第24話 絶叫

 百年前――王国暦二百年「百花」七月



 フォン・グローバー家は混乱のさなかにあった。

 七月二十日早朝に、当主ルドルフが自室で亡くなっているのが発見された。心臓発作だという。二十二歳の若さだった。

 その翌朝、ルドルフの姉「全能の魔女」ゾルマも、フォン・グローバー邸から忽然と姿を消したのである。

 ゾルマの部屋にはたった一言書き置きが残されていた。



 皆様どうかお元気で。私はルドルフのもとへ参ります。



 後に残されたゾルマとルドルフの弟、オットー・フォン・グローバーは、兄の葬儀を延期してまで騎士団総出でゾルマの捜索に当たらせた。優しく姉弟思いのオットーは姉を心配していたし、自分よりも姉こそがルドルフの跡を継ぐにふさわしいと考えてもいたのである。

 だが、エンペリア中を探しても、市境を超えた村や山野を探しても、どこにもゾルマの姿は見当たらなかった。

 ひと月が経った頃、オットーはゾルマの捜索を断念し、兄の葬儀をすませて望まぬ当主の座を得た。

 ルドルフの死とゾルマの失踪で、様々なことがうやむやになった。

 かねてからルドルフが企てていたエンペリア城制圧作戦も、世界征服の野望も。

 そして――あるひとりの騎士団員が、ゾルマの捜索中に行方をくらましたことも。


***


《この先危険 立入禁止》

 フォン・グローバー騎士団員エーミール・レントナーは、この日ひとりでエンペリアの北の外れにある森へと入っていった。入口に立っていた警告の看板も、通行止めの柵も思いきり蹴っ飛ばして。

 まばらに剃り残した無精髭、無造作に伸びたぼさぼさの髪。群青色の制服は着崩されてはいるものの、精鋭であることを示す白薔薇の紋章つきである。

 このエーミールという男は騎士団員の中でも特異な立場にあった。女好きで金遣いが荒く、勤務態度も不良なので他の団員たちからは煙たがられていたが、剣の腕が群を抜いているうえに、危機を察知する勘がいい。彼はルドルフの命を狙う刺客を何度となく撃退し、主君の命を守ってきた。

 そんな人物だから、四十を過ぎても小隊の一つさえ任されないが、かといって胸の白薔薇を剥奪されることもなく、日頃はフォン・グローバー家の人々の護衛や、屋敷の門番を担当していた。

 だが今日の任務は、行方不明のゾルマ嬢の捜索である。

 エーミールは不真面目な騎士だが、この日ばかりは誠実に任に当たっていた。彼はゾルマやルドルフが赤ん坊だったころから今日まで護衛に当たっている。ずっと独り身のエーミールにとっては娘や息子同然の存在だった。ルドルフが急逝したことは、彼にとっても大きな悲しみだったのである。

(せめてお嬢には無事でいてほしい。早まったことをしてなきゃいいが……)

 どことなく薄気味の悪い森だった。ここ数日晴れ間が続いているのに、林床が湿っている。青々と茂った樹木が日光を遮っているためだろう。

 エーミールが捜索先としてこの森を選んだのは、心当たりがあったからだった。

 ――ねえエーミール、マンドラゴラの絶叫を聞いたら、本当に死んでしまうのかしら?

 十日ほど前のことだったか。ゾルマはわざわざ部屋の前で見張りをしていたエーミールを呼びつけて、質問してきたのである。どうやら植物図鑑を読んでいるらしかった。

 ――そうらしいですな。十年くらい前に、北の森に自生しているマンドラゴラを興味本位で引っこ抜いた若者たちがみんなひっくり返って死んじまったって事件がありましたよ。結構な騒ぎになりましたが、ご記憶にないですか? いまじゃ、あの森ごと立入禁止になってますよ。

 ――そう……そんなこともあったような気がするわね。

 そのときは深く気に留めなかった雑談が、いまになって不吉に思い出されてくる。

 道中に井戸があった。十年前の事件が起きるまでは、この森は薪炭の原料木を採集するために、それなりに人が訪れていた。井戸にはいまでも清水が湧いているが、打ち捨てられたままである。

 ひとまずここで休憩しようとしたとき、エーミールは井戸の釣瓶に水が残っていることに気づいた。つい最近、誰かがこの森に入ってここで水を汲んだに違いない。

「おーい、誰かいるのか?」

 呼びかけに応える人の声はなかった。が、そのときエーミールの耳は異変を捉えた。

 耳の奥をひっかくような、奇妙な高音。出所は森のさらに奥だ。歩を進めると、その音はより強く、より不快に響く。まるでこっちへ来るなと言っているかのように。

 エーミールは全身に鳥肌を立てながらも、その音に抗い進む。近づくにつれて、全身から力が奪われていく。その先によく見知った後ろ姿があると気づいたときにはもう、歩くことさえ難しくなっていた。

 そこには、紫の花を引き抜こうとしているゾルマがいたのである。

 間違いない。この音は、マンドラゴラが嫌がっている声だ。

「お嬢、だめだ! そいつを抜いちゃいけない!」

 這いつくばりながら精一杯声を上げる。ゾルマがこちらへ振り向こうとする。そのとき、マンドラゴラがずるっと抜けた。

 エーミールは我を忘れて、ゾルマへ飛びかかった。その両手は己の耳よりも、ゾルマの耳を塞ぐために使った。

(これまで身体を張って守ってきたお嬢だ。命に替えても死なせてたまるか!)

 その絶叫を表す文字は、この世界に存在しない。聞いた者はすべて絶命するからだ。

 頭が爆発しそうになり、胸の奥に激痛が走る。エーミールもまた、ゾルマを守るために命を捧げた。




 ……はずだったのだが。




「やあ! 私を引っこ抜いたのは君かい? おやおや、こっちの彼は心臓が止まっているじゃないか。ハッハッハ、でも心配無用! 私のエキスを飲みたまえ!」


 半開きの口にぼたぼたと汁が滴下される。エーミールはひどくむせて飛び起きた。

(……あれ? いま俺、死んでなかったか?)

 口の中に甘酸っぱい味が広がっている。状況を把握する前に、平手打ちが飛んできた。頬が焼けるように痛い。生きている証だ。

「エーミールのばか! どうして私を死なせてくれなかったの!」

 命がけで守ったのに「ばか」はあんまりだ。しかしゾルマは反論する間を与えてくれず、エーミールに抱きついてきた。

「ルドルフだけじゃなく、あなたまで死なせるところだったじゃない……」

 胸元で泣きじゃくるお嬢様が、ぽろりと衝撃の真実を漏らす。

(俺、もしかしていまどえらい事を聞いちまったんじゃねえか……?)

 エーミールはぼさぼさの頭をさらにかき回す。

 行方不明になっていたゾルマを見つけた。

 ゾルマはマンドラゴラの絶叫を聞いて死のうとしていた。

 エーミールは代わりに死んだ――と思ったら、生き返った?

 それと――ルドルフはゾルマが死なせた?

 いろいろなことがいっぺんに起きすぎて、まだ頭が追いつかない。

「ハッハッハ、ふたりとも無事そうで何よりだ!」

 すぐ傍で引っこ抜いたマンドラゴラが喋っているのに気づくのは、もう少し経ってからのことである。

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