第6話 筆

 常灰の森の木々は、落葉樹ばかりである。だから、どの枝にも葉がない。

 森は一年中「灰枯」でも、空高くにあるお天道様には関係がないので、「百花」の日射しは遮られることなく降り注ぐ。

 そう、魔女のしもべたちにも。

「暑い……」

 思わずぼやいたのは、アレックスよりもレーダのほうが先だった。

「百花」の気温はおおむね温暖だが、高低差はある。ときには少し肌寒い日もあれば、うだるような暑さの日もある。この日はまさにそうだった。

 一歩ごとに汗が噴き出すほどの炎天だ。こんな日は、家の中でのんびり本でも読んでいたい。それなのに、ゾルマは今日も姉弟に水汲みと野草採りを命じた。呪いのせいで、嫌だと言えないのがなんとも悔しい。

「こうも日射しが強くては、肌が傷んでしまうわ。さっさと終わらせましょう」

 今日はレーダが桶を運んでいる。これもゾルマの命令だ――腕力の弱いアレックスよりも、レーダが運ぶほうが効率がいいだろう、と。

「あの魔女、本当に腹が立つわ!」

 おかげでアレックスは楽になったのだが。

「あとは『ツクシ』っていう草を採ってくればいいんだよね」

 その植物の名を、姉弟は知らなかった。昨日摘んだハゼランと同じで食べられる草らしい。家と井戸の間に小川があって、その一帯に生えているそうだ。

「ふん、本当にあんたたちは何も知らないねえ。ツクシは茶色い筆みたいな形の植物だよ」

 ゾルマはそう言っていた。いちいち無知をなじられるのがレーダの癪に障る。

 どうせツクシを知らなくても、何の問題もないのに。

「姉さん、あったよ!」

 アレックスが指さす。

 昨日は枯れていたはずの草むらに、緑に色づいている箇所がある。針葉樹の葉に似た緑の細い草に紛れて、茶色い茎が伸びていた。その先に丸く細い穂がついている。その姿は、確かに画家が握る絵筆に似ていた。

「やっぱり。ゾルマはこの森の『灰枯』状態の植物を、自由に『百花』の状態に変えられるんだわ」

 姉弟は知らぬ知識だが、ツクシはスギナという植物の胞子茎ほうしけいで、筆の穂に似た胞子嚢穂ほうしのうすいから胞子を飛ばして繁殖する。四季のある国なら、光合成を行う緑色の栄養茎に先んじて春先に生えてくるものだ。だがこの国では、「百花」に両方同時に生えてくる。

「これ、おいしいのかなあ?」

「さあね。ジークの腕前に期待しましょう」

 姉弟に任される以外の家事仕事は、ジークが担当している。

 ジークは特に料理が得意だ。彼の背丈に合った小さなかまどで火を使うこともできるし、専用のパン焼き窯もある。どこから材料を仕入れているのか、彼が焼くパンはふっくらもちもちでおいしい。ときどき細かな根毛が混ざっているのはご愛敬である。

 昨日ジークが茹でてくれたハゼランの葉も、肉厚でなかなかおいしかった。赤黒くて変わったにおいのする水っぽいソースをかけて食べた。「醤油」という、大豆から作った外国のソースらしい。どうして外国のソースがゾルマの家にあるのかは知らない。

「さあ、このくらい採れば十分でしょう。そろそろ戻るわよ」

「うん」

「ゾルマ、いまに見ていらっしゃいな。いつか絶対に呪いを解いて、ここから脱出するんだから」 

 レーダはひとりで息巻いている、が。

 姉と一緒に帰路につきながら、アレックスはぼんやりと思いを巡らせていた。

(確かに、姉さんと僕は、ゾルマのしもべにされてしまった。でも……)

 命じられる仕事は、いまのところ水汲みと野草採りばかり。水汲みが少しばかり重労働ではあるものの、毎日へとへとになるほどではない。

 パンと野草ばかりの食事は質素だが、食うには困っていない。ベッド代わりのソファも思いのほか寝心地がいい。

 ゾルマはともかく、しもべ仲間のジークもいい人(根っこだが)だと思う。仲良くやっていけそうだ。

(……もしかして僕ら、けっこう恵まれてる?)

 姉に叱られそうなので、口にするのはやめておいた。

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