キツネ潰し

 トスカニーニ侯爵家は、ロンバルディア教国におけるかくれなき名家である。その源流は教国成立に大きな役割を果たしたテオドーロ・トスカニーニにまでさかのぼり、教国四大貴族家(ルモワーヌ公爵家、ペドロサ公爵家、トルドー侯爵家、トスカニーニ侯爵家)にも数えられる。近年、当主に浪費家が続いたためやや勢威にかげりがあるが、堂々たる大貴族であることに変わりはない。

 その所領は国都アルジャントゥイユの南方に位置するバルレッタ地方で、領主の居城はトラモント城である。トラモントとは日没、日の入りといった意味合いだが、もう少し詩的に夕暮れ、黄昏たそがれといったニュアンスを持たせてもよいであろう。この地域の丘から夕暮れ時の焼けた西の空を望むと、その眼下に広がるのは一面の田園地帯であり、それが素晴らしい絶景であったことから、トラモントの丘と呼ばれるようになった。その丘陵上に築かれた城であるためにトラモント城と名付けている。

 カロリーナ・トスカニーニ令嬢は、このトラモント城で生をけた。この年、8歳。

 父親はファビアーノ・トスカニーニ侯爵、37歳。母親はパメラといい、32歳で、モンテスキュー子爵家から嫁入りしている。

 カロリーナはトスカニーニ侯爵が正妻であるパメラに産ませた唯一の子で、当然、父の寵愛を浴びて育った。トスカニーニ侯爵は貴族界隈では格別に評判が悪い男ではなかったが、領民に対しては異常に冷酷であることで知られ、重税と苛酷な刑を科すことで民衆からの嫌悪と怨嗟えんさは小さくない。領民はしばしば教国の直轄領や他の貴族家の領内へと逃散ちょうさんした。このため、ただでさえ財政が傾いている侯爵家の懐事情はますますよろしくない。

 そこへ、教国女王の養女選定の時期がやってきた。教国女王に養女を差し出すとなると、国からは謝礼金が支払われ、貴族家としての名声も上がる。そして案の定、侯爵家の正統な子女であるカロリーナが候補に上がった。

 もっとも、降って湧いた僥倖ぎょうこうというわけではない。養女選定はたいてい、女王即位の政局が完全に落ち着く頃合い、すなわち即位から2年ないし3年後に進められることが多い。その時期に養女とされるにふさわしい年齢の子女があれば、一次候補者リストに名を書かれることとなる。

 さらに資質が吟味された上で最終候補に進むわけだが、カロリーナはそのなかに残った。これも、実父たる侯爵にとっては当然である。カロリーナは側室に産ませた庶子ではなく、れきとした子爵家から嫁いできた正妻の子であり、その血筋は高貴なことこの上ない。また、カロリーナは人柄に癖がなく、素直で賢く、容姿も申し分ない。誰が見ても、王女たるにふさわしいであろう。

 もう一点、重要なことは、かねてよりトスカニーニ侯爵家は教国政府高官に幅広い人脈を持ち、特に神官長のファティマ女史とは特別な付き合いがある。互いに様々な便宜を図ることにより、利益を供与しあってきた。露骨な表現をすれば、癒着している。ファティマ神官長が先導役を務める養女選定にあって、トスカニーニ侯爵家のカロリーナ令嬢が最終的に勝ち上がることは、既定の路線とさえ言っていいほどである。

 そしてカロリーナは王女に選ばれた。マリエッタ女王からの使いは祝いの言葉とともに、多額の謝礼金を贈与した。だが、使いは金品で侯爵の機嫌を取ると同時に、容易ならぬことを言った。

「今回の養女の件ですが、いま一人、ご令嬢とともに養女になられる方がいらっしゃいます。そのため、ご令嬢は第二王女として王宮に上がられます」

 なに、と侯爵はこれも当然のことながら、血相を変えていきどおった。トスカニーニ侯爵家はロンバルディア教国の長い歴史のなかでも比類なき名門閥族である。それが未来の女王であるべき第一王女ではなく、その補欠のような存在でしかない第二王女として王宮に上がれとは何事であろう。

 我が侯爵家を愚弄するつもりか、と恫喝どうかつすると、恐れた使者が補足して言うには、

「第一王女はロマーノ伯爵家の遺児であるエスメラルダ令嬢です。伯爵の血筋が絶えることを憂慮された陛下が、特別におぼし召しあって、ご決断なさいました」

「なに、ロマーノ伯爵家の遺児であるとな」

 侯爵は表情に落ち着きを取り戻し、何やら考え込む様子を見せた。

 ロマーノ伯爵家は、トスカニーニ侯爵家同様、教国開闢かいびゃく以来の由緒正しい名家である。その始祖は教国成立の際、解放軍を率いて解放戦争を勝利に導いた軍事的英雄ヴァレンテ・ロマーノであり、元が軍人であったため爵位こそ伯爵ではあるが、その名声は四大貴族家にも劣らない。

 この家はちょうど8年ほど前に居城であるラクイラの館の居住部が大火に見舞われ、痛ましいことに当主含め一家全員が焼死した。そのため正統な血脈とともにロマーノ伯爵家は断絶したが、当時の当主の庶子が生存しているという可能性は充分にある。

「陛下はロマーノ伯爵家の再興のため、第一王女としてエスメラルダ令嬢を迎え、いずれ時期が訪れたら王族からは除籍されるお心づもりです。すなわち、名は第二王女なれど、実質は第一王女としてやがて至尊の地位に就かれることでしょう」

「なるほど、得心した。私としてもロマーノ伯爵家の遺児ということであればしばらく第一王女の地位をお預けすることにやぶさかではない」

 トスカニーニ侯爵は気分をよくした。無論、この言説は一時しのぎの方便にすぎない。

 さらに王宮入りの当日、侯爵家は当主のファビアーノ自身が行列を差配して国都アルジャントゥイユの大通りを練り歩き、その豪壮なことは国都の市民の度肝を抜いた。一門の者たちは美々しく着飾って馬車に乗り、周囲を取り囲む護衛の私兵や執事たちにも、それぞれ派手な衣装を着せた。

 侯爵を何より得意にさせたのは、この大仰な行列のあとを、第一王女であるというロマーノ伯爵家エスメラルダ令嬢の馬車がとぼとぼとついてくるのであった。一家が死に絶え、女官や郎党どもも四散して、仕える者もないのであろう。そばにいるのは数人の近衛兵だけで、王女の王宮入りにしては寂しすぎる。

「あれが第一王女の行列か。なんと貧しげであることか。国都の庶民どもも興ざめておるわ」

 侯爵は気分をよくし、何より安堵あんどした。あのように背景となるべき門地のない第一王女など、有名無実も同然である。彼の娘であるカロリーナとは、競争相手にすらならないであろう。

「勇名高きロマーノ伯爵家も、落ちぶれたものよ」

 そう言って、侯爵はあざ笑った。

 第一王女、第二王女の王宮入りに伴う祝宴は、三日三晩続き、最後の日に侯爵は返礼として王宮で「キツネ潰し」と呼ばれる催しを開いた。王宮にあるロバ用の小馬場に一門の男どもを集め、二人一組にしてスリングの端と端を持たせる。同時に小馬場内に数十頭のキツネを放して、スリングに乗った瞬間にこれを大きく上へ跳ね上げる。より高くキツネを上空へ飛ばした組が勝つ、というスポーツであり、タイミングが合わないとなかなかうまく飛ばない。その分、観覧者にとっても大変見ごたえのある賭け事として知られている。

 余談ではあるがこの時代、こうした動物やあるいは人間の流血を楽しみギャンブルにするというのはごく一般的に行われていたことで、人間同士の決闘であったり、人間と犬や牛を戦わせたり、あるいは動物同士で殺し合いをさせるのが文化として長いこと続いた。

 そのなかでも、キツネ潰しはごく最近になって人気が集まっているスポーツである。派手好みで流行に敏感な貴族らしい催しであったと言えるであろう。

 このイベントには、ホストであるトスカニーニ侯爵自身はもちろん、マリエッタ女王とその側近や官僚たち、王女の誕生を祝うために集まった多くの貴族、そして第一王女のエスメラルダと第二王女のカロリーナも観覧する。

 プリンセスとカロリーナは、マリエッタ女王を挟むようにして座っており、まだ直接話す機会はない。プリンセスが女王に尋ねた。

「何が始まるのですか?」

「キツネ潰しだ。プリンセスはまだご覧になったことはないか」

「キツネ潰し……?」

 その異様な名前に、プリンセスは不安そうに眉をひそめた。

「最近、評判になっている賭け事での、まものう始まるので、よくよくご覧になるとよい」

 スリングを手にした若い男どもが意気揚々と挨拶を振りまきつつ小馬場に出てくると、貴族たちは喝采の叫び声を上げた。

 そしてショーは、檻に入れられていたキツネが数十頭と一斉に放たれて、一気に盛り上がりを加速させる。檻から追い立てられ、パニック状態に陥ったキツネは小馬場を所狭しと駆け回り、たまたまスリングの上を通ると、それが急に浮き上がって、天高く舞い上がる。その高さを、審判員が目測して、最後に勝者を申し渡す。

 単なる座興ではなく、賭け事であるために、観客の熱狂もすさまじい。数百人の観衆は、老いも若きも、男も女も、この試合に身を乗り出して声援を送った。

 小馬場では放り投げられたキツネが次々と地面に激突し、頭が割れたり血を吐いたりして死んだ。キツネ潰しという名称は、うまく成功すると10m近くまで飛び、そこから真っ逆さまに地面に叩きつけられることでキツネが潰れ死ぬところからきている。

 この遊びを、常軌を逸している、と思った貴族は誰もいなかった。娯楽の手段が限られている当時の人々にとっては、動物を使って遊ぶというのはごく当たり前に行われていたし、その過程で対象の動物、この場合の動物というのは人間も含めてだが、死ぬことも間々ままあった。だがこの時代、動物の命というのはさして重要ではない。例えば猫焼きといって、悪魔の化身とされる猫を集めて火あぶりにしたり、純粋な娯楽としては、柱にくくりつけたにわとりに順番に鉄の棒を投げて殺す鶏投げというゲームも行われていた。

 中世時代の娯楽というのは、そういったものである。だから、キツネ潰しを見て今さら驚いたり不快になる者はあまりいない。

 女王マリエッタも次第に白熱する試合の行く末を興味深く眺めていたが、残り時間があと3分となってから、不意に近くで叫び声がするのを聞いた。その声はエミリアのもので、切迫した様子でプリンセスに駆け寄っている。

「プリンセス!」

 マリエッタは思わず金切り声を上げた。プリンセスの腰はかろうじて椅子の上にあるが、その上体は大きく左に傾いて、エミリアが支えなかったら彼女はそのまま潰されたキツネのように地面に倒れ込んで気を失っていたことであろう。

 女王とプリンセスの異変に気付いた人々が、次々と視線をそちらに奪われ、やがて会場は先ほどまでと違った空気のなかで騒然となった。警備任務の責任者でもあるブランシュ近衛兵団長の宣告によって催しは即時中止を言い渡され、この日は強制解散となった。

 大規模なキツネ潰しのイベントによって、我が娘の王女就位祝典を最高のかたちで締めくくりたかったトスカニーニ侯爵であったが、彼の願いはプリンセスの突然の体調不良という思わぬ事態によって頓挫とんざさせられることとなった。

 侯爵が呆然としたことは、言うまでもない。

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