一章 傲慢王女は帰りたくない⑥

 翌日の早朝。

 やわらかな朝日がカーテンのすきから小さく差し込んでいる。私はいつもよりずっと温かいベッドで心地ここちよくまどろんでいた。

(おとんあったかい……最っ高……)

 なんだか色々やらなければならない何かがあったような気がしたが、めんどうな事は意識の外に追い出して目の前の快楽にしずみ込む。

 もう一生起きなくていい。

「……ん……」

 動くな動くな、お布団に隙間ができると冷気が入り込むじゃないか。わたしはギュッとき着いて密着した。

(あ……心臓の音、すっごく安心するな)

「…………んんっ……? ……」

 一瞬の静けさの後。


 ガバアッ!

「うひぁふ! 寒い!」


 思いっきり布団をがされ、あまりの寒さに一気に目が覚めた。

 バサリとひるがえるいとしの羽根布団の隙間から、まるで黒いこんちゆうを見つけたかのようなリュークの表情。

「……っ!」

 声にならない声を上げた彼は、はっきりとけんにしわを寄せた。

(あ、まずい。先に起きるつもりがごした)

 予定では昨夜ゆうべのうちにリュークの部屋にしのび込んで何がなんでも話を聞いてもらうつもりだったんだけど、すっかりいていた本人はいくら声をけても目を覚まさないし、おめおめ自室にもどっても次の機会はないかもしれないし。だんだん体が冷えてきて、ほんのちょっとだけこっそり暖をとるつもりが、つい。

(おかしいなあ。一応えんりよしてはじっこの方に入ってたはずなのに、いつの間にかこんなど真ん中に)

「ユスティネ王女っ……!」

「しぃっ! 静かにっ!」

 片手でね起きたリュークの口を押さえつけ、もう片方は立てた人差し指を自分の口にあてる。まあ、朝起きて、一人でねむっていたはずのベッドに身に覚えのない女がもぐりこんでいたらそうなるよね。

 逆にこちらの方はもう、ここまでくると居直った。

「まずは静かにして。だいじよう。わたし、けつこん前に手を出すタイプじゃないんで。ていそうは無事よ!」

「それはこっちの台詞せりふじゃ……」

「寝顔可愛かわいかったわ」

「それもあまり言われたくないですね。とりあえずどこからしんにゆうしたか教えてもらえますか。場合によってはこうそくさせてもらいますが」

 他人の感情にとんちやくしない方のわたしでも分かる。口調はおだやかだけど、ものすごくおこってらっしゃいますね?

「……まさかと思いますが、これは王室の慣例か何かなのでしょうか」

「まさかー。そんなわけないじゃない」

「そうですね。貴方あなたの行動と常識とりん観がおかしい」

 すごい。これ以上嫌われようがないと思ってたけど、まだ底があった。

「この城を設計したのって王城と同じこうぼうの人なのよね。王族なんでそっちの秘密の抜けあなルートは全部知ってるの。作りこみのくせが同じで助かったわ」

「……なんてことだ」

「リューク様、お目覚めでしょうか?」

 ドアの向こうから声が掛かり、おたがい口を閉じた。

 私はリュークに向けて再びしーっと人差し指をあてると、サッと布団の中に潜り込む。

「こんな現場を見られたら結婚待ったなしよ。こんやくの可能性を捨てたくないならわたしをかくしきって! いいわね?」

「は? ちょっと待て……」

 布団をかぶるのと同時に、ガチャリとドアの開く音が聞こえた。

「リューク様、おはようございます。今日はいつもよりずいぶんと早いお目覚めですね」

(この声は確かしつのシモンね)

 主人が起きた気配を察してすぐにあいさつに来るとはなかなか有能だ。さて、問題はリュークの反応なんだけど、上手うましてくれるかな。それとも……。

「…………。今日は……いつもより夢見が悪くてな……」

 セーフ!

 とりあえず誤魔化してくれるようだ。よっぽど婚約破棄したいらしい。

 引き続き聞き耳を立てていると、シモンの方から言いづらそうに報告が入った。

「ところでユスティネ様ですが、今朝も報告があがっております。なんでも今度はついさきほど、ご挨拶にうかがったメイドにびんを投げつけたとか……」

「……なんだと?」

 リュークは聞き返したが、シモンはそのおどろきの意味まではみ取れなかったようだ。執事の心底うんざりしたような重いためいきが聞こえた。

「もう一度聞くが、あの性悪……いや、甘ったれ……ユスティネ王女が問題を起こしたのは本当についさっきなのか? 昨日ではなく?」

「ええ、こちらに伺うちゆうで泣きながらメイドに報告されましたからね。ちがいありません。可哀かわいそうに、まだ手のこうから血が流れていましたよ」

 いまいましげに舌打ちするシモン。思わず下を向いたリュークと目が合ったので、もう一度しーっと人差し指を立てる。

 わたしは昨日の晩からここにいた。だというのについ先程わたしがメイドにをさせたとの報告。

 ぐうぜんとはいえ、実にいいタイミングだ。

(これでちょっとは話を聞く気になってくれたかしら?)

 わたしの行動は、明らかに悪意あるきよで捻じ曲げられて報告をされていた。

「王女の件についてはよくかくにんしておく。すまないが今日は朝食はきにしてくれ。もう少しだける」

「おや、医者を呼びましょうか」

 心配する執事を追いやり、内側からかぎをかけたリュークはこちらに向きなおった。

「……それで、ご用件は何でしょうか」



 朝食の予定だった三十分だけという約束で話し合いが始まった。

「わたし達、お互いに誤解があると思うの。今のやり取りだけでも分かったでしょう? あなたはひどい悪女だと思っているかもしれないけれど、うわさされるような悪い事はしていないわ」

 リュークはうでを組んだ。

「……今まで聞いた報告はすべて虚偽だったと?」

「そうよ。だって婚約破棄を言いわたされたあの日に聞かされたのは身に覚えのない事ばかりだったもの。ちなみに、ほかにどんな報告が?」

 きんしんかもしれないがちょっとだけわくわくしてしまう。『悪女なユスティネ王女』ってこう、悪のりよくというか、かげのあるわく的なインモラルというか……。

「私が聞いていたのは気に入らないじよや使用人をムチで打ったとか、かみを引き抜いたとか、一枚ずつつめがしたとか」

 想像していたよりはるかにきようあくだった!

「ひぃぃ! やらないわよ、そんな見てるこっちが痛くなるような事!」

「領地にとうちやくするなり宝石商を呼んで王女にあてていた予算を一時間で使い切ったとか、庭師達が止めるのも聞かず大切に育てていた記念樹を景観が悪いと切らせたとか……」

 あ。それはやったかも。

 ……。

「なるほど、事実無根のとんでもないうそばかりね。なんとれつな」

 まあ、すなつぶほどの事実はあったかもしれないけれども。それでもそく王都に送り返らせられるほどの事はまだしてません、たぶん。

「特にあの記念樹はくなった母上が手ずから植えられたものだったので、感情的になってしまいました」

「い、いいのよリューク! 人はみなちがえる生き物なの。気にするべきは過去より今、そして未来。そうでしょう?」

 わたしは早口でまくしたて、誤魔化した。

 心なしか視線が冷たいような気がするけど、バレてない……はず?

 うん、とっとと話を進めよう。

「最初にこの空気を作り出した人がいたはずよ。だからまずだれがこんな話を広めたのか、確認する必要があるわ」

「……なるほど。誰かが王女を意図的におとしいれようとした、と」

「! そう、そうなのよ!」

 思わず勢い込んでリュークの手をにぎった。

「王族に対する重大な反逆こうですね」

 リュークの口調は穏やかなままなのに何故なぜか冷気を感じる。

(うん……? なんか怒ってる?)

「まあ、中には思い込みで言った人もいるだろうし、またきを伝えただけの人、ちょっとした失敗をなすりつけた人もいるはず。例えば間違えて割った花瓶をわたしがやったせいにするとかね」

 なにせ誰もかばう気がないからやりたい放題だ。

 今まで王家の七光りで好き放題やってきたわたしは、敵意に対してとても無防備だった。悪意を持った誰かがいたのならさぞや簡単な仕事だっただろう。

「許しがたいですね。犯人を見つけだいきよつけいにしましょう」

「しないわよ? 一回深呼吸しましょうか」

 そもそもうつたえを信じてもらえないかもとけいかいしていたのに、彼はすんなりと話を受け入れてくれた。

「というわけでわたしとの婚約を破棄したいのなら、その前に本格的にわたしを断罪するという名目で、もう一度証言をとり直してちょうだい。誰が何を言ったのかくわしく」

「証言をとり直す事にはもちろん異存はありませんが……貴方あなたを断罪するためにという理由は必要なのでしょうか?」

 うーん。この人本当にいい人なんだなぁ。

「絶対! 必要!」

 断固として主張する。

「いい? ここの人達はわたしがきらいで出て行って欲しいのよ。そのわたしを追い出すために証言をとってますって言われたらどうする? わたしなら細かいところまで必死で思い出して、ぜーんぶ詳しく話しちゃうわ!」

「なるほど。そういうものなのですね」

 そんな発想もないくらい、リュークは好き嫌いがあったとしても公平に対処するのだろう。だけどつうの人間はそうではない。向けられている視線がちょっと冷たくなった気がするがわたしはごく普通だ。

「なんなら新しい証言だってとれちゃうかもしれないわね。うふふ、楽しみ」

 リュークはまじまじと見つめてきた。

「貴方は本当に変わっていますね。人に悪しざまに言われるかもしれないのにこわくはないのですか?」

「全く気にならないわ! だって誰が何を言おうがわたしの存在価値は変わらないもの」

「そこまではっきり言いきれるとはなかなかごうたんですね」

「ええ。生意気でざわりで、身のほどを思い知らせてやりたくなるってよく言われる」

 自分のこの性格はあまりいつぱん受けするものではないらしい。まあそれさえも、だから何だとしか思わないわたしもわたしなのだが。

「私は好きですよ」

 …………。

(ああ、そういう性格がね。うん、この土地じゃめそめそするタイプは生きていけなそうだもんね!)

「そ、それにしても意外と話をすんなり受け入れてくれたわね。もっときよぜつしてくるのかと思ったわ」

「……最近少しりんごくおんな動きがあり、なかなか時間がとれずすみません。それに王女様に面会するとなると色々準備が必要でしょう」

「気をつかってくれるのはうれしいけど、今みたいな簡略化した対応でいいのに」

「そうですね。おたがいこれ以上なく簡略化した姿を見られているわけですし、今後はそうしましょうか」

(うっ……これ以上なく簡略化した姿って、朝のアレのことよね)

 ちらりとうわづかいで様子をうかがうといつものガチガチの正装とはちがい、だんでリラックスしたようにソファに座っているリュークと目が合う。あまりおこっているようには見えない……というより、おもしろいものを見ているような視線だった。

 もしかして、からかわれてる?

(人をちんじゆうかなにかのように……まあ、確かにごういんすぎる手段をとった自覚はあるけど、えんりよしている間に追い出されたらおしまいだし。それにこの人は多少の事はだいじようかなって)

 彼がわたしに対して怒るのは領民に危害を加えられそうな時だけ。逆に自分に無礼な態度をとられたり好き勝手に領内で遊びまわったりといったことは気にしない。れいこくそうな見た目に反してわりと許容はんは広いのかもしれない。

「一つ、質問してもいいでしょうか」

 大切な質問をするかのように、リュークはゆっくり切り出してきた。

「先程、しつが入室した時にかくれたのはなぜですか?」

「え? だからこんやく出来なくなるって」

「ええ、たとえ私達の間に何もなくともあの場を見られていたら、流石さすがに婚約解消は出来なくなるでしょう。だからこそ不思議なんです」

 真っすぐに見つめてくるアイスブルーのひとみが、その冷たさを増したように感じる。

「婚約解消したくないのなら、あのじようきようは貴方にとって都合が良かったはずですよね。何故ですか?」

 確かにリュークの言う通りだ。しかしわたしの回答はごく単純である。

「相手のせんたくうばって選べなくするやり方は好きじゃない」

 絶対れいのような瞳におくすることなくはっきりと言ってやった。回答を聞いたリュークは目を丸くし、その後小さく笑う。

(あ、がお初めて見たかも)

 それまでずっと冷たさしか連想させなかった色の瞳に、何故か温かみを感じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る