除幕:アスモダイオスの身勝手な独白

 俺はセーラが好きだ。

 だが、俺は悪魔だ。悪魔である俺が、人間であるセーラと結ばれることなど決してない。

 だが、それでも俺はセーラが好きだ。

 だから。だから俺は、セーラに手を出そうとする男たちを殺した。俺は奴らが許せなかった。俺は奴らがセーラに触れることが我慢ならなかった。

 だから、俺は奴らを殺した。


 俺は色欲の悪魔だ。

 そんな俺が、見目麗しいセーラに目を引かれたのは当然と言えるだろう。

 大きく可愛らしい目、柔らかく美しい肌、すらりとした綺麗な体躯。セーラの容姿はどれをとっても魅力的で、人の愛欲をかき立てるものだった。

 俺のセーラの第一印象は、最高に魅力的な素材だった。俺はこの逸材をどうしてやろうかと、胸を躍らせ、近づき、眺めた。

 俺とセーラの出会いは、なんのドラマもない、そんな日常のワンシーンの一つでしかなかったのだ。

 俺は運よく見つけた最高の道具であるセーラを、どのように使うのが一番よいかとじっくり考えながら、その性能を見極めるために日夜観察した。そしていつしか、俺はセーラに、恋をしていた……。


 特に劇的なきっかけがあったわけではない。叙情詩じょじょうし戯曲ぎきょくになるような、そんな面白おかしい事件など一つとしてありはしなかった。

 ただ、何気ない日々の中で、俺は気づけばセーラの美しさに心奪われてしまっていたのだ。見た目の美しさにではない。その、魂の。その、在り方の美しさに、俺は見・魅入ってしまったのだ。


 だから俺は、許せなかった。

 セーラに手を出そうとする男たちが、その色欲に塗れた汚い手が、セーラに触れることが許せなかった。

 セーラの魂の美しさを知りもせず、本当の美しさなど見ようともせず、ただその上っ面の美しさだけに欲望を向け、汚い手を伸ばし群がってくる男たちの全てが許せなかった。

 だから俺は、奴らを殺してやったのだ。この手で、その首を絞め、その汚れた魂を地獄へと導いてやったのだ。


 もちろん、わかっていた。

 俺は色欲の悪魔だ。だから古今東西、多くの恋・愛Loveを見てきた。

 Loveのきっかけなど、些末なものだ。多くの社会で人間は、よく知りもしない者と結婚し、家庭を築き、その中でLoveを見つけていく。きっかけは縁談でも成り行きでも不本意であっても、その先でLoveが育まれることは決して珍しいことではない。ありふれたことだ。

 見た目の美しさに魅かれた者が、ただ肉体を求めただけの者が、その先でLoveに至ることだって珍しくはない。色欲から始まるLoveもある。そんなもの、ありふれている。

 それどころか、強姦から芽生えたLoveだって俺はいくつも見てきた。耐え難い事実から心を守るための、すっぱい葡萄のようなLoveだ。反吐が出る。

 だが、所詮Loveなどそんなものだ。所詮Loveなど幻想だ。所詮Loveなどカゴの中のつがいが抱く欲望に過ぎないのだ。

 軍隊で、牢獄で、女学院で、永遠のLoveを誓い合った男同士、女同士が、そこを去りいとも容易たやすく異性へと乗りかえる様を俺は何度も見てきた。

 奴らは真に同性へLoveを向ける人間ではなかったのだ。そんな奴らでさえ、同性しかいない場所では、時に己を歪めて同性にLoveを求める。

 なぜならヒトは本能で、さびしさで、弱さでLoveを作り出すからだ。

 Loveなど所詮はそんなものだ。


 それなのに、神の教えなどという見栄みばえだけの幻想を信仰し、己を騙し世界を虚飾で飾りたて、崇高なLoveにすがり苦しむ人間共のなんと滑稽で愚かなことか!

 だから俺は、囁いてやっていたのだ。人間が獣本来の魂を取り戻せるよう、導いてやっていたのだ。色欲を、愛欲を、情欲を、お前たちの本当はそこにあるぞと教えてやっていたのだ。それが俺、色欲の悪魔、アスモダイオスだった。


 だが、そんな汚い世界にいながら、セーラはとても美しく見えた。

 それはいつか、どこかで見た、泥沼に咲く白い花のようだった。泥を浴びても泥に染まることはなく、白く美しいまま咲き続けていたあの花のようだった。

 きっと、だから俺は、そんな美しいセーラを好きになった。セーラを思う時、俺は狂ってしまいそうな苦しみに全身をさいなまれた。

 それでも俺は、セーラが好きだった。いや、好きなのだ。


 だが、俺は悪魔だ。そんな俺を、人間であるセーラが愛してくれるはずがない。それに、そんなことは絶対にあってはならないことだ。

 人間に汚さを取り戻させるべく存在する俺は、美しいセーラにとって、憎むべき色欲の悪魔であり続けなくてはならない。

 だから、美しいセーラと結ばれるわけにはいかない。美しいセーラに愛されてはいけない。美しいセーラに認められてはいけない。

 そして、そんな俺には、俺にはセーラを幸せにすることなどできなかった。

 どんなに好きでも、こんなに好きでも、俺にはセーラを幸せにする資格がそもそもなかったのだ。


 でも。いや、だからこそ、俺は我慢ならなかった。

 セーラの本当の美しさを知りもせず、見ようともせず、汚い手でセーラの体に触れようとする男たちの全てが許せなかった。

 セーラには、幸せになって欲しかった。セーラには、セーラの本当の美しさごと愛してくれる男と結ばれて欲しかった。だから、俺は奴らを殺した。

 この手で、一人残らず、首を絞めて息の根を止めてやったのだ。


 しかし、セーラはその所為で苦しんでいた。さびしい思いをさせてしまった。悲しい思いをさせてしまった。つらい思いをさせてしまった。苦しい思いをさせてしまった。

 俺はセーラを苦しめ、傷つけ、害している。俺はセーラの幸せの邪魔でしかない。

 それは俺にもわかっていた。それでも、悪魔である俺には、そんな風にしかセーラを愛することができなかった。そんな風にしか、セーラの幸せを願うことができなかった。

 俺はどこまでも身勝手な、身勝手な恋をした、悪魔だ……。



 だが、ついに、ついに現れたのだ。

 セーラの本当の美しさに気づき、セーラのその本当の美しさを愛してくれる、セーラにふさわしい男が。

 何より、セーラがその男を愛していた。セーラが初めて男を選んだのだ。その本当の心で。だから俺は、この身勝手な恋を終わらせることにしたのだ。


――我が名はジューン・トビア・ラファエル!――

 そう名乗った男は、その強さも申し分なかった。

 俺が姿を現すと同時に繰り出す一撃をよけられた男は、かつて一人もいなかった。だが、その男だけは違った。

 まるで風のような身のこなしも剣の腕前も、実に見事であった。俺に首を絞められても、的確な反撃で即座に切り返す対応力もあった。

 元より腹は決まっていたが、この男にならセーラを任せても大丈夫だろうと安心できた。


――ジューン様!――

 セーラが男を心配する声にも、愛情が感じられた。

 ただのさびしさでも、結婚への憧れでも、義務感でもなく、心の底から愛する者にセーラが出会えたことが、俺は嬉しかった。


――大丈夫、セーラさん。僕は死なない。貴方をこれ以上、不幸にはさせない!――

 男はそう言った。俺はその言葉を、確かに聞いた。

 そして、次の一撃で終わりにしようと、そう決めた。


 ああ、セーラ。セーラ……。

 俺は溢れる好きを抑えて、最後にセーラの顔を一目見たいという衝動を抑えて、真っ直ぐに目の前の男を睨んだ。

 俺と目が合ったセーラの顔は、いつだって恐怖に染まっていた。だから、だから、もう見ない。もう見ないと、何度も決めたんだ。今日こそは、今日こそは見ない。最後だから。最後くらいは……。


――はぁーあっ!――

 男の剣が、俺の体を切った。

 猛烈な痛みを胸に、俺は倒れた。

 だが、俺にはまだやることがあった。

 俺は男を見上げ、口を開いた。


「……言ったな。しかと聞いたぞ。貴方をこれ以上、不幸にはさせない。その言葉、確かに聞いたぞ。できるものなら、やってみるが……よい。……その覚悟。覚悟がっ。ある……の……なら、ばっ……」

「!?」


 頼んだぞ。セーラが選んだ男よ……。いや、ジューンよ……。

 ああ、セーラ。セーラ。どうか、どうか幸せに。

 セーラ。セーラ。どうか幸せに。

 ああ、セーラ。幸せ……に……。

 セー……ラ……。

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