終幕~めでたしめでたしのはじまりはじまり~

 ジューン様はアスモダイオスを退治してすぐ、その亡骸を遠い地で処分するため町をたれた。

 私が安心できるよう、処分を終えたら必ず報告に戻るとおっしゃってくれたけれど、何の便りもないまま、ただただ日々ばかりが過ぎて行った。

 心配はあまりなかった。ジューン様ほどの方だ。余程のことがない限り大丈夫だろうと頭では思っていたから。それでも、病気や事故や、酷く卑怯な人や悪魔の手によって何かあったんじゃないかと思うと、心配になる日もあった。

 三週間が過ぎた頃には、全て私の空想だったんじゃないかと思うことも増えた。それでも、家族や友達とジューン様のお話をするたびに、私は彼の存在の証明を得て、安心すると同時に胸がきゅっと苦しくなった。

 悪魔アスモダイオスがいなくなって、やっと私は苦しみから解放されたはずなのに、私の心には大きな傷がぽっかりあいたみたいな苦しさが残った。

「会いたいよ、ジューン様……」

 さっそく舞い込む無数の縁談を、今は気持ちの整理がつかないからと全て後回しにする日々の中で、私は自分の気持ちを痛いほど自覚した。

 私はジューン様のことが好きだ。

 叶わない恋だなんてわかってる。ジューン様ほどの勇士様が、私を好きになってくださるはずがない。でも、もう一度だけ、もう一度だけお会いして、私に諦めるチャンスをください。そう、願わずにはいられなかった。

 助けていただいたから、その喜びと感謝を好きと勘違いしているだけだ。何度も自分にそう言い聞かせた。あんな少ししか一緒にいなかったのに、好きだなんておかしい。何度も自分をそうたしなめた。

 でも。でも……。


――取りこぼした命は、見捨ててしまった命は、一つや二つではありせんが……――

 そう言って悔しさに拳を握る、優しくて真っ直ぐな貴方が好きだ。


――アスモダイオスは今晩、僕が必ず倒します。もちろん、僕も死にません。二人で、笑顔で朝を迎えましょう――

 そう言って力強く笑う、勇敢で真っ直ぐな貴方が好きだ。


――美味しいです。美味しい……――

 そう言って夢中で料理を食べてくれた、微笑ましいくらい真っ直ぐな貴方が好きだ。


――で、では……、脱が……しますよ……?――

 そう言って緊張に戸惑う、可笑しいくらい真っ直ぐな貴方が好きだ。


 ジューン様と過ごした時間は、ほんのわずかな時間だったけれど、それでも、それでも、こんなに好きだ。

 次から次へとジューン様の記憶が思い出されて、溢れて溢れて、つらいほどに好きだ。

 まるで砂漠に雨が降ったみたいだ。カラカラに固くなった大地に降りそそいで、洪水を引き起こす激しい雨みたいだ。渇いた私の心に、やっと雨が降ったのに、好きに溺れて苦しい。苦しくて、苦しくて……。

「ジューン様……」


     *


 アスモデウスから解放されて、早くも一月ひとつきが過ぎた。

 ある日の夜。私はいつものように寝室を抜け出して、家の外に出た。

 今は両親と暮らしている。お父様とお母様と一緒に暮らせるのは嬉しいけれど、それで、さびしさのうずきはまぎらせられない。

「はぁ……」

 満点の星空の下、洪水を抱える私の頬を、涙が一滴溢れて滑る。枯れるまで流したって、心は乾かない。私はそれを、嫌というほど知っている。

「セーラさん?」

「!?」

 私は目を見開いて、振り返る。

「!? セーラさん? どうしたんですか!?」

 うそ。信じられない……。

 ジューン様のお姿が。ジューン様の声が。うそ……。

 ジューン様……。ジューン様!

「……たかった」

「え?」

「会いたかったです。ジューン様……」

「……」

 雨に降られた枯れ川ワジのように激しく泣き出してしまった私を見つめて、ジューン様が戸惑っている。

 だめ。だめだ。こんなのだめ。よくないと思うのに、涙が止まらない。

「ごめんなさい。ごめんなさい。でも、止まらなくて……。ごめんなさい。ごめんなさい」

 謝り続ける私に、ジューン様は何も言わない。

 ああ、どうしよう。どうしよう。涙で視界がぐちゃぐちゃになった私は、何もかもがぐちゃぐちゃになった私は、汚い私の嗚咽おえつの中で、不意にジューン様の声を聞いた。

「今、会いたかったと……、そう言ってくれましたか?」

「え?」

「僕に会いたかったと、セーラさんは今、そう言ってくれましたか?」

「……はい」

 そんなこと言われても、困るに違いない。ごめんなさい。私はなんとかそう言おうと、涙の中をもがく。もがく。そうしたら。

「僕もです」

「……」

 私は耳を疑った。でも、ジューン様の声はもう一度、同じ言葉を繰り返した。

「僕もです。僕も、セーラさんに会いたかった」

「……うそ」

「嘘じゃない。本当です。セーラさん。僕は貴方が好きです」

「……そんな。なんで」

「セーラさんは綺麗な人だ。あっ。えっと、それは、見た目の話ではなくて。いやっ、見た目も綺麗ですが、そうではなくて……。ああ、違うっ!」

「……」

「あの、この一月、考えたんです。セーラさんに会えなくて、でも会いたくて、好きだって。ほんの数日しか会っていないのに、そんなものは本当の愛ではないと思ったのですけれど。思ったのですけれど……。それでも、気づけばセーラさんのことばかり考えてしまって。その、会ったこともない、僕の話に出てくる人の不幸や幸せに涙するセーラさんの目とか。自分が一番つらいはずなのに、ご両親や祭司様や、悪魔に殺されてしまった方たちや、周りの人のことを思いやるセーラさんのつらそうな顔とか。セーラさんの顔が、その、離れなくて……」

「……私の……顔が……好きなんですか?」

「……あっ、いや、違っ! そうじゃなくて! 違うんです! いや、もちろん顔も好きですが。そうではなくて、あの……」

「……ふっ、ふふっ」

「……」

「ごめんなさい。なんか、可笑おかしくて」

「いや……、それは」

「わかってます。だから、言わないでください。それを言われたらまた私、今度は恥ずかしくて何も言えなくなっちゃうから」

「……」

 私がお願いした通り、何も言わずに口をキュッと結ぶジューン様のお顔を見て、私はまた笑ってしまう。そしたらジューン様の顔が、居心地が悪そうな、恥ずかしそうな顔になる。それが余計に可笑しくって、愛おしくて……。

「私もです。私もなんです、ジューン様。ほんの短い間だったけれど。だから、そんなの愛じゃないだなんて思ったりもしたけれど。それでもやっぱり私、ジューン様のことが好きなんです。優しいところ、勇敢なところ、微笑ましいところ、可笑しいところ。真っ直ぐなジューン様が、私も好きです。ずっと、会いたかった。だから、だから……、ジューン様のお気持ちが……」

 涙が溢れてきた。言わなくちゃ。ううん、言いたい。言いたいのに、溢れる思いに阻まれて、言葉が詰まって出てこない。

「……セーラさん。僕と、結婚してください」

「……! はい。喜んで」


 ――めでたしめでたし。おしまい。

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