近くて遠い、恋の謎。

志村麦穂

近くて遠い、恋の謎。

「あやしい」

 アキヒロは唸っていた。当たり前のように陸上部の練習を抜け出して、腕組みコーチ面で日影からグラウンドを観察する。グラウンドは裏山に面した奥側を野球部が使い、手前の校舎側をサッカー部が使っていた。陸上部は端の方で筋トレ、外周ランニングと個人練でまとまりがない。もちろん、サボっている奴も。

「お前なぁ、練習しろよ」

 しきりに首を傾げたり、足を組み直したりするばかりで、一向に走り出さないコイツ。校舎のピロティに備えられた冷水器横に居座り続け、いい加減私らマネージャーの邪魔になってきた。女子たちに冷たい視線を飛ばされようが、私に罵声を浴びせられようが一切の動揺がない。サボりにかけるメンタルの強さだけは本物でたちが悪い。

「いやさ、ここ最近ずっと引っ掛かってんのよ。なにかあると思うんだけど、なにがあるのかわからない。ユッコさんはどう思う?」

「馴れ馴れしくすんな。あだ名とかキモいから……クソ暑いのにサブいぼ出たわ。幼馴染だからって、距離感はき違えんな。キショ、まじキショ」

「幼馴染だからってひどくない?」

 アキヒロと私は顔色ひとつ変えずに、なんならお互いの方をちらりとも見ずに、口先で殴り合う。

 コイツとは保育園からの腐れ縁で、家もはす向かいという徹底ぶり。地区対抗の運動会でも散々組まされたし、中学に至ってはなんの因果か三年連続でクラスが一緒だった。まさか高校も同じになるとは。長く一緒にいすぎて、男友達のような扱いをされる始末。今も他の子が近づきにくいという理由で、私が冷水器から水をくむ役割を引き受ける羽目に。この男の周囲への気遣いのできなさは異常だ。

 呆れつつも、いつもの調子でつい話を促してしまう。

「で、なにが気になるわけ?」

「ユキコも噂ぐらい知ってんだろ。岩裏暮らしのダンゴムシさながらの、非モテ女子だったとしても」

「喧嘩なら買ってやろうか? いますぐ、陸上部の部長を呼んできて、坂道ダッシュに連行させてもいいんだぞ」

「口が滑ったわ。あの人トレーニングの鬼だからな、付き合ってられん……噂ってあれよ。サッカー部のイケメンエース」

 アキヒロが顎で示したのは、額に汗してボールを追う二年の岡崎シュウ。見ている間にも颯爽とシュートを決め、体操服の裾で顔を拭う。そのときにちらりと見えた腹筋を覗きみる女子マネが複数いる程度には人気で、確かに顔も悪くない。学年の上下関係なくよくモテ、それを鼻にかけた風もない。誰かと違い、顔も人間もよくできているらしい。

「あぁ、付き合ってすぐ別れたとかいう」

「一日と経たずに別れたって。別れ話タイムアタックでもしてんのかってぐらい」

「なに、もしかして嫉妬? ダセ」

「……そこはどうでもいいだろ。この前後に、同じようなスピード離縁のカップルがふたつあったの知ってるか? 学祭とかクリスマスだとかのイベントがあったわけでもないのに、付き合って別れての噂が立て続けに3つも。しかも、もれなくソッコーで別れたときてる。流石になんかあると思わんか」

「誰の話だっけ」

「お前、関係ないからって興味なさすぎだろ。本当に女子高生? 女子高生って色恋とトレンドにしか反応しない生き物なんだろ?」

「それやべぇぐらい偏見だから」

 さすがにカチンときたので、頭をかき回して記憶の底から情報を掻き集める。私とて女子高生の端くれ、色恋沙汰にまったく好奇心がないわけではない。それに女子の情報力を侮ってもらっては困る。例え日陰者だといえども、その末端を担っている自負がある。あと、コイツから馬鹿にされているのが気に入らない。

「私だって知ってるし……今出てくるから。えぇっと、あれでしょ。キヨカとミホのことでしょ。当たり?」

「え、河合かわいさんもなの?」

「付き合ったとはちょっと違うけど」

 アキヒロは意表を突かれ、声を裏返らせた。驚くのも無理はない。河合ミホは大人しい、図書館で本を読んでいるのがよく似合うタイプの子だ。一日で別れるような軽率な恋愛とは縁遠いイメージがある。しかし、そんな彼女は意外なことにサッカー部のマネージャーだったりする。

 ミホに対する不躾な視線を、蹴りで阻止して話を続けさせる。

って、他に誰がいんのよ」

「おれはてっきりシンタローのことかと。四人ってなるとより怪しいな。うち三人は相手不明ときてる。シンタローに関しては狂言を疑ってるけどな」

 シンタローとはバスケ部の国見シンタローのことか。私は声のトーンを落として、アキヒロに耳打ちする。「この話はオフレコで頼むんだけど」と前置きして、情報網から得ている知識を補足する。

「ミホの相手が国見シンタローなの。これはミホの名誉のためにいうんだけど、ミホと国見が付き合っていた事実はない」

「マジ? アイツ、めちゃ吹聴してたぜ。相手の子が二股してたから、三日だけ付き合って、こっちから振ってやったって。相手のこと聞いても詳しく言わないから変だと思ってたんだよなぁ、やっぱりじゃんか」

「なにそれ、国見の方から告ってきたって聞いたぞ。その三日っていうのも、返事を待たせていた期間のことでしょ。フラれて相手を悪く言うとか、くそダサいし最低じゃん」

 私は呆れてため息をついた。国見については前々からあまりいい話を聞かない。彼女欲しさに、少しでも可愛いとみれば手あたり次第なのだ。一対一で遊びに誘われた子もいるとか、いないとか。

「うーん、そうなると、河合さんとシンタローの件は事実が、本人によって捻じ曲げられて広まっただけか。そんなら、もしかしてシュウの相手は赤坂キヨカ、とか? 前々から噂があったじゃん。お似合いの彼氏彼女みたいなやつが」

 アキヒロの短絡的な思考に首を振る。

「詳しくは知らないけど、キヨカの相手は他校の生徒って話だよ」

「時期が重なり合ったのは単なる偶然か……でも、なんか不自然なんだよなぁ。噂は噂なんだけど、シュウ本人がはっきりと否定したりしないのが変だし。その割に相手のことはわかんねぇし」

「なにがそんなに引っ掛かるんだか。そこまでいうなら、ちょっと情報を整理してみようか」

 私とアキヒロはお互いが持っている三つの噂について、情報を出し合って整理する。

・国見がミホに告白して、三日後フラれる。

・国見が三日付き合って、自ら振ったと吹聴。二股が原因で、相手は不明と主張。

・キヨカが他校の男子と付き合ってすぐに別れる。

・岡崎が彼女を作り、すぐに別れる。相手は不明。

・キヨカと岡崎には付き合っているという噂があった。

「これって順番とかはどうなってんの?」

「ミホが告白されて困って相談、って流れがあったから、ミホと国見の件が一番早いと思う。岡崎とキヨカはどっちが先とか分からない。けど、少なくともミホよりは後でしょ」

 アキヒロは体をひねって唸る。パッと見る限り、時期が近いということ以外は特段不自然な点はないように思える。強いてあげるとすれば、あの岡崎シュウに彼女ができたというのに、相手について一切の情報がない点か。付き合っていた事実(すぐ別れたとはいえ)があるのに、影さえみえないのはおかしい。他校なのか、はたまた社会人や大学生なのか。いずれにせよ、誰かしらファンの子が騒ぎそうなものだ。

「考え方を変えよう。もし仮に、この噂がなにかしらの作為に基づくものだとすれば、誰かが得してる、あるいは誰かに有利な状況を作っているってことになるよね?」

「そら流した側でしょ。でも、誰が流したかなんて確かめようがなくない?」

「だから言ってるじゃん。誰に利益があるのか考えるの」

 ミホの件は一旦置いといて、考えるべきはキヨカと岡崎の噂。

 まずはキヨカの噂だが、これに関しての利益ははっきりしている。岡崎と付き合っているのではないかという疑惑の解消だ。岡崎を狙おうとするにあたり、一番大きな障害となるのはキヨカだ。誰もが納得するお似合いの美人。その影の圧力があったからこそ、一致団結で対抗しようと抜け駆け禁止の淑女協定が守られていたのだ。最大のライバルがいなくなり、ファンたちが岡崎を狙う好機といえる。

 次に岡崎の噂を考える。ポイントはすでに別れているという点だ。これにより、岡崎が現在完全フリーであることをアピールできる。ひとつの恋愛が終わった直後をチャンスとみるか、クールダウンの期間とみるかはそれぞれだろう。どちらにせよ、岡崎ファンの間にあった淑女協定は完全に崩れた。彼を狙うすべての女子に、平等に機会が配られたのだから。

 噂により利益を得るのは、岡崎と付き合いたい女子全員。

 これではあまりに選択肢が多い。噂の出所かなんて割り出しようがない。

「しかし、改めて考えるとシンタローはとことんしょうもねぇなぁ。二股とか言いがかりも甚だしいっつうか」

「いまなんて?」

「だから、言いがかりだって――」

「そうじゃない。二股?」

 アキヒロの呟きを聞いて、ひらめきがあった。

「三日間付き合ったっていうのは確かに法螺だけど、保留されている期間っていう元ネタがあった。いくら国見がダサいヤツだとしても、事実に基づいて話をつくる程度にはプライドがある。だから、二股だっていう根拠もなにかしらの元ネタがあるはず。ねぇ、あんた告白を断るときに、なんて言って断るのが無難だと思う?」

「定番は『他に好きなひとがいるから』とかじゃないか?」

「それだ! ミホの『好きなひと』が鍵だ」

 私はここで重要なことを思い出した。ミホとキヨカは親友だということ。そして、ミホと岡崎は小学校からの同級生だということだ。しかも、私とアキヒロのような幼馴染。家が近く、小学校の地区が同じ。

「ミホ、キヨカ、岡崎……この噂、三人が裏で繋がって作ったんだ」

「もしかしてなにか気づいちゃった?」

「ミホの好きな人……ううん、この言い方は正確じゃない。ミホの彼氏は岡崎」

「え? なんか話飛んでないか? どういう推理で辿り着いたんだよ」

「うるっさいなぁ、いまから順序立てて説明するから黙って聞いて」

 興奮して声の調節が出来なくなったアキヒロを再三蹴飛ばし、黙らせる。色恋沙汰はデリケートだ。例え推理が当たっていたとしても、それを大っぴらにはできない。まして、本人たちがすぐ近くにいるというのに。

 私は周囲に視線を巡らせ、人の注意がこちらに向いていないことを確認する。声量を落として、アキヒロには念押しする。

「いい? この話は誰にもするんじゃない。ばれたらキヨカに何されるかわかったもんじゃない。それにミホにも迷惑がかかる。好奇心は猫だけじゃなくて人間も殺す、よく覚悟して聞くこと」

 私は自分の考えを整理しつつ、時系列に沿って説明していく。

 まず、前提として、ミホと岡崎が隠れて付き合っていたという事実がある。時期はわからないけど、幼馴染のふたりは周囲に隠れて関係を続けていた。

 次に、二つ目の前提として、高校に入ってからキヨカと岡崎の美形カップルの噂が出回り始める。おそらくだが、発端はミホとキヨカが友達になったこと。行動を共にすることが多くなり、自然な流れでキヨカと岡崎に接点が出来てしまった。そこに嫉妬や劣等感が入り混じり、高嶺の花を諦めるために必要な、納得のいく説明を求めた終着点が美形カップルの噂。

 そして今回の作戦のきっかけになった、国見の告白。彼がミホに興味を持ったことで、岡崎は危機感を抱くことになった。

「は? なんでだよ。だって告白は断ったんだろ?」

 ここまで説明したところでアキヒロが口を挟む。機微の分からない奴。いい加減、鈍すぎて呆れる。

「ミホは前髪で顔を隠してるし、あんまり社交的じゃないけどね、実はすっごく可愛いのよ。顔だけじゃなくて、気遣いもできてマメだし。こんなことを言うのは業腹だけど、国見は見る目だけはあったってこと。今までは目立たないから平気だったけど、国見の告白を機にミホに注目が集まったら、彼女の魅力に魅かれる男子も出てくる。そうなった時にフリーだと思われていたら? 今回の国見はあっさり引き下がったからいいけど、厄介なことにならないとも限らない」

 正直なところ、作戦は岡崎の独占欲から出た行動だと思うけど。

「それで一計を案じたわけ。美形カップルの噂を消しつつ、岡崎を完全フリーだと示して、誰もが平等なスタートラインに立ったと思わせる。二か月後にやってくる学祭あたりで、努力の末ミホが岡崎を射止めたように演出して、以後は堂々と付き合い始めるんじゃないかな」

 そう、すべてはミホが大手を振って、岡崎の彼女になるための作戦。あるいは岡崎がミホを彼女としてそばに置いておくための。キヨカは親友のために協力することを惜しまないだろう。

「経緯はわかったけど、回りくどくね? そこまでする必要あるか? 普通に実はおれたち付き合ってました、じゃダメなの?」

「バカ、ほんとバカ。にぶすぎ。あんたにはわからないと思うけど、これって身分違いの恋なわけ。ヒエラルキー最上位の岡崎と、地味で目立たない下層民のひとりであるミホのシンデレラストーリーなの」

「おいおい、恋愛に階級とか時代錯誤にもほどがあんだろ」

「じゃ例を出すけど、あんたの推しのアイドルが、顔もパッとしない平均年収以下のサラリーマンと結婚したらどう思うよ?」

「嫉妬で狂う」

「そうでしょ。でも、イケメンの俳優と付き合ったら? 仕方ないって納得できるでしょ。それと同じことなの。世間様に認められるには、納得のいくストーリーを用意する必要がある。だから、このフリーの二ヶ月で、地味で目立たなかった子が、好きな人のために必死で努力して可愛く変身したって物語をでっちあげる。そうすれば、少なくとも同じ条件を用意されていたはずの他の子たちは口出しできなくなる。これはミホを女子の陰湿ないじめから守るためにも必要なこと」

 幼馴染で一緒に過ごす時間が長かったから何となく付き合い始めた、とか。友達の延長線でいつの間にか男女の仲になってました、とか。そんなんじゃ誰も納得してくれない。身の丈に合った、とか。分不相応の、とか。そんなくだらないことを誰しも言いたがるものだ。

 たぶんミホはこれから前にも増して可愛くなるだろう。髪を切ったり、お洒落に気を遣ったり。影での努力をあえて周知させて、競争する振りもするんだろう。

「ユキコおまえ、恋愛マスターじゃん。なんで彼氏できねぇんだ」

「このッ、だれのせいだ!」

 アキヒロのすねに思いっきり蹴りを入れて、サボりを切り上げる。肩を怒らせてグラウンドに戻ると、ミホがとことこ近づいてきた。周りをちらりとみて、私の耳元にこっそりと囁く。

「ユッコちゃんも大変だね。私応援してるから」

「ほんと、やれやれよ」

 別に相応な相手だからって簡単でもない。一体どうやったら、流れで付き合うとか、気付いたら男女の仲だったとかになるのだろうか。

「近くて遠い。それが幼馴染ってもんでしょ」

 私は苦笑いで返してみせたのだった。

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