第7話ただいま、千尋の国ゾアン③

 ——という憎悪と憤然は、多少の笑顔で覆い隠せるようなものではない。挨拶の口上を述べるサラの内心は手に取るようにわかった。

「陛下がつがいを迎えられたと伺ったのですが」

 サラは玉座とその周辺に視線を巡らせた。

「私の聞き間違いだったのでしょうか」

 芝居掛かった動作には揶揄が多分に含まれている。玉座のアスラは引きつった笑みを浮かべた。

「気の早い者もおりますな。陛下が一時帰還される度に騒がれては、見つかるものも見つかりますまい」

 そつなく答えたファルサーミ。サラは目を見開いて口元に手を当てた。わざとらしいことこの上ない。

「まあ! それは失礼いたしましたわ」

 齢八十を超えるはずのサラはしかし、その美貌に全く陰りがなかった。獣人族は不老長寿なので当然と言えば当然なのだが、中でもサラの美しさは群を抜いていた。

 豊かな胸と腰のくびれを強調するピッタリとした服。袖や裾からのぞく四肢は白く長い。蜂蜜色の柔らかい髪を上品に結わえた様は、何も知らない人間が見たら傾城の美女と評するところだろう——獣人の証である尻尾と獣の耳さえ覗いていなければ。

 自在に収納・変身できる尻尾と獣耳をわざわざ誇示するのは純血至上主義者の特徴だ。おまけにサラは獣人最強を誇る獅子族。最も高貴な一族だという自負がある。

「しかし獣王ともあろうお方が、いつまでもつがいを持たないとあれば、民にいらぬ不安を抱かせてしまうのでは?」

 白々しさもここまでくれば大したものだ。アスラは笑い出しそうになった。アスラにつがいを見つけられたら困るのは、サラを始めとする獅子族だ。

 人間社会における夫婦を獣人族では『つがい』と呼ぶ。寵姫とは違って生涯で唯一の伴侶だ。互いを自分のように愛し、間に隠し事や嘘偽りを持たない。魂の半身を決める神聖な誓約だった。

 獣人族ではつがいを得て初めて一人前と認められる。ゆえに、歴代の獣王は全員つがい持ちだ。逆を言えば、つがいを持たない獣人は正式な王としては認められない。アスラがつがいを迎えてしまう前に、獣王の座から引きずり下ろしたいのが獅子族の本音だ。

「生涯を共にするつがいだ。慎重になるのは致し方ないかと」

「これはいらぬお節介を。たしかに、若き獣王陛下のつがいにと望む者なら、それこそ山のようにおりますことでしょう」

 軽やかに笑うサラ。ファルサーミの額に青筋が浮かぶのをアスラは見た。

 無理もない。アスラのつがいにとファルサーミや寵姫達が探した候補の獣人はことごとく、獅子族の妨害によって断念せざるを得なくなったのだ。

「そういえば先月、兎族の長からつがい候補の打診を頂戴したが、数日後に撤回されましてな。なんでも候補の者が獅子族のつがいになってしまったとか」

「それは不運なことで」

「またある時は、私が推挙しようとした猫族の若者が何者かに襲われて半死半生の大怪我を負うという事件が発生した。先日に至っては、つがい候補の狼族の若者が突如姿をくらまし未だに行方はわかっていない」

「不幸は重なるものですね」

「これっきりにしていただきたいものですな」

 ファルサーミの当てこすりもなんのその、サラは嫣然とした笑顔を崩さない。

「つがいは森の神が定める縁ですから」

「なるほど。つまりサラ殿は神の意志ならば従う、と解釈してよろしいか」

「無論です、ファルサーミ殿。神に逆らうなど、そんな畏れ多いことを私が考えるとでも? 兎族や猫族は陛下の縁ではなかった。ただそれだけのことです」

「じゃあ獅子族となら縁があるかな」

 口を挟んだアスラを、サラとファルサーミが驚いた表情で見る。いつも余裕と共にこちらを見下しているサラが珍しく動揺していた。

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