一章 傲慢王女は帰りたくない②

 すっかり機嫌を悪くしたわたしはアンを𠮟しかりつけた。

「もう、ぐちはいいから仕事して!」

 彼女はまだ何か言いたげだったけれど、すぐにメイド達に指示を出し始める。

 ようやくえが始まり、あまりの気のかなさにやれやれと……って待って、待ってまって。

(これじゃあ『前回』と何も変わってなくない? とりあえずさっきの婚約破棄は回避したけど、別にそのものを取りやめるとは言われなかったし……)

 今度はわたしが顔色を変える番だった。

 まずい、あんなに反省したはずなのにすっかりいつもの調子でやってしまった……。

 これじゃあ駄目なんだってば。

 わたしは、心を入れえてだれから見てもイイ子になるんだから!

「ちょ、ちょっと言い過ぎたわ、アン。わたし、当主様の婚約者として相応ふさわしくない行動をしてしまったのね。教えてもらって良かったわ」

 急に謝罪したりお礼を言ったりしたらあやしまれるかしら?

 でもこっちは婚約破棄目前、待ったなし。ほどよいタイミングを見計らうゆうなんて欠片かけらもなかった。

 アンは、わたしの言葉を聞くとものすごくギョッとした顔をした。

「え!? 今、なんておっしゃったんですか」

「それにシエナ、ナナ、エミー、ヒルデ、ラウラ、サンドラ、ノーラ。いつも身の回りのお世話をしてくれてありがとう。そこの貴方あなたは初めて見るわね、新入りかしら?」

「そんな、なんで……え……?」

「いつも本当に感謝しているのよ。貴方達がいてくれなければ服の着替え方すら分からないもの」

 出来るだけ心をこめて感謝を口にすると、アンは目を皿のようにしていた。

「あの……何故なぜ、どうして私達の名前をご存じなのですか?」

 アンの隣にいた黒髪の侍女、シエナも戸惑ったようにおずおずと聞いてくる。

 ん?

 なんかそこ、引っかかるところだったろうか。そう言われてみれば今まで名前で呼んだことはなかったけど。

 思わずきょとんとしてしまう。それってそんなに大事?

「どうしてって。初日に全員あいさつしてくれたじゃない」

 別にこっそり調べたわけでもなんでもない。

 ただその時によく注意して聞いて、しっかりおくしただけの事だ。

「まさか、たったのそれだけで!? あたし達がご挨拶したのはその時一度きりのはずです。しかもあの時は一度に全員、二十人以上いたのに……」

 なんだそんな事。

「さっきも言ったけどわたしは貴方達がいてくれないと何一つ自分では出来ないのよ。それだけお世話になるのだから一度で名前を覚えるのは当然でしょ?」

 アンはわたしの言葉を聞くとなにやらもじもじし始めた。

「で、でも……まさかそんな。あたし達の名前などどうでもいい、覚える必要なんてないと思っていらっしゃるのかと……」

 アンは何故か落ち着かない様子をみせ、シエナやほかのメイド達もそこはかとなくそわそわとしてふんうわついている。

 え? 何?

 もしかして本当に貴方達の名前も知らずにお世話を受けていると思ったの? 当然の事じゃないかと言いかけ……考えてみれば彼女達にとってわたしは悪の『傲慢王女』なのだと思い直した。

 ふむ、と考え込む。

(最初の挨拶で名前を覚えていないと思われていて……そのまま何かの折にたずねる事もなく呼びもしなければ、覚える気がないように見えるわよね、きっと)

 り返しになるがバルテリンクでは使用人と主人のあいだがらがとても近い。失敗があれば次々クビになり新しく入れ替える王宮とちがい、ほとんどメンバーの入れ替えはなく何年も同じ使用人が働く。

 おそらく領主であるリュークもたいていの使用人の名前を覚えているのではないだろうか。

(よく考えれば、確かに他の領地の貴族達はあまり使用人の名前まで気をつかっていなかった。主人に名前を覚えられるのは彼等にとってのめいほこりなのかもしれない)

 わたしが全員の名前を理解していると知ったたん、今までツンケンしているばかりだったアンが急にしおらしくなった。

 いや、なんだかずいぶん好意的に受け止めてくれているみたいだけど、一人一人をあくされているってことを不安には思わないの? 例えば逆にねちっこくいやがらせをされるかもとか。

(……思わないのでしょうね、そんな意地悪い裏読みなんてする人達じゃない)

 この土地の人々は良くも悪くも単純で善良だ。

 裏ぐらいは考えることはあっても、裏の裏までは確かめない。根っからの悪人なんてそうはいないとじゆんすいに信じているタイプの人達なのだ。

 ふく殿でんの王宮で生まれ育ったわたしにはまぶしすぎる。

(そうよ。だったらわたしもあまり考えすぎず、なおに感謝を言ってみたらどうかしら)

 王都ではしきたりだなんだと、気安く使用人に話しかける事は固く禁じられていた。簡単にすきを見せるような真似まねをしてはいけないと。

 でもごうに入っては郷に従え。

 そう切り替えたわたしはアンに向かってにっこりと微笑ほほえんだ。

「そんな当然な事をわざわざ言う必要はないと思っていたけど、伝わっていなかったようね。あなた達のことはいつも見ているのよ」

「う、うそです。そんな……」

「本当よ。特にアン、季節の花を毎日上手に生けてくれているのはあなたでしょう? 居間にははなやかでしゆんのものを。しんしつにはにおいの弱い落ち着いた色合いのものを。とてもセンスがいいのね、毎日楽しみにしているわ。それにシエナは手先がとても器用よね。こんなにきれいに髪を整えられる子なんて王都にもいなかったもの」

「っ……!」

 アンはぱっと顔を紅潮させ、シエナも驚いたように目を見開いた。

『お𠮟りがなければ使用人の仕事に満足しているしよう』という王都での常識は、思った以上にこちらで通用していなかったようだ。

 その日のアンは少しだけいつもよりていねいに世話をしてくれた。シエナもまだよそよそしいが、警戒心が少し薄れたように思う。

 なんだ。こんな事ならもっと早く言えば良かった。『前回』のわたしだって、口に出さないだけで同じように感謝していたのに。

 わたしはもしかしたらとても損をしていたのかもしれない、と初めて思った。

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