3-1 憎しみ

「沙夜がに拐われた」


倒れていたヒョウは確かにそう言った。何故、が‥‥?緋翠は信じられず、独り言を呟くように聞き返した。


「どういうこと?ヒョウ‥‥」


緋翠に抱き起こされたヒョウはうつむいたまま、ついさっきまでのことを話し出す。



ヒョウがを見たのは、緋翠が仄暗い者グリームを倒し、走り去った後の事だった。仄暗い者グリームから逃げたかったヒョウは、一刻も早くこの場から離れようと沙夜の手を引いて走ろうとした。

その時‥‥。


二人の周りを雪が舞うような白い光が降り始め、その部分だけが異様な異次元の世界のように揺らめいた。


思わず二人は立ち止まる。辺りでは緋翠たちの騒ぎで駆けつける者が出始めるが、二人は、金縛りに会ったように動く事が出来ない。

そんな取り残されたような二人の目の前に、幻影のように仄暗い者グリームが現れた。


「ヒ‥‥ヒョウ君っ!」


沙夜が息を呑むように声を漏らす。

はっきりと形が現れた仄暗い者グリーム。それが二体、三体‥‥‥と次第に増えていき、やがて沙夜に方向を向けるとヒョウが庇うように立ちはだかる。


「来るな!」


そんなヒョウに仄暗い者グリームは片手で一振りするような仕草でヒョウを払い、吹き飛ばした。


「ヒョウ君‥‥いや、いや!」


強烈なビンタで数メートル飛ばされたヒョウを目にし、自分を取り囲む得体の知れない仄暗い者グリームに沙夜はトラウマのような恐怖を感じ怯える。


「来るな!ここに石は無い!何故、沙夜を狙うんだ!」


地べたに這いつくばりながら叫ぶヒョウ。

‥‥そんな彼はふと思った。


━━‥‥沙夜はを持ってのに‥‥

‥‥だからなのか?


仄暗い者かれらは様々な感情の息を発するように呻き声を上げ、一気に押し寄せる‥‥‥。



その瞬間、何かの衝撃を感じると、ヒョウと沙夜を取り囲んでいた景色が一変した。


━━何も見えなかったし何も見えなかった。一瞬の出来事のように仄暗い者グリーム達は突如消え去り、沙夜は急に射抜かれたように体が弾かれたのだ。


ヒョウが沙夜の方を見ると‥‥宙に浮いた状態で束ねてあった長い黒髪が大きく跳ね、彼女はそのまま崩れ落ちる━━。


━━沙夜は地に落ちたまま体が動く事が出来ない。ヒョウは何が起きたのか解からず必死で目を見開いた‥‥。

すると、気を失っている沙夜のすぐ隣に、誰かが立っているのに気づいた。


「‥お‥お前は‥‥」


その足下から目線を上げると、そこに居たのは葵竜だった。


仄暗い者グリームから沙夜を助けたのか?

それは解らない。

ヒョウは声を振り絞って聞いてみた。


「‥‥何故?」


沙夜を?と尋ねようとすると葵竜は、沙夜を見下ろしたまま、こう言った。


「彗祥の変わりだからだ」


空白の時間に全てのものが気死状態になり、動かなくなった世界。

気が付くと沙夜の姿は消え、ヒョウは緋翠に起こされていた。



目の前のヒョウは頭しか見えず表情は解らなかったが、彼はぼそりと口を開いた。


「‥あいつは沙夜を緋翠の姉さんの代わりだと言った」


「‥‥」


「緋翠、ひょっとしたら沙夜はもう‥‥」


近くにいたのに何も出来なかった事で思い詰めるヒョウに緋翠は困惑した。


━━碧娥は沙夜がこの世界を繋げたと言っていた。

葵竜の夢を見て、あの石スタルオを貰ったから‥‥?

何の繋がりも無い彼女には危険な目に会わせたくなかった。だから、私はそれを貰い受けたけど‥‥を手放さければこうならなかったの?


「でも‥葵竜は一体どこにいるのよ‥‥」


そんな事を呟いても葵竜かれはもう此処には居ない。


考えながら思い詰める緋翠に、ヒョウは突然声を出した。


「俺も捜すよ」


顔を上げたヒョウの顔は、緋翠が見た事もない苦悩の表情。


「今まで、緋翠だけのことかと思っていた。けど‥‥俺には何の力もなかったけど‥‥だから今度は俺が変わる」


ヒョウは憎しみに燃える目で呻いた。


「俺があいつをぶっ殺してやる━━」


「ヒョウ‥‥‥」



そんな彼を見つめる緋翠は暫く考えると、静かに言った。


「心配しなくていい、それは私がすることよ」


「だけど、このままでは沙夜が‥‥」


「大丈夫よ‥‥‥」


緋翠は優しい表情を見せると、ヒョウを抱きしめた。


「変わる必要なんてないわ。私は今のヒョウが好きだから」


「‥‥‥緋翠」


ヒョウは緋翠の胸の中で呆然としたままだった‥‥。


だがその時、何かに気がついた緋翠はヒョウと離れると、ヒョウに何かを渡した。


「これは‥‥」


それは《スタルオ》だった。沙夜が葵竜から渡されたものだったが、今度は緋翠がヒョウに託したのだった。


「これは沙夜に必要なものだった。ヒョウが持っていて」


そう言って遠くに目を向けると、眼の色が変わる。


紫の影が風になびき、そこに光紫が立っていた。



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