第3幕「春の訪れない年はなく、雲の訪れない空はなく」

「すいませーん!」

 微かなノックの音に続いて、壁に遮られた声が聞こえてきた。

「はーい! ちょっとお待ちくださーい!」

 私は声を張りあげて返事をすると、戸口へと向かった。仕立ての依頼だろうか? 基本的に対面では受け付けていないのだけれど……。

「お待たせしました」

 そう言って扉を開けると、外にはとても美しい青年が立っていた。

「……貴方が、セーラさん、ですか?」

「はい、私がセーラです。仕立てのご依頼でしょうか?」

「いえ、残念ながら僕はお客ではありません」

「? では、どのようなご用でしょう……?」

 青年は顔立ちこそとても美しかったけれど、体は男性らしくがっしりとしていて、腰には立派な剣をたずさえていた。身にまとっているのも、軽装ではあるけれど、丈夫な皮の鎧に見える。

 いったいこんな武装をした人が何の用だろう? 私は急に怖くなった。

「僕はジューン・トビア・ラファエルと言います。各地を巡って見聞を広げる旅をしている騎士です」

「ジューン……トビア……ラファエル……」

 それは、聞いたことのある名前だった。でもそれは、まさかと思うような有名な人の名前で。

「はい。人は僕のことを、放浪の勇士ジューンと呼びます。聞いたことはないでしょうか?」

「……あり、ます」

 放浪の勇士ジューンと言えば、この辺りでも度々話題になる勇者様だ。なんでも、遠い東の島で暴れ回っていた、風のような速さで跳び回る手足が一本の魔物を追い払い、大地の恵みを取り戻したとか。東の大河と雨雲をき止めていた、巨大な毒蛇を退治したとか。遥か遠い大陸で、人の心まで凍てつかせていた氷雪の魔女を打ち倒し、国中に豊かさを取り戻したとか。その勇猛な噂はよく聞いている。

「よかった。それなら話が早い。率直に言います。セーラさん。貴方にいていると言う悪魔、アスモダイオスを僕に退治させてくれませんか?」

「えっ?」

「セーラさん。僕と結婚してください」


     *


「それで、どうしたの?」

 セシリアとカトリーナが興味津々という顔で私を見ている。

「どうって……」

 あの後、ジューン様は少し焦った素振りを見せたかと思うと、声を潜めて、本当に結婚するのではなくふりだけしてアスモダイオスをおびき寄せたいのだと言った。恐らく、アスモダイオスは常に私に憑いているという話を聞いていて、悪魔にふりであるとバレないようにそうしたのだろうと思う。

 そんなことをしてもアスモダイオスには筒抜けだろうし、私に手を出そうとする男性がいれば、理由なんて関係なくアスモダイオスは姿を現すはずだから、意味はないのだけれど……。

「いいなぁ~。ジューン様と結婚なんて、羨ましい」

「あっ、あくまでふりだけだよ?」

「でも、悪魔を倒した勢いで、そのままワンナイト……なんて展開もあるんじゃないの? 英雄は色を好む、って言うじゃない」

「そうよ~。一回りも年下の美少年と、一夜の夢……なんてロマンチックじゃない? お芝居みたい」

「ちょっと二人とも! 変なこと言わないでよ!」

 はしたないことを言うカトリーナとセシリアを、私は戸惑いながらもたしなめる。

 そんなこと、あるわけない! 結婚もしてない男の人と、そんなこと……。

「ごめんごめん、赤ちゃんのセーラにはまだ早かったわね。こういう話は。まあでも、よかったじゃない。これで流石に悪魔も退治されるでしょ」

「そうよ。これでやっとセーラも結婚できるじゃない」

「……どうかな」

 ジューン様のお噂は聞いているけれど、今まで散々駄目だった経験を積み重ねて来た私は、とても楽観視なんかできなかった。

 もし、私の所為でみんなの英雄であるジューン様が死んでしまったらと思うと、とても怖かった。

 だから、ジューン様の申し出を受けるかどうか、私はまだ迷っている。

「あのジューン様よ? こぉーーーーーーんなおっきい蛇だって退治しちゃったって言うんだから、悪魔くらい余裕に決まってるじゃない」

「そうよ。こんなチャンス逃したら、もう二度とないよ?」

「……うん」

 でも、噂は噂だ。噂は大抵、尾やら羽やらが付くものだし、ジューン様は本当にそんなにすごい勇者様なのだろうか?

 もし、噂が本当だったとして、そんなにすごい勇者様が私なんかの所に来てくださるだろうか?

 以前にも、悪魔ばらいをしてくださると言われて、聖職者や勇士を名乗る男の人に襲われかけたことがある。それは、一度や二度じゃない。何度も、何度も……。

 その時もアスモダイオスは現れて、彼らを殺してしまったから、私は何事もなかったけれど……。

 私の所為で人が死ぬのを、私はもう見たくない。

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