第14話 幽暗

 夕方、エーミールがまた馬車に乗ってやってきた。

 今日は保存食品だけでなく、生の牛肉もある。彼がもたらす食材もさることながら、一番アレックスを喜ばせたのは両親が無事だという報せだ。エーミールは城仕えの召使たちにも顔が利くらしく、それとなく現状を探ってきてくれたのである。

「王の処刑からしばらくは元気がなかったみたいだが、最近は持ち直してきているみたいだ。噂じゃ宰相はお父上を仲間に引き入れたいようだし、今後も厳しい処分が下ることはないと思う」

 よかった、とアレックスは安堵の息を漏らす。

「それにしてもエーミール、今日は到着が遅かったですわね。宿がお決まりでないなら、ここに泊まっていったほうがいいんじゃありませんこと?」

 レーダが提案する。

「それもそうだな。かまいませんかね、ゾルマ様?」

「フン、台所の床にでも転がって寝な」

 一応主人からの許可は得られたようだ。

「上等ですよ。ジーク、晩メシ作りなら手伝うぜ」

「ハッハッハ、そいつは助かるよ。今日はごちそうだな!」

 ジークの頭上で、紫色の花がぱっと開いた。


***


 日が落ちて、常灰の森に幽暗のときが訪れていた。

 お腹いっぱい食べた後、レーダは隙を見てエーミールに耳打ちをした。ジークはせっせと食器を片付けており、アレックスはソファでうとうとしはじめている。ゾルマは当然、赤い扉の部屋の中だ。

「あなたにお願いがあるの。ここでは話しにくいから、外でお話を聞いてくださらない?」

「おう、いいぜ」

 エーミールは軽い気持ちで外へ出た。女の子が仕入担当のしもべ仲間に頼む事なんて、だいたい見当がつくと思っていたのだ。

 しかしレーダが言い出したのは、思いも寄らぬ一言だった。

「エーミール、わたくしたちと取引をしません?」

「取引?」

 ついまぬけな鸚鵡おうむ返しをしてしまった。

「わたくしは弟と一緒にこの国から出たいの。パルメア港から出国するための旅券を調達してくださらないかしら」

「旅券を偽造しろってことか?」

 役人に金を握らせれば不可能ではない、とエーミールは思う。

「で、俺は見返りに何をもらえるんだ?」

「わたくしたちは外国で必ず裕福になります。わたくしの才能とアレックスの力があれば可能ですわ。得たお金で、あなたのお役に立ちます」

 アレックスには他人の傷や病気を癒やす力があるという。その力を売るのだとレーダは言う。

「死にたくない金持ちから金を巻き上げる、ってことか」

「おっしゃる通りですわ」

「アレックスには話してあるのか?」

「まだよ。でもあの子を説得するくらい、訳のないことですわ」

 エーミールは顎を撫でながら考えた。

 普通なら即座に断る取引だ。旅券を偽造して、お尋ね者の姉弟を国外へ逃がすなんて、かなり危険な橋を渡ることになる。そのくせすぐに見返りが得られるわけではないうえに、不確定要素が多すぎる。レーダなりに考え抜いたのだろうが、子どもの空想の域を出るものではない。

 何より、レーダは一番重要なことを見落としている。

(俺はゾルマのしもべだぞ。

 口には出さずに、顔を上げてレーダの目を見つめた。

「ひとつ聞かせてくれ。なんでそうまでして国外へ出たい? ここにいれば宰相に捕まる心配はないと思うが」

「宰相から逃げたいのではないの。わたくしはこの国が嫌なのよ」

 レーダから返された視線は、薄闇の中でも強く輝いた。

「庶民には未来に夢も希望もなく、毎年『灰枯』をどうにか生き抜くことしか考えられない。わたくしのような貴族の娘も、食べるのに困らなさそうな貴族の男を躍起になって探して、結婚して世継ぎを産んで、あとはお屋敷の中で退屈に暮らすだけ。ゾルマと出会うよりずっと前から呪われているようなものだわ。そうではなくて、わたくしはわたくしの力で生きていきたいの。アレックスの力を借りるのは、その足がかりを作るときだけよ」

 向かい合うふたりの間を、冷たい「灰枯」の夜風が通り抜ける。レーダとエーミールの、それぞれの長い髪が揺れた。

「……分かった。その取引に乗ってやるよ」

 しばしの沈黙の後、エーミールは承諾した。

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