第3話 その日

 難しいことは何もない。


 右足を出した後は左足を出す。


 そうすれば1歩進むことが出来る。


 その歩幅は人それぞれでも行きつく先はみんな同じである。


 長く歩く人もいれば短い距離を歩く人もいる。


 はたまた短い距離を全力疾走する人もいれば、長い距離をだらだらと進む人もいるだろう。


 途中で自分の道を切り離す人だっているんだから。


 は人それぞれで、みんな意外と一生懸命だったりする。


 生まれた瞬間始まる道に悪戦苦闘し、時には止まり、そしてまた両足をリズムよく動かす。


 しかし、その道は意地悪なことに僕たち人間には全く見えない。


 そして僕は見えないという事が何よりも苦痛で、そして何よりも痛罵されるべきことであると考える。


 ゴールが見えるのならばペース配分だってなんだってゴールから逆算すれば容易に行える。


 しかし、ゴールが見えないという事は1つのミスが命取りで、1つの妥協も許されなくて、休憩する暇もなくて・・・・・・・・


 ゴールに立ち会った瞬間、永遠と思っていたものに終わりを叩きつけられ、そいつの歩みに終止符を打たれる。


 文句を1つも言わさないために眠らされ、身動き取れないように体を硬直させられ、そして温度を奪う。


 最後には自然に還すというまるで美辞麗句を並べるかの如く、体裁だけ整えた有終の美を飾らされる。


 別に何も成していない人間にも同様に。





 「ただいま」


 「ただいまぁ」


 空が真っ赤に染まる黄昏時。


 真っ赤な太陽が地平線に吸い込まれそうになるその頃。


 春も終わりに差し掛かろうとしているこの季節にしては少し肌寒い。というか寒い。


 そんな中、玄関扉を開け、帰りを宣言した。


 僕の声はどうやら家の者に届いたようで。


 「おかえりぃ、お兄ちゃん」


 人工甘味料のようにわざとらしい甘い声が聞こえたのと同時に、とてとてとリノリウムの床を軽快に踏み鳴らす音が聞こえた。


 家の中には何か出汁的なにおいが充満し、そこに見出されるのは誰もが望む幸せなんじゃないかと思う。


 「今日のご飯はなに?」


 僕は革靴を脱ぎながら玄関まで迎えに来てくれた殊勝な我が妹に話を振る。


 「今日はねぇ・・・・・・内緒!」


 ヒナは腰に手を当て、人差し指をビシッと立てながら自慢げにそう告げた。


 なんてあざといんだ。


 ほんと可愛くねぇな・・・・・・でも好き!


 そんな感情をひた隠すべく努めて冷静に「また内緒かよ」と普段通り返す。


 だが、そんな僕をヒナはどう捉えたのか、ヒナの眉間に少し皺が寄り、訝しむ視線を向けられる。


 「お兄ちゃん、なんかあったの?」


 心配そうに見つめるヒナの瞳には、僕を逃すまいと鋭く光っているようだった。


 「毎日何かあるというのは慢心だ。人間、何もない日だって時にはある。もし、毎日何かあることがリア充なのだとするならば僕は早急に諦めることを助言する。まぁ、お兄ちゃんがリア充相手に何か言えるわけではないんだけどな」


 ハハッと渇いた笑い声で一息つく。


 そんな姿を惨めに思ったのかヒナの肩はわなわなと震え、その震えを抑えるかのようにヒナは両手で自身の身を抱いた。

 

 「お、お兄ちゃんがリア充さんに助言する・・・・・・・・や、やっぱり学校で何かあったんだ。言いなよお兄ちゃん。言えば楽になるよ」


 「言えば楽になる・・・・か。それはどちらが楽になるんだろうね。言った方?聞いた側?」


 「言った方だと思うけど」


 「違うね。溢れ出る好奇心を抑えるために自分に善行であると言い聞かし、それを盾に事情の説明を促す。そんなことを言われたらどんなことでも言うしかなくなる。それが大勢ならその空気はもっと強まり、どんなに言いたくないことでも言わざるを得なくなり逃げ道がなくなるんだ。そんな偽善を振りまいた後は聞いた話を四方八方に振りまくんだから人間ってのは恐ろしいもんだよね」


 僕はそう言い残し、リビングへと足を運んだ。


 「待ってお兄ちゃん!」


 甲高い声が僕の歩みを止める。


 僕の手にはもうリビングの扉がかかっていた。


 「なに?」


 「お兄ちゃんの身に何があったのかは知らないし、言いたくないのなら言わなくていい。でもね・・・・・・・」


 嗚咽交じりのその声にはどこか必死さがあった。


 手が届かない物に必死に手を伸ばすようなそんな一生懸命さを感じられた。


 ヒナは目に浮かぶ雫を拭い取り、強い瞳で僕に釘を打った。


 「何があっても死んだら駄目だかんね!これはヒナとのや・く・そ・く!」


 最後はおとくいのあざといポーズで僕に約束を取り付ける。


 甘くてどこか切ないヒナの本当の声に僕は体を震わした。


 あぁ、ほんと可愛くねぇな。


 僕はリビングへの扉を開いた。


 どうやら僕はまたしてもヒナの優しさに甘えてしまったみたいだ。




 自分の部屋へはリビングを経由しなければならない。


 生活感あふれると言ったらとてもいい風に聞こえるが、実際は物が所狭しと散乱しているだけであった。


 僕はそんなリビングを横目に自分の部屋へと向かう。


 階段を1歩1歩確実に上り、踏み違えることなく2階へとたどり着いた。


 会話も空気もよく踏み違えるのに階段だけは踏み違わないんだなぁ、これが。


 ハハッと自嘲染みた渇いた笑い声をあげ、僕は自分の部屋へと入った。



 

 何の変哲もない普遍的な部屋。


 ベットがあって、勉強机があって、ある程度のことには困らない。


 もし困ることがあるとするならば、美幼女と密室で2人きりになるという事だけだろう。


 「ヒナちゃんにあんなことゆっちゃ『めっ!』だよ!」


 僕は部屋の中を浮遊する死神様にお叱りを受けていた。


 口元をぷくっと膨らまし、腰に手を当て、人差し指を突き立てるその仕草は表情こそ違えど先ほどのヒナと似通ったところがあるものの、何故だろう、ユナの圧倒的勝利だと感じてしまうのは。


 身内びいきは過去最大にしているのだが、それでも叶わないこの庇護欲とあふれ出る母性は一体全体何なのだろうか。


 あぁ、これが未成熟から醸し出される少し酸味のある本物の甘味なんだなぁ。


 妹(中3)は熟しすぎだ。


 閑話休題。


 ヒナに対しての言動については今まさに後悔している。


 八つ当たりもいいところだと理解もしていた。


 家族だからと自分自身に言い聞かし、自身の感情を包み隠さず爆発させ、些細なことに牙をむいた。


 屁理屈とどうしようもない卑屈さを織り交ぜた棘のある言葉の矢面に立っていたヒナの気持ちなんて手に取るようにわかるのに。


 他人の思考や好き嫌い、空気を読むことは僕の十八番と言っても過言ではないし、それらは毎日の人間観察という方法で常に研鑽を重ねている。


 それなのに僕は他人という垣根を超えた家族という立ち位置に甘え、妹の優しさに甘えてしまった。


 どんなに強く当たっても誰も肩代わりしてくれないことは分かっていても時々不安にはなる。


 「ヒナには見えてないんだよな?お前のこと」


 僕は目の前で浮く死神様に言う。


 努めて冷静に、そして端的に。


 そんな僕の疑問に死神様は笑顔で答えた。


 「ユナはユウにしか見えないよ。ユウだけのものぉ」


 言葉だけを拾ってしまえば、美幼女に極上のご褒美を頂いたような気がするが、しかしそれは彼女にとっての標的は僕だけだと、端的に言ってしまえば今まさに、再度「死ぬのはお前だけだ」と宣告されたのと同義である。


 それならいっそいつも通り「早く死んで」と言われる方がよかった。


 ・・・・・・・・僕はいつからあんな言葉に快感を得始めたんだろう。


 「ねぇ・・・・・・・」


 最初から・・・・・・だった気がする。


 「・・・・・・ぶ?」


 ていうか、ユナとの出会いは確か・・・・・・


 「今日は眠っちゃやだぁぁぁぁぁぁ」


 そんな悲痛な言葉の残響の中、僕の瞼はゆっくりと閉じられた。


 


 


 


 



 





 


 


 

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