンプーなに使ってるの?」

「ね。私なんか超癖毛で毎月ストパーかけてて。旦那に金使いすぎ!って怒られたよ」

 

 話題が変えられる。玲香はすかさず飛び乗った。


「へ、へぇ。旦那さんひどいですね。ストパーくらいいいですよね」

「ていうか敬語じゃなくていいよ。私たち友達なんだし」

 

 髪を拾い続ける百合子さんなんて、最初から存在していないかのように、会話が広がっていく。

 ぼんやり思う。

 確かに百合子さんは変わってるけど、こういう空気、なんか苦手。


『三田さんの髪ってなんか変じゃない? ハブろう』

 

 セットになって、学生時代の嫌な記憶が蘇るから。

 

 

 

 日中、玲香は仕事をしている。巧の通う小学校まで、夫の会社より自分の会社のほうが近いので、送り迎えは玲香が担当していた。

 夕刻になると、小学校の門は、生徒たちの元気一杯の笑い声や泣き声で溢れる。

 息を切らせた玲香は、走って門へ飛びこんだ。残業で遅くなった。巧が心配だ。

 

「巧くんのママ! 息大丈夫?」

 

 同じように我が子を迎えに来ていたママ友に声をかけられ、玲香はうなずいた。

 

「うん。残業で。巧どこにいるかわかる?」

「あ、うん……」

 

 気の毒そうなママ友の視線が、夕日で赤く色づいたグラウンドの、男の子の集団に移った。

 目に敵意を剥き出しにした男の子の集団と、巧が対峙している。

 

「え……?」

 

 巧の背後で頭を抱えた、くすんだニット帽の昌雄くん。しゃがんで昌雄くんを抱きしめている、髪の薄い百合子さん。かたわらには、サッカーボールが落ちていた。

 巧は毅然と、

 

「謝れよ。ボール当たって昌雄くん痛がってただろ」


 男の子たちは憮然と、

 

「そいつと仲いいの?」

「仲良いとか関係ない」

「そいつと仲良くしたら巧もハブるから」

 

 玲香はゾッと恐怖を感じた。ずっと昔の記憶がフラッシュバックする。制服。教室。『ハブろう』という同級生の声。嘲笑いで剥き出しになっていた、矯正ワイヤーのついた歯。

 

「巧!」

 

 トラウマに突き動かされた玲香が駆け寄ると、男の子たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。

 しゃがんでいる百合子さんが顔を上げ、笑みを作った。

 玲香は百合子さんと話そうとする。が、ママ友に二の腕を軽く叩かれ、ヒソヒソと、

 

「昌雄くんのママと関わるのはやめな。変わってるから」

「でも……」

「あなたもつまはじきにされるよ。髪の人って。すっごい嫌ってる人もいるんだから」

 

 それは、確かにそうかも。

 昌雄くんは泣いている。百合子さんは彼の頭をさすり、慰めている。

 かわいそう。けど、なすすべはない。

 巧に「帰ろう」と言おうとした。

 が、巧は自分が思う以上に勇敢だった。 

 泣いている昌雄に一言、


「ごめんな」

 

 自分が恥ずかしくなる。6歳の子供より、人間的に下なのを自覚したら。

 ママ友はため息をつき、さっさと玲香から離れていった。

 人として恥のない生き方をしたい。けれど、強すぎる孤独な気持ちは、自分にそれを許してくれないかもしれない。

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