30.微睡は珈琲の香り —貼紙—-2

 ユーレッド。

 獄卒UNDER-18-5-4。

 その18-5-4をアルファベットに引き当てたのがR-E-D。問題児で万年UNDER評価なので、それをとってU-RED。

 なので通称がユーレッド。

 こそっとハブから聞いたのはそんな情報だった。

 ステージで歌いつつ、向こうでカードに興じている彼を見る。

(ユーレッド。ユウレッド。あの人は確か、ユウレッド・ネザアス)

 奈落のネザアスの真の名前が、ユウレッド・ネザアスだった。

(姿が同じなのは、そんなにおかしなことじゃない。フォーゼスさんも昔言ってた。影響されるとユーさんみたいになることもあるって。名前もそこから引いてもおかしくない)

 使い捨ての獄卒なら、重罪人だけでなく下手したら失敗した実験体の一人や二人、使いまわしていそうなものだ。

(でも、あの、ポケットにとまってた藤のピン。あれ、あたしの……。ユーさんにあげたやつに似てるのよね)

 とはいえ、類似品はないわけでもなく。第一、あの素直だったユーネが、こんな屑野郎なわけがないのだが。

 歌っている最中に、ふらっとその獄卒ユーレッドがあくびをしながら立ち上がった。

「お、どこ行くんだよ」

「あんな下手な歌きいてらんねー。眠くなったから、眠気覚ましてくるわ」

 小声で尋ねるハブに、彼がそんな答えをする。

(なにっ!)

 イラッとするウィステリア。

(何アイツ何アイツ何アイツ!)

 そのままあくびをして外に出て行く彼。ウィステリアは歌の合間にこっそり深呼吸する。

 怒りを抑えねば!

(獄卒なんて屑男ばっかりだけど、外見がああだとすごく腹立つ!)

 しかし、ウィステリアもプロなのだ。

 表面上はにこやかに艶やかに、ステージを完遂した。久々に自分を褒めていいと思うのだった。



(昼のステージだけでよかった)

 ステージ衣装から着替えて、帰路についていたウィステリアは、ため息混じりだ。

 夏の日差しは黄昏近い時間でも強く、アスファルト舗装の道はジリジリと暑い。日傘をさしていても肌が焼け付きそうだ。しかし、今日の暑さはそれだけではない。怒りもある。

(夜のステージでもアイツがいたら、イライラして歌どころではなかったわね。ぐっ、外見がアレで屑野郎とか、ほんっとうに許されざる存在だわ!)

 むーっと眉根を寄せつつ、

「ネザアスさんだって、不良っぽいとこあったけど、もっと紳士だったし」

 ぽつりと呟く、

「ユーさんは、あどけなかったけど、あたしを守ってくれてて」

 彼等は二人とも騎士だった。

 それに比べて、あの獄卒は。

 せめて、もう少しだけ紳士的でもよくないか?

 ふうとため息を深くつく。

「あの頃に戻れたらな」

 ネザアスは、死んでしまったのを知っている。今日も過去の夢を見た。幸せだった頃の文月の冒険の最後の日の夢。

 そして、あんなに幸せなことはもうないと思っていた時に、現れた泥の獣ユーネは、彼女にもう一度幸せな日常を与えてくれた。

 それなのに、ネザアスは過去の幻でしかなく、ユーネは戻ってこない。

 みんな泡みたいに消えていった幸せな日々。

 わかっていたのに、実感すると寂しくなった。 

 と、不意に、ぞわりとした悪寒を感じ、ウィステリアは立ち止まる。

 人気のない獄卒街の道。逆に人の気配がある時の方が怖い。

 いつのまにか、前と後ろに三人ずつ人が立っていた。

 獄卒だろう。黒物質特有の気配がする。

「ウヅキ・ウィステリアだな」

 リーダー格らしい、覆面をした男が尋ねてきた。

「何の用?」

 ウィステリアは思わず身構える。

 魔女であることは隠されているが、知っているものはいる。魔女の灰色物質アッシュ・マテリアルは相変わらず灰色合金アッシュ・アロイ作成のため狙われやすい。さらにいえば、エリック直属の調査員エージェントだというだけでも狙われる理由にはなった。

 身に覚えはある。

「どこの組織なの、貴方達」

 ウィステリアはそう訪ねつつ、隠してある護身用の銃に手をかける。

 答えずにふ、と覆面のリーダーが笑った気がした。これはまずい。

「ジャック……」

 そう指示をすると、ウィステリアの黒い腕輪が溶けるように地面に落ちる。足元の影が盛り上がり、蛇のようにしゅるっと動いて立ちはだかる。

 それはウィステリアのペットのジャックだ。今は護身用のプログラムを組んで、昔より戦えるようになっている。

 しかし。

「はは、そんなおもちゃで我々と戦えるとでも?」

「やってみないとわからないわ!」

 相手は獄卒。

 ウィステリアは、声に効果を静かにかけ始めていた。いざという時は歌う要領で彼等に影響を与える。うまくすれば半数は眠気で、戦うどころでなくなるはず。

「やれ……!」

 リーダーがそう命じた時、不意に狭い道にエンジンの音が響いた。それが近づいてくる。

 隣の路地から急カーブを曲がってオートバイが乱入してきた。

 はっと振り返った男が、いきなり猛スピードでやってきたオートバイに弾き飛ばされる。

 そのまま道を開かせ、オートバイに乗った男はウィステリアの前で止まった。

「乗れ! ウィステリア!」

 ひらめく白いジャケット。

 その男は、先ほどの例の屑獄卒、ユーレッド。

 思わず呆然としてしまう彼女。飛びかかってきた男に肘打ちをくれつつ、ユーレッドは焦って言った。

「早く乗れって! 信用しろ!」

 言われるままにジャックを腕輪の形に戻し回収して、後部シートに乗る。

「つかまってろ!」

 そう指示して、ユーレッドはそのままスピードを上げ、混乱した獄卒の間を強行突破した。

 オートバイは、そのままスピードを落とさずに走り続けていた。

「あっ、あの……」

「大丈夫か? ったくよー、あんな道、ぼんやり一人で歩いちゃダメだぜ?」

 ユーレッドはいきなりそう尋ねてきた。

「黄昏時は、ろくな奴いねえからよ。俺もひとのこといえねえけど、獄卒街は特にやべえ奴が多い」

 ユーレッドのオートバイは、裏路地から人の少ない廃墟街の街に入る。

「さて、アイツら、追っかけてきそうだからな。ちゃんと撒いてやる。スワロ、右手、最近調子悪いんだから、調整しろよな」

そう呼びかけると、肩にいる達磨のような丸いロボットが、きゅきゅーと鳴いた。なるほど、彼の右手は今は義肢らしい。

 そうしてから、獄卒ユーレッドは、軽く振り返った。

「ん? どうした? 無口だな」

「えっ、あ、いいえ」

 ウィステリアは、思わず我にかえる。

「あ、ありがとう」

「構わねえよ。通りすがったついでだし、ちょうどこの単車、慣らし運転しろって言われてたからな」

 ふふっとユーレッドは笑う。

「今夜はステージねえんだろ。俺にちょっと付き合えよ」


 いつのまにか、とっぷりと日は暮れる。

 追手を撒くべく廃墟街近くの使われていないハイウェイを周り、最終的にユーレッドはシャロゥグの街中にあるウィステリアのマンションに彼女を送った。

 空には星が輝き、細い月が出ている。

 バイクから降りたところで、ウィステリアは礼を言った。

「あの、ごめんなさい。家まで送ってもらって」

「あん? 別に構わねえよ。変なとこで置いていって、アイツらに見つかったら面倒だ」

 ユーレッドは、ちょっと眉根を寄せた。

「姐さん、何の仕事してるか知らねえけど、危ねえぜ? 狙われやすいんだろ、元から。お前にこんな仕事させてるやつ、屑だな!」

 と、何故か怒っている。

「あ、いいえ。その、あたしが不用意だったから」

「そんなことねえよ。マジで何考えてんだかだ! クソ野郎が」

 ボソリと吐き捨てるのは、この仕事を命令した当人を知っているかのような態度だ。

「ま、何にせよ。狙われやすいから、気ィつけな」

「あ、あの、助けてもらっておいて、あたし、お礼何もしてないわ。家で珈琲かなにか……」

 行ってしまいそうな彼にそう呼びかけると、ユーレッドは苦笑した。

「はは、ダメだぜ。まったく、俺の言ってることがわかってねえな」

 ユーレッドは、にやりとした。

「俺みたいな悪い奴、そう簡単に家にあげちゃダメだぜ? 全く、すれっからしになりきれねえお嬢さんだな」

「あ、ごめんなさい」

「明日、店に行く。そん時に、おれに珈琲おごれ。それでいい。どうせ、お前、明日も来るんだろ?」

「ええ。昼のステージがあるから。あの、良かったら歌も聴いていって」

「ふふ。俺は、風流心ねえから、お前の歌最後まで聴けねえと思うぞ」

 そう断りつつ、ふと、ユーレッドは何かに気づいてマンションの上の方を見た。

「火?」

「え?」

「まだ残してあるのか? ウィス」

「えっ?」

 きょとんとした彼女と、ユーレッドの視線がぶつかる。

「まったく。しょうがねえなあ、お前は」

 ユーレッドは、ため息をついて、左手でウィステリアの髪にかるく触れた。

 その夕陽のような瞳が、街灯に光る。その色はいつかみたウルトラマリンの赤い色。

 そして、ジャケットのポケットに留まっているピンが薄く輝く。

「ユーさん」

 ポツンと無意識に呟いてしまう。

 一瞬、ユーレッドが、彼らしくない、優しい懐かしいような表情をした。

「おやすみ。お嬢レディ。良い夢を」

 それが彼の口から出たのかわからなかった。まるで幻聴のように聞こえたからだ。

 どきりとしたところで、ユーレッドは元のひねくれた獄卒に戻ると、ひらっと手を振った。

「あとそのユーさんてのやめろ!」

 ユーレッドは憮然としていった。

「せめて旦那とかつけろよ! じゃねーと、クソアマ確定させるぞ! じゃーな、ウィス!」

 そう言ってユーレッドは、エンジンをかける。

「スワロ、帰るぞ」

 そう呼びかけると、肩のアシスタントがきゅきゅっと返事をする。

 夜闇の中、白いジャケットの後ろ姿が溶けて行く。

(ウィス、か)

 ウィステリアは、呆然とそれを見送ってため息をつき、ふふっと笑った。

「あたし、あなたに名前教えてないのにね」



 翌日、相変わらずユーレッドはカードゲームに勤しんでいる。あまり勝敗は芳しくないらしく、一人離れて仏頂面で、気怠く煙草を蒸しているところに、ウィステリアは珈琲を持っていった。

「昨日はありがとう。ユーレッドの旦那」

「ん? ああ」

 昼間のユーレッドは、なんとなく無愛想だ。

「これは、お礼の珈琲。ブラックでよかったかしら」

「そりゃそうだ。おれは甘いの、嫌いなんでな」

 ことんと置かれたそれを一口啜りつつ、ユーレッドはふむと唸った。

「なかなかいい香りする」

「お礼だからね。ちょっといいのにしたのよ。それ、おすすめなの」

「そりゃあありがてえな。俺は味覚が鈍いから、香りのいいやつのが好きなんだ」

 ふふんと笑ってユーレッドは、彼女を見上げた。

「お前、今日は何歌うんだ?」

「好きな歌があるなら、言ってくれれば歌うわ。昨日のお礼もあるからね」

 ふふと微笑むと、ユーレッドは気怠く言った。

「じゃあ、アレ歌ってくれよ」

「アレ?」

「なんだったかな、古い乙女の歌だ」

 少し考えてそう答えた彼に、くすりとウィステリアは笑う。

「ゴンドラの唄かな。いいわ。ユーの旦那」

 やがて歌が始まると、こんなに珈琲を飲んでいても、彼はすぐに眠ってしまうだろうけど。

 ウィステリアには、昨日、ユーレッドが席を立った理由が何となくわかる気がした。

 

 相変わらず、彼はウィステリアの歌を聴くと眠ってしまうのだ。その微睡が心地よいのなら、また新しい夢を運んできそうだった。

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